読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『アイオワ野球連盟』W・P・キンセラ

The Iowa Baseball Confederacy(1986)W. P. Kinsella

 W・P・キンセラは、二〇一六年に、カナダにおける安楽死法で自ら死を選びました(『かも猟』のユゴー・クラウスも合法的な安楽死だった)。
 彼は、一九八〇年代以降の代表的な野球小説の書き手であるとともに、ファーストネーション(カナダにおける先住民。米国でいうところのネイティブアメリカンやインディアンのこと)ものでも評価が高かっただけに残念でなりません。
 野球という北米と共通の文化を持つ日本でもキンセラは人気が高く、我が国オリジナルの『マイ・フィールド・オブ・ドリームス』なんて本も出版されました。

 どちらかというと短編に秀でた作家といわれていますが、短編は放り投げたような曖昧な結末が多く、個人的には長編の方が好きです。
 最も有名なのは、映画『フィールド・オブ・ドリームス』の原作である『シューレス・ジョー』です。あれは、こんな話でした。

 アイオワでトウモロコシを栽培しているレイ・キンセラが、謎の声に従い野球場を作ります。すると、そこへブラックソックス事件で追放処分を受けたジョー・ジャクソンを含む八選手(アンラッキーエイト)が現れます。
 さらにレイは、彼らでは足りないポジションである捕手と右翼手を探すため、J・D・サリンジャーとともに旅に出ます。捕手にはマイナーリーグ止まりだった自分の父親を、右翼にはニューヨーク・ジャイアンツでたった一イニングだけ守備につき、打席に一度も立てずに引退したムーンライト・グラハムという無名の選手を起用します。

 アメリカ人のみならず、米国とベースボールに憧れた日本人も郷愁に駆られ、泣けること請け合いの小説です。野球ファンとしても、不遇だった選手(特にグラハム)にスポットライトを当ててくれたのが嬉しかった。また、野球の薀蓄〔なぜ左投手をサウスポー(南側の手)というのか、など〕も豊富なので飽きずに読み進められます。
 勿論、良質なファンタジーでもあるので、野球に興味がない人も楽しめる作品です。

 ただし、処女長編のせいか、色々なものを詰め込みすぎという印象を受けるのも確かです。
 特に気になるのは、サリンジャーの存在です。謎に包まれた隠遁作家を登場させたかった気持ちは分からなくもありませんが、主人公を完全に食ってしまっています。ここは野球のみに絞った方がスッキリしたのではないでしょうか(※)。

 野球を中心にしつつ、周辺の様々な事柄に言及するというスタイルは、次作の『アイオワ野球連盟』(写真)にも受け継がれます。ただし、こちらはノスタルジーを強調するのではなく、アイオワの人々や歴史を、伝統的なほら話の手法を用いて描いたといった感じ。
 このブログで取り上げた小説でいうと、ピーター・ケアリーの『イリワッカー』が近いでしょうか。さらに架空の野球リーグに取り憑かれる様はロバート・クーヴァーの『ユニヴァーサル野球協会』のようでもあります。
 要するに、人生の中心に野球がある者たちの物語で、僕にとってはハンガーカーブ(肩口から入ってくる打ちごろのカーブ)といえる作品です。

 舞台は、アイオワ州オナマタ。後に妻となるモーディと出会った日、マシュー・クラークは雷に打たれ、突如、頭のなかに「アイオワ野球連盟(IBC)」が浮かび上がります。これは一九〇二年に設立され、一九〇八年、IBCオールスターズ対シカゴ・カブスの試合後、消滅してしまった謎のリーグです。
 やがて、クラーク夫妻には娘エノラ・ゲイと息子ギデオンが生まれますが、妻と娘は家を出、マシューも野球観戦中にライナーが頭に当たり亡くなってしまいます。父が死んだ瞬間、ギデオンの頭のなかにIBCの情報が受け継がれます。
 マシューの後を継ぎ調査を開始するギデオン。やがて、彼は「時間の裂け目」を抜け、IBCオールスターズ対カブスの試合が行なわれた球場に辿り着きます。

 野球は、記憶より記録(スタッツ)のスポーツです。
 飲み屋でおっさんと議論するときも、ルールを知らない女性に説明するときも、仲間と思い出を語るときも、スタッツを抜きにしては始まりません。
『ユニヴァーサル野球協会』のヘンリー・ウォーが、自ら作った野球ゲームにおいて、こと細かなデータを記憶したように、この小説のマシューも架空のリーグについての詳細な情報をまとめてゆきます。

 いや、そもそもマシューが野球に取り憑かれたきっかけは、現実の野球ではなく、叔父に教わったボードゲームでした。これを使って彼は、架空の野球チームを想像するのですから、ウォーと全く同じ道を歩んだといえます。
 ウォーと異なるのは、自分の頭のなかで作り上げた架空のリーグを他人に認めさせようとするところ。マシューは大学院の歴史学科において『アイオワ野球連盟小史』という二百八十八頁の論文を提出しますが、当然ながら指導教官には認められず、「小説家になれ」と皮肉られてしまいます。

 IBCのことを知る者はクラーク親子をおいてほかになく、ふたりはある種の狂人といえますが、ギデオンは「時間の裂け目」という概念でそれを説明しようとします。
 その理屈、というより信念は魔法を現実にし、ギデオンは架空の過去へと飛ぶのです。
 勿論、『アイオワ野球連盟』は『シューレス・ジョー』同様、リアリズムの文脈で非現実的なことが起こるマジックリアリズムですから違和感なく物語に溶け込んできます。
 オナマタにはギデオン以外に、逆戻り病という乳児に戻ってしまう病気が流行ったり、ダイナマイトで爆死した人の破片を集めて生き返った人をみたことがある人もいます。
 キンセラによると、野球はほかのどのスポーツよりも魔術的なできごととつながりやすいそうです。

