読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ボロゴーヴはミムジイ』『御先祖様はアトランティス人』『世界はぼくのもの』ヘンリー・カットナー

Henry Kuttner(a.k.a. Lewis Padgett)

 ヘンリー・カットナー(※1)は二十近い筆名を用いたことで知られています。そのせいで、知らない作家が登場すると「またカットナーの変名か」と思われたそうです。
 筆名のなかには妻であるC・L・ムーアとの合作ペンネームも含まれ、しかもこのふたりはどちらがどこまで書いたか分からないくらい密接に結びついていたため、分類や仕分けをするのは余り意味がないかも知れません。

 日本では「ヘンリー・カットナー」、ムーアとの合作ペンネームの「ルイス・パジェット」のほか「ローレンス・オドネル」「ムーア&カットナー」という表記も用いられています。
 今回は、それらを区別せず、一括して扱うことにします。

 カットナーはペンネームだけでなく、作風も多彩です。クトゥルフ神話スペースオペラ、ホラー、ミステリーなども書いていますが、個人的には「SF短編」に愛着を持っています。
 それらを集めた日本オリジナルの短編集としては、以下の三冊があります(被りは一編のみ)。
  『ボロゴーヴはミムジイ』(※2)(写真
  『御先祖様はアトランティス人』写真
  『世界はぼくのもの』写真

 いずれも昭和に刊行されたもので、現在では古書店でも滅多に見掛けません(特に青心社SFシリーズの『世界はぼくのもの』はレア)。つまり、カットナーの新たなファンが生まれにくくなっているわけです。亡くなってから六十年以上経つので無理はないと思いつつ、ついつい再評価を期待してしまいます。
 というのも、カットナーは約二十年の活動期間中に二百を超す短編を書いており、邦訳されていないもの、雑誌に掲載されただけのものが数多く残されているからです。「ギャロウェイ・ギャラハー」「ホグベン一家」などのシリーズがまとまっていないこと(※3)、ユーモアSFの邦訳が少ないことが特に残念です。
 人気が再燃すれば、それらが単行本になるかも知れません。

 しかし、どんな種類のSFでも書けるカットナーの作風は、ロバート・シェクリイやウィリアム・テンなどと同様、古びてしまいがちです(こちらを参照)。「引き出しの多さ」や「器用さ」では時間との勝負に勝てず、時代を超えるために重要なのは「わけの分からなさ」という気がします。
 さらに、遠い過去の作品が新訳されるためには「この作者や作品を、今の若者に紹介したい!」という強い思いを持った翻訳者や編集者が必要ですが、カットナーにはそこまで熱狂的な信奉者が少ないのかも知れません。

 とはいえ、僕にとってカットナーは、SF小説を夢中で読んでいた頃を思い出させてくれる貴重な作家です。再読すると、SFに付随する様々な事柄が記憶の淵に浮かび上がり、懐かしさで一杯になります。
 そのように感じるおっさんは結構いると思うので、試しに新しい短編集を出版してみて欲しいのですが……。

 今回の感想文は、上記の三冊の短編集に加えて、アンソロジーに掲載された短編もいくつか紹介したいと思います。
 ……と、感想に入る前に、不思議な話をひとつ。
『世界はぼくのもの』の米村秀雄の解説は、『ボロゴーヴはミムジイ』の浅倉久志の解説と内容がほとんど同じです(『ミュータント』の福島正実の解説とも似ているが、こちらは逸話を拾っているようで、情報の少なかった当時はやむを得ないかも)。
 事情はよく分かりませんが、パクったのだとしたら相当のツワモノです。何しろ、同じ作家の単行本の解説なんですから、バレる確率はとんでもなく高いはずですから。うーん、不思議だ。

ボロゴーヴはミムジイ
大ちがい」A Wild Surmise(1953)
 現実でも夢でも精神科医の治療を受けているフートン。一方のフートンは人間で、一方は昆虫ですが、どちらが現実か分かりません。
 設定はありふれているので、どんなオチを持ってくるかが重要になります。フートンの心の問題と思わせておいて、複雑な方向へ落としてきました。ただし、解釈は読者に委ねられます。

