読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『原子の帝国』『銀河帝国の創造』A・E・ヴァン・ヴォークト

Empire of the Atom(1957)/The Wizard of Linn(1962)A. E. van Vogt

 A・E・ヴァン・ヴォークトの長編シリーズの翻訳は、各二冊ずつ出版されています。

 「イシャー」シリーズ:『イシャーの武器店』『武器製造業者』
 「非A」シリーズ:『非Aの世界』『非Aの傀儡』
 「神」シリーズ:『原子の帝国』『銀河帝国の創造』

「非A」は代表作にもかかわらず、どういうわけか『Null-A Three』のみ訳されていません。
 また、『銀河帝国の創造』だけは創元文庫やハヤカワ文庫ではなく、久保書店の「SFノベルズ」から出版されました。そのせいか、やや入手が難しくなっています。

「SFノベルズ」は、同じ久保書店から刊行されていた「QTブックス」の続きのような叢書です。一九七九年から一九八一年の約二年間に十五冊が発行されました。
 古いスペースオペラ中心のラインナップだったので、それほど興味はそそられませんでしたが、個性的なカバーイラストは異彩を放っていました。そのままの形で復刊したら、案外、新鮮かも知れません。

「神」シリーズは、未来や宇宙を舞台にした、中世的なワイドスクリーンバロックです。火星や金星で戦争を行えるほど科学技術が発達していながら、通信は手紙ですし、テレビや複写機すら普及していません。
 尤も、現代の人がヴォークトを読む場合、レトロなSFを懐かしむという意図が大きいように思います。余談ですが、ドゥニ・ヴィルヌーヴの『デューン』は、テーマや設定は古臭いのに、映像だけ新しくて何ともチグハグな印象を持ちましたが、こうしたSFは、やはり映画よりは小説の方が楽しめますね。
 なお、「神」シリーズは、『宇宙船ビーグル号の冒険』同様、魅力的なエイリアンが登場し、『スラン』同様、ミュータントものでもあります。

原子の帝国写真
 銀河戦争から一万二千年後の地球。誕生したばかりのリン帝国は、ウラニウムラジウムプルトニウム、エックスの神を信仰しています。
 皇帝メドロン・リンに孫クレインが生まれますが、リン王家に敵意を抱くラハインル家の陰謀により、奇形のミュータントの姿をしていました。

 クレインは、存在をほぼ無視されながら成長します。一方、リン帝国は火星との戦争を始めます。指揮を取るのは皇帝の息子で、クレインの父親であるクレッグです。
 しかし、クレッグが暗殺されると、クレインは僅か十六歳にして、神殿の主任科学者になるのです。
 やがて、皇帝も没し、彼の後妻でクレインの継祖母であるリディアは、唯一の邪魔者である彼を亡き者にしようとします。

 一九四六年から一九四七年にかけて「アスタウンディング」に連載された五つの短編をまとめた中編です。二百頁弱なので、文庫本では「見えざる攻防」と合わせて一冊になっています。
 なお、筋書きは、ロバート・グレイヴスの『この私、クラウディウス』を元にしているといわれています。

 この作品では、クレインの誕生から、原子の魔術師として覚醒するまでが描かれます。リン帝国的には、火星での戦争、金星での戦争、そして、木星の衛星エウロペによる侵略戦争が駆け足で語られます。
 何しろ、二百頁弱で年代記を記すわけですから、まるで教科書のように淡々と進んでゆくのが特徴です。詰まらなくはありませんが、『銀河帝国の創造』の要約版のような印象です。
 時間の経過が速いため、主要人物は次々に死んでゆきますし、クレインの人物描写も不十分で、この時点では魅力があるとはいい兼ねます。

銀河帝国の創造写真
 前作で、金星の遺跡から原子の兵器を手に入れたクレインは、それを用いてエウロペを退けましたが、エウロペの指導者であるツィンツァールから、異星人の死体をみせられます。
 それは、リスと呼ばれる星の侵略者が身近に迫っている証でした。

