Evguénie Sokolov(1980)Serge Gainsbourg
『スカトロジー・ダンディスム』(写真)は、天才にして変態のセルジュ・ゲンズブールが書いた自伝的小説です。
彼は音楽家以外にも、画家や映画監督、俳優としても活躍した正に時代のアイコンでしたが、作家としても才能を発揮しています。
『スカトロジー・ダンディスム』は、ゲンズブールの華々しい女性遍歴、革新的だがエロティックな歌詞、数々の奇行、酒と煙草に溺れる、ロリコンといったイメージを覆すことのない、変態的で奇抜な小説で、ある意味、アルフレッド・ジャリやボリス・ヴィアン、アルフォンス・アレー、カミらよりもぶっ飛んでいます。
原題は主人公の名前から取られており、エフゲニー・ソコロフというロシア人の人生を描いていますが、ゲンズブールも本名をリュシヤン・ギンスブルグといい、父はユダヤ系ロシア人、母はクリミア半島出身のロシア人です。
絵画を諦め、音楽の世界に移ったゲンズブールと異なり、ソコロフは画家として名声を得ることに成功します。
しかし、彼は幼少期から、強烈な臭い、かつ爆発のように凄まじい屁をひるという疾患に悩まされます。
肛門に指を突っ込んでガス抜きをしたり、マゼッパという犬を飼って、そいつのせいにしたりしますが、画家として有名になってからは、屁は寧ろ偉大さを示す特徴となります。
その上、屁が出ないと、思うような作品を作れなくなってしまうのです。
邦題は「スカトロジー」とつけられていますが、糞尿の話はほとんどなく、ひたすら屁と肛門について語られます。
例えば、ゲンズブールが監督した映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』でも、スナック(フランスで軽食を提供する店)の店主ボリスが屁をこきまくり、ガスタンクと揶揄されます。
また、この映画では、主人公のクラスがゲイなのに、ジョニーという少年のような女性(ジェーン・バーキン)を好きになります。そして、彼女とベッドインしますが、セックスできないのです。
ところが、彼はアナルセックスなら可能なので、痛がって大騒ぎするジョニーのアヌスに無理矢理挿入します。
何のことはない、クラスはゲイというより、肛門性愛者なわけです。
このように、『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』は愛人のバーキンを使って、肛門愛を全開にした変な映画ですが(ジャン=リュック・ゴダールが絶賛したらしい)、そもそもゲンズブールのデビュー曲である「リラの門の切符切り」の歌詞に繰り返し登場する「des petits trous(小さな穴)」だって肛門を指すのかも知れません(ちなみに、バーキンは、アニエス・ヴァルダ監督の『アニエスV.によるジェーンB.』というドキュメンタリー映画で、「インタビューや写真でいつもカメラをみていないわ」とヴァルダに質問され、「穴が嫌いなの」と答えている)。
『スカトロジー・ダンディスム』のソコロフも、娼婦や男娼とアナルセックスを楽しみますが、ウケの方を試してみたところ、まるでよくないと諦めてしまいます。
また、彼は、のべつ幕なし放屁するものの、スタイルもよくダンディー。そして、十一歳の聾唖の少女アビゲイルに恋をするのです。
この辺も、ゲンズブールにそっくりですね。
一方、悪趣味な展開は延々続きます。
ソコロフは、尻の穴にゴム管を挿入し、ガス自殺を図ったり、糞便まみれの尻の穴を紙に押しつけ、襞を写し取った作品を発表したりして、世間の顰蹙を買います。そして、ついには痔の手術中に腸が爆発し、壮絶な最期を遂げるのです。
「寓話」とあるものの、教訓的なものは見当たらず、ひたすら悪ふざけを繰り返している点は、いかにもゲンズブールらしいといえます。
「穴は、前か後ろかは関係ない。つながることが大事なんだ」といいつつ、後ろの穴にこだわったところも、何だかカッコよく思えてきます。
フランスにも「いたちの最後っ屁」に似たことわざがあるのかどうか知りませんけれど、埋葬の際にも棺を吹き飛ばすほどのガスを放ったソコロフのような死を、ゲンズブール自身、望んでいたのかも知れませんね。
『スカトロジー・ダンディスム −天才画家エフゲニー・ソコロフの奇妙な生涯』田村源二訳、福武書店、一九九一
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