読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『怪船マジック・クリスチャン号』テリー・サザーン

The Magic Christian(1959)/Flash and Filigree(1958)Terry Southern

 作家としては『キャンディ』、脚本家としては『博士の異常な愛情』『イージー・ライダー』『シンシナティ・キッド』『007/カジノ・ロワイヤル』『バーバレラ』(※)などの代表作があるテリー・サザーン
 ただし、彼のキャリアは一九六〇年代でほぼ終わってしまいます。薬物濫用、アルコール依存症、浪費癖が、彼からまともな仕事を奪ったのです。
 貴重なブラックユーモアの書き手であり、日本でも人気が高かっただけに、残念でなりません。

 そんなサザーンのデビュー作と初期の中編を収録したのが、早川書房ブラック・ユーモア選集」の『怪船マジック・クリスチャン号』(写真)です。
 予告の時点では『閃光と銀細工』(Flash and Filigreeの直訳)という書名でしたが、中編の『怪船マジック・クリスチャン号』の方に変更されたようです。

『怪船マジック・クリスチャン号』
 大金持ちのオーガスト・ガイ・グランドの趣味はいたずらです。
 といっても、ささやかではなく、金をふんだんに注ぎ込み、世間をあっといわせるようなものばかり。しかも、極めて悪質なのです。

 タイトルから、海洋冒険小説や幽霊船の物語を想像するかも知れませんが、そういう小説ではありません。
 ニューヨークで証券会社を営む五十三歳の富豪が、ひたすらいたずらを繰り返すだけの作品です。

 短い章ごとにひとつのいたずらが紹介されており、ストーリー性が希薄なので、H・アレン・スミスの『いたずらの天才』の小説版のようです。
 しかし、この作品のいたずらは、ニヤリとしたり、ほっこりしたりできるものではなく、大掛かりかつ強烈なものばかり。

 グランド氏のいたずらは、章を追うごとにエスカレートしてゆきます。
 最初は、駅のホットドック売りを無駄に走らせたり、見知らぬ男に駐車違反のチケットを食べさせたりといった可愛いものでした。
 そのうち、周囲に大迷惑をかけたり、多額の賠償金が必要となるものに変わってゆきます。例えば、シカゴの街に巨大な槽を作らせ、そこに家畜の汚物や血液を注ぎ込み、そのなかに百万ドル分の紙幣を投じます。さらにそれを熱して、もの凄い悪臭を放つようにすると、強欲な者に金を取らせるのです。

 グランド氏のいたずらのもうひとつの特徴は、金に糸目をつけないことです。
 映画館を買い取り、話題作を上映するのですが、その一部に変更を加えます。メロドラマのなかに、一瞬だけ光るナイフのカットを挿入します。すると、観客はサスペンスを期待しながら鑑賞することになるものの、最後まで何も起こらないというわけです。
 ところが、これは映画会社にバレ、告発されることになります(章の終わりに、いたずらの代償が必ず記載される)。

 さて、いたずらはテレビ、自動車、ボクシング、新聞、外食、ペット、美容など様々な業界に及び、最後に、ようやくタイトルの客船マジック・クリスチャン号が登場します。
 これがまた、掉尾を飾るに相応しいハチャメチャな話です。
 豪華客船を手に入れたグランド氏は、紳士淑女を乗せ大航海に出るのですが、トラブルや怪しい人物を仕込み、船内に大騒動を起こします。まるでコントのように、次々にボケが繰り出されるといった感じです。

 なお、この小説はストーリーを追加して、『マジック・クリスチャン』というタイトル(原題は同じ)で映画化されています。
 また、関係があるのか、たまたまなのか、キャンディの姓もクリスチャンです。

『博士の奇妙な冒険』
 皮膚科の世界的権威であるハウプトマン病院のフレデリック・アイヒナーは、迫ってきた自動車に車体をぶつけ、なかの人を殺してしまいます。
 その裁判が行なわれますが、フェリックス・トリーヴリイという患者が、アイヒナーを恨んで不利な証言をしそうです。アイヒナーは探偵を雇い、トリーヴリイを何とかしようとします。
 一方、ハウプトマン病院の看護師バーバラ・ミントナーは医師を救うため、薬剤師の甥で大学生のラルフ・エドワーズと協力します。ラルフの方は、バーバラを落とすことしか考えておらず、ついに彼女をものにします。
 しかし、バーバラは、ラルフがその後、冷たくなったように感じます。

 処女作のせいか、イーヴリン・ウォーの影響が色濃く出ています。
 尤も、支離滅裂な部分と、きちんとした部分が混ざり合っているのが、サザーンらしいといえます。

 訳者は、アイヒナーとトリーヴリイが主人公で、原題は何を意味するか分からないと書いています。そのため、『博士の異常な愛情』を捩って『博士の奇妙な冒険』という邦題にしたそうです。
 けれど、主人公はアイヒナーとバーバラのふたりです。彼らのパートがほぼ交互に語られることからも、それは明らかです。
 タイトルも、両者を表しているように思えました(アイヒナーが起こした事故の「一瞬」と、バーバラの下着が「銀細工」のように輝く様)。

 医師として名声を得ているアイヒナーは、実はかなりエキセントリックな人物です。スピード狂の上、裁判では詭弁を弄して陪審員を煙に巻きます。
 さらに、サザーンの特異な才能が発揮されるのは、テレビのクイズショー「わたしの病気は何でしょう」です。
 これは姿のみえない患者に質問をし、その人が患っている病気を当てるというものです。正解後、病人が観客の前に登場し、奇病を晒すという悪趣味な展開はブラックユーモアの名に恥じない名場面です。

 その後、トリーヴリイはなぜか女装してアイヒナーの診察を受けますが、真の姿を現した途端、アイヒナーに殺されてしまいます。
 何の意味があるのかさっぱり分かりません(このふたりの関係は最初から最後まで意味不明)が、そこから犯罪小説並みのトリックが用いられる点は、とてもユニークです。

 他方、バーバラとラルフの恋は、極めて真っ当に進行します。
 この奇妙な小説においては、余りにまともすぎて、却って不気味に思えてしまうのです。自分の感覚が狂わされてしまったことに気づくのは、何とも不思議な読書体験です。

※:『バーバレラ』ではジェーン・フォンダの、『イージー・ライダー』ではピーター・フォンダの魅力を引き出すことに成功している。

『怪船マジック・クリスチャン号』ブラック・ユーモア選集4、稲葉明雄訳、早川書房、一九七〇

→『キャンディテリー・サザーン

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