 太陽系などいとも容易く征服できるほどの戦力を有するリスの脅威だけでなく、リン帝国では政権を握るクレインの兄ジェリンが、妻のリリデルに暗殺されます。リリデルは放蕩者の息子カライに跡を継がせようとしたのです。
 また、ツィンツァールは隙をみて、クレインのエネルギー球を盗み出します。
 内外に二重三重の問題を抱えたクレインは、自分を暗殺しようとした少女マデリーナ・コーゲイとの結婚を決断します。

 ヴォークトは、あらゆる要素を詰め込み、複雑に絡み合わせることによって、読者の興味を惹きつけることが得意ですが、この作品も例に漏れません。闇雲に戦争を仕掛け、突出した個人の力や運を当てにして解決するというやり方を取らないのです。
 例えば、『スラン』で、主人公のジョミー・クロスは、人類、スラン、無触毛スランの三つ巴の戦いを、能力者同士のバトルという形では決着させようとしませんでしたが、クレインもそれと同様、強敵と軽々しく戦ったりしません。ツィンツァールに無能呼ばわりされても、道筋がみえるまでひたすら足掻くのです。
 ドンパチを期待する人にとっては少々間怠っこしいのですが、引っ張られるだけ引っ張られることで読書の推進力は増してゆきます。

 さて、クレインは、奪った敵船ソーラースターで、リスを排除するための手立てを求め、宇宙の探索に向かいます。
 一年後、ツインワンという双子の惑星に辿り着きます。その惑星は余り文明が進んでいませんが、リスと交易をしている様子でした。しかも、一切機器をを使わず、ふたつの惑星間を行き来しているのです。ここに攻略の手がかりがありそうです。
 やがて、クレインは宇宙を手に入れ、「神」となります。リンとの戦争を終結させ、内政問題も解決しますが、なぜか銀河の英雄であることは周知されません……。

 銀河戦争が、ほぼひとりの思惑で進むという、スケールが小さいんだか、大きいんだか分からないSFです。
『宇宙船ビーグル号の冒険』は、エイリアンの心理を描いたことで高評価を得たのですから、リス側の視点があってもよかったかなと思います。

 また、ヴォークトは夢のアイディアを活用したり、八百文字で物語を組み立て、シークエンスごとに山場を入れるといった創作方法を採用していることが知られています。けれど、それをすると、どうしてもいきあたりばったりに感じられる部分が出てきます。
 出しっ放しで上手く処理できなかったキャラクターや、しっかり書き切れなかった内政問題などは、却って煩わしく感じました。

 アイディアの流用も結構あります。
 ツインワンは『宇宙船ビーグル号の冒険』のクァールがいた惑星のように塩素の濃度が高いですし、そこの人々はスランのように人の考えが読めます。
 というか、『銀河帝国の創造』は、ほぼ『原子の帝国』の焼き直しなのです。どちらも、異星人との戦争と政権争いを同時に描いており、展開もまとめ方もよく似ています。
 ひょっとすると、「原子の帝国」では枚数が少なすぎて中途半端に終わってしまったため、長編として思う存分、書き込むことにしたのでしょうか。満足感は「原子の帝国」より高いので、そういう意図なら成功といえます。

 色々と文句をつけてしまいましたが、大風呂敷を広げ、様々なアイディアやガジェット、設定を駆使して何とかまとめてしまうのはSFの醍醐味です。
 こういうことをミステリーでやったら怒られるけれど、SFなら終盤にすべてを覆すような新兵器が登場しても許せる気がします。
 特にヴォークトは、そういう子どもじみた手法が実に上手い作家です。攻撃してきた敵を逆に消滅させてしまう防護装置や、宇宙が丸ごと入っている球なんて、ほかの作家が手掛けたら白けるでしょうが、ヴォークトフィリップ・K・ディックなら逆に爽快です。
 そうした特性を生かしつつ、アイザック・アシモフの「ファウンデーション」シリーズのように長く書き続けていたら、「神」シリーズはもっと面白くなったかも知れませんね。

『原子の帝国』吉田誠一訳、創元推理文庫、一九六六
銀河帝国の創造』中上守訳、久保書店、一九八〇


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