 ギデオンが荒唐無稽な夢をみるのは、人生が波乱に満ちているからでしょう。
 幼い頃、母と姉が家を出て、高校生のとき、父がライナーにあたって死亡します。母の再婚相手の遺産が転がり込んできたので不自由のない生活はできますが、妻のサニーは家出を繰り返しています。それでも彼女のことを愛しているので、ひたすら待つことしかできません。
 本人に責任がないのに家族を持つことができないという苦悩は、現実逃避という道に向かわせます。それがIBCや、オナマタの町名の由来となったインディアン(オナマタとは、ブラックホーク族の戦士ドリフティングアウェイの妻の名)なのです。
 そして、それらは、大人になっても上手く生きられずもがくギデオンの希望としても描かれます。

 キンセラは「野球と魔術」という『野球引込線』のあとがきで「九回裏ツーアウトからバッターがサヨナラ・ヒットを打つか、ピッチャーが最後のバッターを三振にうちとる、といった劇的な場面はほとんどない。わたしの好みをいえば、その手の作品は退屈なだけだ。ひとつひとつのプレーを細かく追った作品は大体において失敗する」と書いています。野球もファンタジーも人生とかかわってこそ意味があると主張したいのではないでしょうか。
 文学的にはご尤もな説ですが、野球ファンにとってはちと寂しい。試合を丹念に追って、ベタでもいいから劇的な結末を演出して欲しいというのが本音ではあります。

 が、心配はいりません。『アイオワ野球連盟』の「第二部 試合」において、キンセラは前言を撤回するように、たっぷりと試合経過を辿ってくれるのです。「たっぷり」とは、どれくらいかというと……。
 IBCオールスターズ対カブスは、ダブルヘッダーが予定されていたため、第一試合は七回までと決められていました。しかし、同点のまま延長戦に入ってしまったため、二試合目は中止となります。いや、それどころか、試合は二十四回を終えても決着がつかず、翌朝続きをすることになります。
 しかし、両軍一歩も譲らず、試合は何と、延長二千六百十四回、四十日間も続くのです(結果はバラさない)。

 カブスはシーズン大詰めで首位争いをしているにもかかわらず、アマチュアチームと決着をつけるためアイオワに滞在し続けます。一九〇八年のカブスは、リーグ三連覇、ワールドシリーズ連覇を達成する最強チームで、普通に考えればアマチュアに手こずるはずはありません。
 そもそも両チームとも選手交代をほとんどせず戦い続けたり、まるで『百年の孤独』のマコンドのようにひたすら雨が降り続けたり、ドリフティングアウェイが現れたり、右翼手が打球をどこまでも追いかけてゆき行方不明になったり、黒い天使の像がプレイをしたり、レオナルド・ダ・ヴィンチが時空を超えて迷い込んできたりするのですから、マジックリアリズムあるいは壮大なほら話が好きな僕には堪らない。
シューレス・ジョー』では盛り込み過ぎと感じたネタは、ここではすべて野球に絡むこと、また現実を遥かに超えた過剰さ故、全く気になりません。

 ちなみに、回数・時間無制限のメジャーリーグにおいて、最長延長記録は一九二〇年のボストン・ブレーブス対ブルックリン・ロビンス(後のドジャース)の二十六回です。作中で「確かカブスがからんだ」とギデオンが思い違いをしますが、これはキンセラの意図的な間違いでしょう。

 なお、『シューレス・ジョー』は「Shoeless Joe Jackson Comes to Iowa」という短編を元に書かれ、そこからさらに「天然芝の歓び」という短編が生まれましたが、『アイオワ野球連盟』にも「野球引込線」という原型があります(「世界の終末と優勝を秤にかけて」のネタも少し加わっている)。

「野球引込線」は『アイオワ野球連盟』の八十四頁から百二十二頁に、ほぼ丸ごと取り込まれています(短編の主人公は、ギデオンではなくジャックという名前)。
 この短編において「アイオワ野球連盟」はまだ具体的になっておらず、主に妻サニーとの関係が語られます。しかし、長編では過去で出会うセアラや、ダウン症候群の女性ミッシーの方に重点が置かれており、サニーは影が薄く、ほぼ短編の部分にしか登場しません。
 人生の苦さを巧みに表現した出来のよい短編だけに、無理矢理長編に嵌め込む必要はなかった気がしますね。

※:「ニックネームの由来」という短編には、サリンジャーやバーナード・マラマッド、フラナリー・オコナーらが登場する。

アイオワ野球連盟』永井淳訳、文藝春秋、一九八七

→『インディアン・ジョー』W・P・キンセラ

野球小説
→『ユニヴァーサル野球協会ロバート・クーヴァー
→『12人の指名打者ジェイムズ・サーバーポール・ギャリコほか
→『野球殺人事件』田島莉茉子
→『メジャー・リーグのうぬぼれルーキーリング・ラードナー
→『ドジャース、ブルックリンに還る』デイヴィッド・リッツ
→『ナチュラル』バーナード・マラマッド
→『シド・フィンチの奇妙な事件ジョージ・プリンプトン
→『プレーボール! 2002年』ロバート・ブラウン
→『赤毛のサウスポー』ポール・R・ロスワイラー
→『プリティ・リーグ』サラ・ギルバート
→『スーパールーキー』ポール・R・ロスワイラー

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