読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『もう一つの国』ジェイムズ・ボールドウィン

Another Country(1962)James Baldwin

 一九五七年に、パリからニューヨークに戻ったジェイムズ・ボールドウィンは、マーティン・ルーサー・キング、マルコム・X、メドガー・エヴァースらとともに公民権運動にかかわってゆきますが、その時期に出版された長編が『もう一つの国』(写真)です。
 パリで完成するはずでしたが、長大かつ複数の登場人物による語りを採用したためか進行が遅れ、さらに米国へ戻ると公民権運動に関する講演やテレビ出演、エッセイの執筆で忙しく、発売時期が大幅にずれ込んだというところでしょうか。

 当時のボールドウィンは、作家というよりも、黒人にとってスポークスパーソンであり、キング、マルコム・X、エヴァース亡き後の最重要人物でした。その言動は常に注目され、『もう一つの国』も大いに売れたものの、小説として正当に評価されたのかは疑問です。
『もう一つの国』は黒人と白人の恋愛、同性愛、不倫、愛人関係などを扱っていますが、ボリューム、登場人物、視点が多い上に、時間も前後するなど、日頃から文章に親しんでいない人が簡単に読める作品ではないからです。
 一般的には、寧ろ翌年に出版された随筆集『次は火だ』(写真)の方が理解しやすかったかも知れません。

第一部
 ルーファス・スコットはハーレムで暮らす黒人のジャズメンです。ある夜、白人女性レオナを引っ掛け、関係を持ちます。しかし、良好な関係は長く続かず、互いに傷つけ合い、無理矢理引き離されると、レオナは南部に連れ戻され精神病院に収容され、ルーファスは自殺してしまいます。
 その後、ルーファスの友人だったダニエル・ヴィヴァルド・ムア(アイルランド系イタリア人)は、ルーファスの妹アイダとつき合い始めます。
 一方、作家の夫を持つ中年の白人女性キャス・スィレンスキーは、ルーファスとヴィヴァルドのよき理解者でしたが、自分の周囲にある数多くの溝に悩まされます。

第二部
 かつてルーファスの愛人だったゲイの白人男性エリック・ジョーンズが、フランスに恋人のイーヴ(男性)を置いてニューヨークに帰ってきます。夫に必要とされなくなったと感じたキャスは、エリックとの情事にのめり込みますが、その浮気は夫にバレてしまいます。一方、歌手に憧れるアイダは、ヴィヴァルドには内緒で、テレビのプロデューサーであるスティーヴ・エリスとつき合い始めるのです。

第三部
 エリックとヴィヴァルドは体の関係を持ち、互いに愛し合っていること悟ります。アイダは、エリスと肉体関係があることをヴィヴァルドに伝えます。やがて、パリからニューヨークにイーヴがやってきます。

 黒人と白人が恋愛する小説は、チャールズ・ウィルフォードの『拾った女』(1955)やフレッド・カサックの『日曜日は埋葬しない』(1958)など(※)、エンターテインメントの分野では以前からありました。
 また、ボールドウィン以後も、黒人作家のエリック・ジェローム・ディッキーの『ミルク・イン・コーヒー』など同じテーマを扱う作品もあります。

 しかし、『もう一つの国』は、人種、性別、階級、年齢など異なる複数の視点で、それぞれが抱える問題や、意識の違いを描いています。
 日本版の帯には「白い肌のレオナを抱くとき、おれは黒人であることを忘れてはならないのか」などと書かれていますが、ルーファスとレオナの関係など、ごく限られた部分のみ(特にレオナは全く存在感がない)です。主人公と思われたルーファスを序盤であっさり殺したのも、多視点による物語であることを宣言しているように思えました。
 主な視点人物は、黒人男性のルーファス、白人男性のヴィヴァルド、黒人女性のアイダ、白人女性のキャス、ゲイの白人エリックの五人で、彼らの目を通してアメリカの現実が浮き彫りにされます。

 また、リチャード・ライトが社会構造に焦点を当てたのに対して、ボールドウィンは様々な人物の内面を丁寧に書き出します。
 つまり、黒人が存在する社会の問題というより、人間そのものが抱える憎悪や怠惰、恐怖などをテーマにしているのです。

 とはいえ、ボールドウィンは、これでアメリカ人の感覚を余さず表現したとは思っていないでしょう。
 というのも先述した五人は、ジャズミュージシャン、作家、俳優、歌手など進歩的なアーティストたちで、白人中産階級の規範から大きく逸脱しているからです。ボヘミアン的な生活をしている彼らは、黒人と白人の恋愛や同性愛に寛容ですが、これはリベラルな白人読者にとっても、黒人読者にとっても違和感があったはずです(当時、異人種間の結婚は多くの州で違法だった)。

 この居心地の悪さこそが、ボールドウィンの狙いです。
 彼は、登場人物の誰かに感情移入し、安全な場所から共感したつもりになることを求めていないのです。
 例えば、ヴィヴァルドはルーファスと親友の関係にあり、彼の死後は妹のアイダとつき合います。けれど、ルーファスに対して、本当に差別意識を持たなかったのか、あるいは母親にアイダを紹介するに当たって、いかなる屈託もないのか自問します。
 ヴィヴァルドのように真の理解者であるか自分自身に誠実に問い、その先に進むことをボールドウィンは訴えているように感じます。
 勿論、これは遠い過去の課題ではなく、今なお存在する重いテーマです。

 文学作品としては、心理描写の巧みさが目を引きます。
 自身に最も近いはずのルーファスの視点を早々に切り捨て、白人男性、白人女性、黒人女性の悩みや葛藤を丁寧に紡いでゆくなんて芸当は、相当な筆力がなければできないでしょう。
 尤も、ボールドウィンは、黒人の登場しない『ジョヴァンニの部屋』という小説を既に書いていたわけで、作家としての自信も矜持も揺るぎなかったと思います。
『もう一つの国』は、ルーファスの自殺とふたつの不倫以外、大きなできごとは起こらないのですが、文章の上手さによって、日本語にして二段組四百頁をあっという間に読まされてしまいます。

 当時の読者や批評家は、社会活動家としてのボールドウィンの印象が強かったでしょうから、人種差別問題よりも、多様な愛の形が描かれていることに戸惑ったかも知れません。けれど、現代では逆にそれが幸いし、全く違和感なく受け入れることができます。
 復刊されそうな気もしますが、それを待つのは時間が勿体ないので、古書店でみつけたら、ぜひ手に取ってみてください。

※:ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『ミラノの奇蹟』(1951)では、何らかの事情で別れた黒人男性と黒人女性が登場する。奇蹟を起こせる主人公のトトに、男性は「白くなりたい」と願い、女性は「黒くなりたい」と願い、再びすれ違ってしまうという皮肉が描かれる。

『もう一つの国』現代の世界文学、野崎孝訳、集英社、一九六九

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