読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ローラ殺人事件』ヴェラ・キャスパリー

Laura(1943)Vera Caspary

 ヴェラ・キャスパリーの『ローラ殺人事件』(写真)は、オットー・プレミンジャー監督の同名映画の人気が高いようです。
 映画も悪くはありませんが、小説に比べると平凡な出来です。

ローラ殺人事件』の邦訳は一九五五年に刊行され、一九九九年に復刊されたものの、現在は品切れ中。ミステリーファンなら、読んで損のない仕掛けが施されているので、ぜひ入手していただきたいと思います。
 ただし、復刊は古い訳に手を加えていないため、文体や単語がかなり古めかしい。僕は、その方が好きですが、若い人はやや戸惑うかも知れません(訳者は「Diane」を「ダイアネ」と表記しているが、この感想文では「ダイアン」とする)(※)。

ローラ殺人事件』は、ディヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』が話題になったとき、殺害された女性の名がローラ・パーマー(世界一美しい死体)で、男どもを魅了する美女の死後、様々な顔がみえてくるという類似性が指摘され、話題になりました。
 とはいえ、元ネタというほど似てはいません。

 それより『ローラ殺人事件』は、ウィルキー・コリンズの『白衣の女』(1859)と共通点が数多くあります。
『白衣の女』にもローラ・フェアリーという人物が登場し、白衣の女アンと死体の入れ代わりが行なわれるのです。
 また、章ごとに様々な人物の視点から事件が語られるという点もそっくりです。

 それじゃあ、ただのパクりなのか、というと然にあらず。『ローラ殺人事件』は、『白衣の女』に影響を受けたことは間違いありませんが、ユニークな趣向がみられます。
 それを説明する前に、まずはあらすじを。

 広告代理店に勤めるローラ・ハントが顔面を銃で撃たれ、亡くなっているのが発見されます。
 捜査部長のマーク・マクファーソンは、ジャーナリストのウォルドー・ライデッカー、ローラの許婚のシェルビー・カーペンター、ローラの叔母スーザン・トレドウェルらを取り調べます。
 数日後、死んだはずのローラが現れ、友人でモデルのダイアン・レッドファンにアパートの部屋と部屋着を貸したと証言します。ダイアンは、ローラと間違えて殺されたのでしょうか。

 前述したとおり、この小説は形式が変わっています。ミステリー的にはよくも悪くも、「それがすべて」といってもよいくらい特徴があるのです。

 第一部は、ライデッカーが一人称で事件を振り返るという形式です。ところが、彼がいない場面も遠慮なく描写されます。
 本来、これは禁じ手です。しかし、ライデッカーはフリージャーナリストなので「説話者兼解説者」そして「芸術家」として、事件の関係者を登場人物にして、小説として『ローラ殺人事件』を書くことにするのです。
「私の文章の中の会話は、彼等が実際に話す言葉より、遥かに明快で、遥かに簡潔で、性格を表す要素を遥かに持っているだろう。(中略)それから又、私は、この物語の中の一登場人物として自分を語る時は、この不気味な物語の中の他の登場人物達と同等の扱いをして、他の人物達に対すると同じ客観的な目で、自分の欠点を記録するつらさに堪えるつもりだ」といった具合です。

 かと思うと、第二部では、あっさりと語り手がマクファーソンに変わります。
 さらに、第三部はマクファーソン、カーペンター、弁護士による会話のみ。第四部はローラ、第五部は再びマクファーソンの一人称となります。
 第一部で「容疑者のひとりが神の視点で描く推理小説」という前代未聞の大風呂敷を広げておいて、そりゃあないだろうと思いきや、これが解決の際、重要な意味を持ってきます。

 手際がよいとはお世辞にもいえませんが、なかなか斬新な仕掛けです。
 本格ミステリーファンなら、アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』の亜種を想像するかも知れません。けれども、それとは全く違うところに着地します。
 先に引用した箇所が正に謎を解く鍵になるものの、余り書くとネタバレになるため、トリックではなく、犯行動機と密接に結びつくとだけいっておきましょうか。
 よく「推理小説」か、「推理小説」か、などといわれますが、これは完全に文学の方へ振り切った潔い趣向です。

 ただ、キャスパリーはミステリー作家ではないため、その部分を研ぎ澄ませることに精力を傾けていないのが残念です。肝腎の仕掛けはオマケといった感じで、一頁にも満たない量で処理されてしまいます。
 最終章以外を、屈折したライデッカーによる神の視点で通し、「もうひとりの偉大な自分」をたっぷり表現していたら、ミステリー史上に残る傑作になっていたのではないでしょうか。

 では、キャスパリーは『ローラ殺人事件』で何を書きたかったかというと、ありきたりのメロドラマなのです。
 既に亡くなっている美女に恋してしまったマクファーソン。ところが、ローラは生きていて、しかも想像していたより純な魂を持っていた。とはいえ、彼女は殺人犯かも知れない。一方、ローラは、本気で自分を守ってくれるマクファーソンに惹かれる……という、様々な感情が入り交じるロマンスとして仕上げています。

 なお、叙述トリックの使えない映画版は、殺人事件をきっかけに生まれたローラとマクファーソンの真実の愛と、ローラに執心したライデッカーの醜い嫉妬が描かれます。
 分かりやすい筋書きで、テンポよく進みますが、サスペンス映画の良作といった評価しかあげられません。
 原作のライデッカーは太った男なので劣等感が生きていますが、映画では正反対の容姿のクリフトン・ウェッブが演じるため、感情移入しにくいのが難点です。

※:ポップコーンのことを、一九二九年に刊行された『世界滑稽名作集』では「はじけ玉蜀黍」と訳しているが、『ローラ殺人事件』では「はぜとうもろこし」になっている。調べると、ポップコーンが日本に普及したのは、一九五七年に晴海で開かれた国際見本市以後だという。

ローラ殺人事件』小野ヨチヨ訳、ハヤカワ・ミステリ、一九五五

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