読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『日時計』クリストファー・ランドン

The Shadow of Time (a.k.a. Unseen Enemy)(1957)Christopher Landon

 ミステリーや犯罪小説は余り読まない上、世代ではないため、植草甚一が監修した「クライム・クラブ」という叢書は一冊も持っていません。
 にもかかわらず、その後、創元推理文庫に入った小説は結構読んでいます。つまり、かなり遅れて、植草のセンスの恩恵を受けていることになるわけです。

 フレッド・カサックの『殺人交叉点』、ウィリアム・モールの『ハマースミスのうじ虫』、ビル・S・バリンジャーの『歯と爪』などは特に好きで、そこにクリストファー・ランドンの『日時計』(写真)も加えてよいかも知れません。

 ランドンはほかに邦訳もなく、映画『恐怖の砂』の原作・脚本を担当したこと、五十歳の若さで中毒事故死したことしか知らないので、早速、あらすじを書いてみます。

 ロンドンの私立探偵ハリー・ケントは、美容師のジョン・ステビングズから依頼を受けます。彼の三歳の娘マーガレットが誘拐されたので探して欲しいというのです。
 ステビングズが警察に知らせないのには理由がありそうですが、子どもを助けるため、ハリーは妻のジョウン、恐るべき知識と調査能力を有するものの、時代に適応できず不遇をかこつジャーナリストのジョシュア・ポンティング(ジョッシュ)の協力を得て、調査に乗り出します。

 この小説の最大の特徴は、テンポのよさです。
 私立探偵が主人公のミステリーやハードボイルドは、ペダンチックだったり、細部にこだわったりする余りなかなか先に進まないと相場が決まっていますが、『日時計』はまるで正反対。驚くべきスピードで物語が展開してゆきます。

 そもそも、犯人が一頁目で明らかになる、ある意味では倒叙ミステリーなのですが、ときを遡り、実際に捜査が始まっても、ハリーはあっという間に犯人を割り出してしまいます。
 最初から容疑者がひとりに絞られているミステリーには、A・A・ミルンの『赤い館の秘密』や、イーデン・フィルポッツの『闇からの声』などがありますが、それらより遥かに堂々としています。
 前述のとおり、ランドンの作風は分かりませんが、少なくとも『日時計』では、魅惑的な謎で引っ張るつもりも、謎解きの爽快感を味わわせるつもりもないことが明白です。

 前半は、犯人から送られてきた娘の写真をジョッシュに託し、影の長さから緯度を割り出させます。一方、ハリーとジョウンは、ステビングスの住む村へゆき、そこで犯人や、誘拐した理由などを突き止めます。特に、少女の影と排水管の形だけで、フランスの城にいることを推理してしまうジョッシュは、天才を通り越して、ご都合主義的です。
 この小説は文庫本で二百八十頁ありますが、ここまでで約半分です。

 後半は、舞台をフランスに移します。娘は十二の城のいずれかに軟禁されていることが分かったため、三人は虱潰しに当たってゆきます。
 今までがミステリーだとしたら、ここからは冒険小説に変わります。といっても、大立ち回りを演じるというより、知恵と機転、そしてユーモアを交えて窮状を切り抜けてゆくのです。
 映画と違って、小説ではその方が読み応えがあると思います。

 三人のキャラクターも悪くありません。
 ケント夫妻は正義感が強く、誠実なのはお約束として、現代のエンタメ小説ならジョッシュは能力こそ高いものの、エキセントリックなトラブルメーカーとして描かれると思います。
 ところが、彼は酒を控えろといわれればきちんと従いますし、自分を犠牲にしても恋人や仲間を救おうとする、熱くていい奴なのです。さらに、味方も吃驚するようなアイディアを次々に繰り出す点は、とても楽しい。

日時計』は、とにかく徹底してスピード感を重視しているのが潔い小説です。
 例えば、ジョッシュは、フランスの宿屋の若い女性フランソワーズと恋に落ちるのですが、たった一晩泊まっただけで結婚を決意します。一目惚れならともかく、結婚はさすがに早すぎる気がしますが……。

 こうした小説の場合、いつもより少し早めにベッドに入り、一気に読んでしまった方がよいでしょう。
 翻訳は丸谷才一なので文章は澱みなく流れ、まるでアクション映画を一本みた感覚で読了できると思います。ほどよい疲れと、良質のエンタメ小説を堪能したという満足感で、心地よく眠れるはずです。

日時計丸谷才一訳、創元推理文庫、一九七一

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