Hondo(1953)Louis L'Amour
一九八四年、中央公論社は、片岡義男監修による「ペーパーバックウエスタン」という叢書を突如、刊行し始めました。
ところが、西部小説ファンの期待に反して、たった五冊を出版しただけで消え去ってしまいました(※1)。
この叢書は、カバーなしで、表4に広告が入る仕様です。五冊中三冊が二段組でしたが、残りの二作は厚みを出すため一段組になっています。
ルイス・ラムーアの『ホンドー』(写真)は、かつて雄鶏社の「おんどり・ぽけっと・ぶっく」からも刊行されています。これは原書刊行の一年後の翻訳でしたが、当然、ジョン・ウェインの映画の影響もあるでしょう。
『ホンドー』は映画化されただけでなく、テレビドラマ『アパッチ大平原』(原題は同じく『Hondo』)の原案にもなっている名作です。
まずは、あらすじから。
南北戦争やインディアン戦争で活躍したジョージ・クルックの騎馬伝令兼斥候として雇われたホンドー・レイン(※2)は、アパッチ族の縄張りの近くで、若い母親アンギー・ロウと、息子のジョニーに出会います。アパッチ戦争が始まるため、避難するよう勧告しますが、彼女は亡き父親が守ってきた土地を離れようとしません。
その頃、インディアン討伐隊は、アパッチ族らに襲われ全滅します。一足遅く戦場に着いたホンドーは、司令部に報告へゆき、そこでアンギーの夫のエドに会います。妻子のことなど考えていないエドに代わって、再びアンギーの下へ向かうホンドー。しかし、ホンドーに馬鹿にされたエドは、復讐しようと仲間を連れ、跡をつけます。
一方、アパッチ族の酋長ヴィトロは、アンギーにインディアンと再婚するよう迫ります。それを拒否すれば、身の安全は保証されないことを悟りつつ、時間稼ぎをするアンギーですが……。
正に王道の西部小説です。
孤独なガンマンが、大地に根を張って生きる女性と子どもを助け、先住民や無法者と戦うという外連味のないストーリーなので、最後まで安心して読むことができます。
ラムーアのもうひとつの代表作である『シャラコ』(1962)(映画はショーン・コネリー、ブリジット・バルドー主演。邦訳はなし)も、美女を助けアパッチ族と戦う物語であり、こういうのが読者に受けると考えていたのかも知れません。
『ホンドー』は、ホンドーの視点と、アンギーの視点が半々くらいの割合ですが、圧倒的に面白いのはアンギーのパートです。
彼女は父親から受け継いだ僻地に暮らしています。西部の開拓地では、そもそも人と人が出会うことが稀なため、幌馬車隊大虐殺事件の際、アンギーの父が拾ってきた孤児であるエドと結婚し、ジョニーを儲けます。しかし、無責任なエドは、アンギーの父が亡くなると妻子を捨て、どこかへ消えてしまいます。
ここからアンギーの苦難が始まります。
女の力ではできることが限られるため、農場は荒れ、馬は野生に近くなり、アパッチ族の脅威に晒されますが、彼女は土地から離れようとしません。
アパッチ戦争が始まり、残忍なアパッチに結婚を迫られ、逃げ出すこともできなくなるまで耐えるものの、どうにもならなくなって、ようやくホンドーを頼るのです。
このパターンは、現代でも十分通用しています(例えば『ワンピース』でいうと、アーロンの圧政に耐えられなくなったナミが、ルフィに助けを求めるシーンなど)。
何もせず頼り切りになるのではなく、弱い力でギリギリまで頑張って、それでも駄目だったとき、ヒーローが登場するからこそ、読者もカタルシスを得られるわけです。
さて、ホンドーはアパッチ族の襲撃を受けながら、何とかアンギーの下に辿り着きます。ヴィトロに、アンギーの夫として認められますが、まだまだ問題は山積しています。
嫉妬深く残忍なアパッチ族の男シルヴァはアンギーを狙っており、ホンドーに恨みもあります。ヴィトロ亡き後、彼が酋長になるのは間違いなく、そうなれば必ず襲撃してくるでしょう。
また、アパッチと騎兵隊の戦闘は激しさを増しており、戦場の真っ只中で中立の立場を取るホンドーたちは決断を迫られます。
そして、最も厄介なのが、ホンドーがアンギーに会いにくる途中、エドに襲われ、返り討ちにしてしまった事実をいい出せないことです。
いくらクズとはいえ、アンギーにとっては夫であり、ジョニーにとっては父親です。彼が死んだことは伝えましたが、殺してしまったとはいいにくいのです。
嘘をつかないというインディアンの掟に共感しているホンドーとしては、仮令アンギーに嫌われたとしても黙っているわけにはいかず、苦悩するのですが……。
ラストには、それらを一気に解決する活劇が用意されています。エンターテインメント小説らしく、溜まりに溜まった鬱憤を、短い頁数で表現しているのです。
それは、これぞ西部小説という爽快さで、映画にも引けを取りません。このスピード感こそが、読者の気持ちを自在に操るラムーアのテクニックなのでしょう。
とはいえ、孤独なホンドーは、ようやく信頼できる家族を手に入れますが、実は、幼いジョニーには父親を撃ったことを話せていません。
「正しく理解できるようになってから伝えましょう」というアンギーの忠告に従ったわけですが、その試練を乗り越えなければ真の家族にはなれないことを、ホンドーは誰よりも理解しています。
彼らの未来は読者それぞれの心に委ねられる形で、物語は幕を閉じます。
なお、ジョン・ファロー監督の映画は、原作にかなり忠実に作られています(原作では卑怯な奴だったレニーが、映画ではホンドーを救う点が違うくらい)。ほぼすべてのエピソードを省略せずに描いているため、全体としては駆け足の印象が強くなっています。
ストーリーを追うだけなら映画でも構いませんが、小説は細部まで丁寧に描写されているので、理解がより深まります。ほかにも、ホンドーがジョニーに、砂漠で生きる知恵を伝授する場面(※3)が結構あって、蘊蓄としても楽しめます。
※1:翌年、中公文庫からマックス・ブランドの『砂塵の町』が刊行された。これも本来は「ペーパーバックウエスタン」に加わる予定だったのではないだろうか。
※2:現代では、「Lane」は「レーン」、「Angie」は「アンジー」と表記されるのが一般的である。
※3:会話のなかに「ライオン」が登場する。現在、アメリカに野生のライオンはいないが、西部の人がライオンと呼ぶのは「ピューマ(クーガー)」のことである。
『ホンドー』神鳥統夫訳、中央公論社、一九八四
ウエスタン小説
→『ループ・ガルー・キッドの逆襲』イシュメール・リード
→『ビリー・ザ・キッド全仕事』マイケル・オンダーチェ
→『勇気ある追跡』チャールズ・ポーティス
→『砂塵の町』マックス・ブランド
→『大平原』アーネスト・ヘイコックス
→『西部の小説』
→『幌馬車』エマーソン・ホッフ
→『六番目の男』フランク・グルーバー
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