Ida: A Novel(1941)Gertrude Stein
ガートルード・スタインはアメリカ人ですが、二十世紀初頭にパリに移住すると、亡くなるまでそこで暮らしました。スタインが開いたサロンには若き芸術家たちが集まり、彼女はそのパトロンのような存在になります。
パブロ・ピカソ、アンリ・マチス、マリー・ローランサン、米国の作家ではアーネスト・ヘミングウェイ、F・スコット・フィッツジェラルド、エズラ・パウンド、ドス・パソス、シャーウッド・アンダーソンらが彼女のサロンに出入りしました。ちなみに「ロストジェネレーション」の名づけ親もスタインです。
エピソードが豊富なのに対して、彼女の著作は広く読まれているとはいい兼ねます。ノンフィクションの『アリス・B・トクラスの自伝』はベストセラーになったものの、小説を読んだことがある人は多くないでしょう。
ジェイムズ・ジョイス並に重要な作家という人もいて、日本でも一九八〇年代以降、翻訳が進みました。しかし、それらの多くは現在品切れになっています。
ヘミングウェイの賞味期限が切れかけている二十一世紀にこそ読まれるべき作家だと思うのですが、一見稚拙にみえる手法を用いているため、誤解されやすい気がするのです。
例えば、古くから邦訳のある『三人の女』は、米国で暮らすアンダークラスの女性三人が主人公の連作短編です。ドイツの移民で女中をしていたり、黒人と白人のハーフで貧しい暮らしをしていたりする女性の人生を淡々と描いています。
スタインの出自や経歴、生活圏とはかけ離れていることにもやや違和感を覚えますが、特異なのはその文体です。決して文学的ではない、平易な表現を用いて書かれている上、同じ描写が繰り返し現れたり、漠然とした内容の会話が延々と続いたりします。
また、物語としても劇的なできごとが起こるどころか、同じようなことが何度も再現されます(主人のやり方が気に食わず奉公先を変えたり、友人と親密になったり疎遠になったり……)。
実験的だったり難解だったりするのとは違う、何とも不思議な小説なのです。
さて、晩年の作品である『小説アイダ』(写真)は、しつこい描写は変わらないものの、極めて抽象的、かつリアリズムから離れたことで却って読みやすくなったといえます。
何が書かれているか分かりにくくなった代わりに、言葉そのものがリズミカルで楽しく、幻想小説や大人向けのファンタジーといった雰囲気になっているのです。
双子のアイダ(心のなかにもうひとりの自分がいる)は、生まれてすぐ両親がどこかへいってしまい、世話をしてくれた大叔母もアイダが十六歳になると消えてしまいます。その後、アイダは各地を転々とし、犬を飼ったり、結婚したりします。
やがて、彼女は何度かの結婚を経て、理想の男性アンドリュー・ハミルトンと出会います。
『小説アイダ』の二年前に発表された戯曲『ファウスト博士の明るい灯り』には、マーガレット・アイダとヘレナ・アナベルという女性が登場しますが、両方ともに『小説アイダ』が響いています(アナベルは「A Novel」のこと)。
また、『小説アイダ』の「訳者解説」には「アイデンティティ、つまりId-entityとEntity(存在、自主性)、Iとnot-Iの問題、一つで二つ、二つで一つのI(私)というId-ea(考え)を取り扱ったIdaだ」と書かれています。
お相手のアンドリューは「and you」ですから、「I and you」で、めでたしめでたしというわけです。
アイダは、自由な存在です。
住む場所も、つき合う人も、飼う犬もコロコロ代わります。やりたいことをして、やりたくないことはしません。血の繋がりや結婚も、彼女を繋ぎ止めておくことはできないのです。
スタインの文章も負けず劣らず自由気儘です。
矛盾だらけだったり、固有名詞を間違えていたり、場面と場面のつながりが分からなかったり、抽象的すぎて何の話やら見当もつかなかったり、意味は分かるものの意図が分からない文章が続いたりします(「アイダの夫は父親のことを母親より好きでなかったし、母親のほうを父親より好きではありませんでした」「アイダは呼ばれていったのでもうそこにはいません。アイダはもうそこにはいなかったので言えるわけがないので、つまり言わなかったということですが」「アイダは自分が咳をしたら、自分は咳をしたなと思う人です」などなど)。
そもそもスタインは、人々が言葉に対して持っている共通認識を嫌う人ですから、「馬」と書いてあったって、馬を表すとは限りません。
ほとんど説明をしない上、一度書いたものを決して消さなかったといわれるスタインの文章は、ジョイスと共通する点が数多くあります。
ジョイスの小説は、普通の読み方とは異なり「解読」が必要ですし、目がみえなくなって口述筆記をしていたとき、筆記者の間違いをそのまま残したりしたそうですから。
なお、アイダはあちこちに移り住むため、一種のロードナラティブといえますが、スタインはナラティブを必要としない作家なので、そうした捉え方をするのも正しくなさそうです。
感覚的には、おばあちゃんが、孫娘にお話を聞かせているというのが近いような気がします。
それもきちんとした物語があるわけではなく、おばあちゃんの経験や読書を基にした、行き当たりばったりの創作です。支離滅裂で荒唐無稽だけど、孫を愛していることがしっかり伝わってくるという感じ。
もちろん、スタインにはアリスという「妻」はいたものの、子どもも孫もいませんでした。ということは、語り手も聞き手も自分自身なのでしょう。
アイダはひたすら可愛いし、スタインの語り口は優しい。
何も持たない少女が孤独のなかでも明るく成長し、犬を愛し、やがて理想の相手とめぐり逢い、自己を見出してゆく。その姿に自分を重ね、童話風に描いたのが『小説アイダ』なのかも知れません。
とはいえ、童話とは違って、ぼんやりしていると何が書かれているのかすら理解できず、置いてけぼりを食うことになります。
アイダの可愛さと、リズムのよい文章に騙されて、何となく読み進めてしまうのだけはおやめくださいね。
『小説アイダ』落石八月月訳、マガジンハウス、一九九一