読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『勇気ある追跡』チャールズ・ポーティス

True Grit(1968)Charles Portis

 メジャーリーグベースボールとロックンロールは若い頃と変わらず親しんでいますが、以前に比べ鑑賞する量が圧倒的に減ったのが西部劇です。十代の頃は、映画やテレビ、小説において、西部劇が頻繁に目に飛び込んできたものの、最近はよほど能動的にならない限り出合えなくなりました。
 特に小説は壊滅的です。

 そもそも日本でウエスタン小説は全く売れないらしく、かつては「SFとウエスタンを発行した出版社は潰れる」なんてことが囁かれていたそうです(※1)。
 とはいえ、決して無視できない作品もあります。
 翻訳されているものでは、アーネスト・ヘイコックスの『大平原』や『駅馬車』、マックス・ブランドの『砂塵の町』、ルイス・ラムーアの『ホンドー』、オーエン・ウィスターの『ヴァージニアン』辺りが名作の誉れ高いウエスタン小説といえるでしょうか(リチャード・ブローティガンの『ホークライン家の怪物』というゴシックウエスタンもあるが……)。

 さて、その後、SFはブームがやってきましたが、西部劇は廃れる一方……。今ではリメイク映画の原作として刊行されるくらいが精々です(※2)。
 実は今回取り上げる『勇気ある追跡』も正にそれ。
 二〇一〇年に、ジョエル&イーサン・コーエンによってリメイクされた際、邦題が『トゥルー・グリット』と改められ、新訳が刊行されました。が、おっさんとしては『勇気ある追跡』の方がしっくりくるので、ここではそちらを採用したいと思います(※3)。

 十四歳の少女マッティ・ロスの父親は、アーカンソー州フォートスミスで元使用人チェイニーに殺害されます。父の復讐を誓ったマッティは真の勇気(トゥルーグリット)を持った保安官補ルースター・コグバーンを雇います。そこに懸賞金を狙うテキサスレンジャーのラブーフも加わり、三人はチェイニーを追跡します。
 しかし、チェイニーはラッキー・ネッド・ペッパーという強盗の一味に加わっており、彼らとの壮絶な戦いが始まります。

 いわゆるホースオペラ(西部活劇)ではなく、文学的な仕掛けが施されています。それが、大人になったマッティが過去を回想する形式です。
 彼女は恐らく一九三〇年頃から五十年前に思いを馳せていると思われます。ラザフォード・ヘイズが大統領ってことなので、実際に敵討ちが行われたのは一八八〇年頃でしょうか。米国政府が「フロンティアの消滅」を宣言したのが一八九〇年ですから、西部開拓時代の末期に当たります。
 その間のできごとや人物などについて、作中でちょくちょく触れられます。古き良き時代を懐かしむ意図もあるでしょうし、アメリカ人の原風景や開拓魂を呼び起こす役目も果たしてもいるでしょう。
 実際に体験したことがなくとも、ディテールが細かければ感情移入もしやすくなります。

 物語は、日本でいうと「宮城野・信夫姉妹の仇討ち」+「鍵屋の辻の決闘」なんて感じですが、最大の特徴は、とにかくマッティが強い少女だという点です。
 マッティは、父の死体と対面しても涙すら流さず、父の葬式にも参列せず、家畜商人と交渉して盗まれた馬の代金を弁償させ、コグバーンを雇うところまで、たったひとりで淡々とやってのけます。気丈夫で、頭がよくて、弁が立って、信念を曲げない。父を失った悲しみは勿論あるでしょうが、メソメソすることなど一切なく、ひたすら復讐のためだけに行動します。
 しかも、彼女を突き動かしているのは、悪党を野放しにできないという正義感ではなく、父を殺した報いを受けさせるという一点のみ。だからマッティは、チェイニーを生け捕りにしてテキサス州に連れてゆくというラブーフの提案を受け入れません。飽くまで父が殺されたフォートスミスで縛り首にすることしか考えていないのです。
 十四歳にして『モンテ・クリスト伯』のエドモン・ダンテスよりしっかりしていて、『虎よ、虎よ!』のガリヴァー・フォイルより熱い。

 はっきりいってリアリティは全くありません。しかし、紋切り型の心理描写を削ぎ落とし、「強い味方を得て、敵を討つ」点に的を絞ったことにより、引き締まった硬質の作品に仕上がったのではないでしょうか。
 実際、ウエスタン小説はハードボイルド小説と共通点が多いとつくづく思います。感情を抑えた一人称、殺すか殺されるかの非情な世界、冷徹でタフな者が生き残る……なんてのが好きな方には、自信を持ってお勧めできます。何しろマッティは仇討ちに成功するものの、片腕を失ってしまうんですから、容赦ないにもほどがあります(しかも、多分、一生独身……)。

 一方で、『勇気ある追跡』の場合、十四歳の少女の視点というところがやはり異色であり、それによって不思議な効果が生まれました。
 マッティは確かにしっかりしていますが、何といってもまだ子どもです。コグバーンら登場人物は手加減なしで厳しく接するし、マッティ自身もそうして欲しいようですが、読者からすると「もうちょっと優しくしてやれよ」と叫びたくなるのです。
 これが大人の女性なら、それなりに武器を持っていますが、世故に長けていないから真っ直ぐぶつかってゆくしかない。それが健気で危なっかしいんですよね。

 つまり、マッティが感情を殺し、ドライになろうとすればするほど、読み手は心を動かされてしまう。
 泣く叫ぶなど大袈裟な情動の現れやベチャベチャした心理描写を排除したのは、この効果を狙ったのでしょう。見事な計算といわざるを得ません。

 なお、原作と二度目の映画『トゥルー・グリット』はコグバーンが死んだ後の回想ですが、最初の映画『勇気ある追跡』には回想シーンがない。そのため、続編が存在し、それがジョン・ウェインキャサリン・ヘップバーンが共演した『オレゴン魂』(一九七五)です。
 こちらの原題はズバリ『Rooster Cogburn』。

 一方、ポーティスは非常に寡作な作家で、これまでに長編小説は五冊しか書いていません。トマス・ピンチョンのような作風ならともかく、エンタメの作家でこれだけ少ないのは珍しいですね。

※1:SFもウエスタンも書くシオドア・スタージョンなんて作家もいる。

※2:ロバート・クーヴァーの『Ghost Town』の翻訳が待たれる。(追記:二〇一七年三月、作品社より『ゴーストタウン』が刊行されました)

※3:近頃、懐かしい映画やテレビドラマのリメイクがひっきりなしに登場するが、原題をそのままカタカナにするケースが多く、辟易する。原題は変わってないのに、邦題がカナになったケースをいくつかあげる(旧題 → 新題)。
 暗黒街の顔役 → スカーフェイス
 ハエ男の恐怖 → ザ・フライ
 恐怖の岬 → ケープ・フィアー
 華麗なる賭け → トーマス・クラウン・アフェアー
 スパイ大作戦 → ミッション:インポッシブル
 宇宙大作戦 → スタートレック


トゥルー・グリット』漆原敦子訳、ハヤカワ文庫、二〇一一

ウエスタン小説
→『ループ・ガルー・キッドの逆襲』イシュメール・リード
→『ビリー・ザ・キッド全仕事マイケル・オンダーチェ