読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『盗まれっ子』キース・ドノヒュー

The Stolen Child(2006)Keith Donohue

 取り替え子(チェンジリング)とは、人間の子どもがさらわれ、代わりに妖精やゴブリンなどの子どもが置いてゆかれるという西欧の民俗伝承です。
 国や地域、時代によって、呼び名もパターンも様々ですが、異界の者は成長するに従い、醜い容姿になったり、乱暴な性格になったり、奇怪な行動を取ったりするようになります。

 こうした伝承が生まれた背景には、障害児の存在があるといわれています。
 ほかの子どもとは明らかに異なる成長を遂げた子を取り替え子と見做せば、親は育児を放棄することができたそうです。いわゆる、嬰児殺しや間引きの一種でもあったわけです。

 キース・ドノヒューの『盗まれっ子』(写真)は、そんな取り替え子を扱ったダークファンタジーです。
 元ホブゴブリン(Hobgoblin)だけでなく、取り替えられた子である元人間の人生も描いているため、マーク・トウェインの『王子と乞食』のように、反対の境遇の者が入れ替わる物語の類型としても楽しめます。

 一九四九年、七歳のヘンリー・デイは家出をして、それを狙っていたホブゴブリンに誘拐され、チェンジリングが行われました。
 元ホブゴブリンのヘンリーは、正体がバレないよう巧みに家族に溶け込みますが、父親だけは違和感を抱いている様子です。しかし、その父も、ヘンリーが大学生のとき、拳銃自殺をします。
 一方、元人間の方は、十一人の仲間から「エニデイ」という名前で呼ばれるようになります。人に出会わないよう、森のなかで暮らす彼らにも様々なトラブルが襲いかかってきます。

 この小説におけるチェンジリングは、次のようなルールで行われます。
 取り替え子の候補は、幼すぎず、大きすぎない、六、七歳の子どもです。さらに、今の暮らしを不幸だと考えている子を慎重に見極めます。チャンスは約十年に一度くらい。
 そんな子がみつかったら、本人のみならず家族や友人などを徹底的に調べ、隙をみて誘拐します。入れ替わるホブゴブリンは骨格を変え、その子に成り代わります。
 ホブゴブリンになった子は十二人いるので、再び人間に戻る順番がくるまで百年ほどかかることになります。その間、肉体は成長しません。

 ヘンリーは、ホブゴブリンだったときの記憶、さらにはそれ以前にドイツ人の子どもだったときのことも、ぼんやりと覚えています。
 人間に戻ったものの、百年以上生きているため、どうしてもほかの子どもとは違いが出てしまいます。それで父親と心を通じ合わせることができなくなりますが、ピアノの才能を引き継いでいたり、後に妻となるテスに好かれるミステリアスな雰囲気を持っていたりします。
 序盤は少々変わったビルドゥングスロマンであり、家族、友人、夢、恋愛、仕事などのことに悩みつつ、ヘンリーは順調に成長してゆきます。

 エニデイのパートは、正にファンタジーです。
 彼は、仲間からホブゴブリンとしての生きるための厳しいルールを叩き込まれますが、人間に戻りたいと強く願っており、手紙やノートを拾い文字を書いたり、図書館に忍び込んだりします。
 それが確執を生んだり、過酷な生活に身も心も粉々にされたりしますが、しぶとく生き抜いてゆきます。

 そんなふたりは、やがて間接的に接触したり、ニアミスをするようになり、物語としても両者が絡み始めます。さらに、父の自殺、入れ替わる直前でのホブゴブリンの自死、わざと人間に捕まるホブゴブリン、好意を寄せていたスペックという女の子の失踪など重いできごとが続き、俄然面白くなってきます。

 ヘンリーは、プラハの春が起こった一九六八年にチェコスロバキアに潜入し、ドイツ人の少年グスタフ・ウンガーラントだった頃の記憶を取り戻します。
 そのため、結婚をし、生まれた息子がヘンリーに全く似ていなくても、妻の浮気を疑うことなく、ドイツ人の血が受け継がれたことを悟ります。

 その後、エニデイが偶然、ヘンリーの家に侵入します。ふたりは顔を合わせることこそなかったものの、ヘンリーは息子が取り替え子にされるという虞を抱きます。
 他方、エニデイも仲間の話や時間の経過、容姿などから、自分がみた男がヘンリーであると確信します。そして、ふたりは約三十年ぶりに対峙することになるのです。

 グスタフは、誰かに人生を盗まれ、ホブゴブリンになり、今度はヘンリーの人生を盗みます。その事実だけを取り出すと、永遠に続く負の連鎖にみえますが、憎しみが繰り返されるわけではありません。別の人生を生きることは予め定められていた運命で、そこから逃れることは難しいと、彼らは諦観しているようなのです。
 だからこそ、エニデイはヘンリーに会ったとき、彼を羨ましいとも、恨めしいとも思いませんでした。

 この小説が斬新なのは、これまで親の立場でしか語られてこなかった取り替え子を、育児放棄された子ども、そして、攫われた子どもの視点で描いたことです。
 大人の都合を取り除いたとき、果たして、取り替え子とは、どういった存在なのでしょうか。

 彼らの最大の特徴は、人生を三度生きることです。元の人間として、ホブゴブリンとして、さらに別の人間として、生まれ変わるわけです。
 人は、一度しか生きられないという意味で平等です。例えば、成功した人を羨ましいと思うかも知れませんが、彼らは上手くゆかなかった人生を経験できません。
「別の人生を体験してみたい」というのは、古くから多くの人が考えた叶わぬ望みであり、それを形にしたのが『王子と乞食』のような入れ替わりの物語や、変身譚、転生譚なのではないでしょうか。

 とはいえ、新しい人生が幸福とは限りません。
 グスタフと入れ替わったホブゴブリンは、人間になった後、ひとことも言葉を発せず、老人になるまで無為な時間を過ごしました。
 複雑な出自を与えられた彼らが、数々の苦難を克服し、いかに自分らしく生きるかが何より重要なのです。

 ヘンリーは、妻や子どもに取り替え子であることを打ち明けるか悩み、エニデイに対しては罪悪感を抱き続けます。それらは乗り越えなくてはならない高い壁であり、その先に待っているのが本当の人生であることに、ラストでようやく気づきます。

 エニデイは、人間が足を踏み入れないホブゴブリンの聖域を存続させることも、人間と入れ替わることもできない時代がやってきたことを悟ります(※)。ホブゴブリンの仲間は次々に減っており、恐らく近い将来、彼らは絶滅してしまうでしょう。
 彼に残された唯一の希望は、愛するスペックを探し出すこと。そのため、西海岸に向けて力強く旅立つシーンで、物語は幕を閉じます。

※:イシャナ・ナイト・シャマラン監督の『ザ・ウォッチャーズ』のような設定であれば、ホブゴブリンが生き残っていても不思議ではない。取り替え子をテーマにした映画としては、とてもよくできており、オチを含めお勧めである。

『盗まれっ子』田口俊樹訳、武田ランダムハウスジャパン、二〇一一

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