今、見ちゃいけない」Don't Look Now(1948)
 地球人に化けて潜伏している火星人がいるらしいと、バーテンが新聞記者に相談します。それを聞いた新聞記者は、三つ目の男が写る赤外線写真をみせ、これが火星人かと尋ねます。
 古典的なネタですが、こういうの好きなんですよね。映画『赤い影』と原題が同じですが、あちらの原作はダフネ・デュ・モーリアの「いま見てはいけない」です。

幽霊ステーション」Ghost(1943)
 南極のステーションに幽霊が出るようになりました。それは双極性障害で自殺した職員の意識を原子脳が感じ取ったことによるものです。精神科医のフォードは、双極性障害の患者をステーションで治療することで、原子脳も同時に治しますが……。
 双極性障害は、分裂症に比べて治癒しやすいとフォードはいいます(彼自身は分裂症)。結末は読めますが、その後の事態を想像すると……。

ハッピー・エンド」Happy Ending(1948)
 ケルヴィンは、未来からきたロボットに会い、未来人の意識と接触できる装置を交換で手に入れます。それを使って富と健康を得ようというのです。
 物語を三つの時間軸に分け、後ろから物語る形式です。ただし、タイムトラベルがかかわるため、最後のパートは物語の始まりでもあり、未来のできごとでもあります。特殊な構成ですから、そこには当然、読者の錯覚を誘う仕掛けが施されています。SFならではの見事なトリックです。

第三のドア」Threshold(1940)
 悪魔はハガードと契約するに当たって三つのドアを提示します。青いドアが第一の願いを、黄色いドアが第二の願いを叶えてくれます。第三のドアは何色か分からず、それを開けるとハガードは悪魔に喰われてしまいます。さらに、ふたつの願いが叶った時点で、ハガードの体には小さな変化が起こるといいます。
 第三のドアの色さえ分かればハガードは丸儲けですが……。悪魔とハガードの騙し合いが読みどころです。

トォンキィ」The Twonky(1942)
 電気蓄音機を購入したケリイですが、すぐに調子がおかしいことに気づきます。自由に歩き回り、煙草の火をつけたり、皿を洗ったり……。やがて、電蓄はケリイを再教育して独創力を奪ってしまいます。
 宇宙人あるいは異世界人が、洗脳のための機械を送り込むなんて話はよくありますが、電蓄がピョコピョコ歩き回る姿を想像すると笑えます。

ヘンショーの吸血鬼」Masquerade(1942)
 嵐の夜、宿に辿り着いたデナム夫妻を出迎えたのは不気味な老人でした。この辺りにはヘンショーの吸血鬼の伝説が残っているといいます。
 昔読んだとき、「おおーっ」と思った記憶があります。吸血鬼の話なのに終始陽気なトーン……となると、オチはこれに決まってますね。

未来回路」Line to Tomorrow(1945)
 フレッチャーの家におかしな電話が掛かってきます。混線しているようで、こちらの声は相手に届きません。会話を聞いて作ってみた薬や方程式が凄い効果を齎したことや、大統領や株価の違いから、どうやら未来からの電話のようです。ある日、また電話が混線して、フレッチャー自身のことが話題になります……。
 未来からの電話で、自分の将来を知ってしまったら、しかも「それが悲惨なものだったら気が狂う」のも仕方ありません。問題は「卵が先か、鶏が先か」ですね。

ガラスの狂気The Cure(1946)
 ドーソンは、埃まみれの窓ガラスと死んだ蝿の臭いという幻覚・幻臭に悩まされます。しかも、彼は窓ガラスの方が現実のような気がして、精神科医の治療を受けますが……。
「どちらが現実か」というネタは「大ちがい」と似ていますが、こちらの方が分かりやすい。悲しいけれど、僕もドーソンと同じ選択をするでしょう。

ボロゴーヴはミムジイ」Mimsy were the Borogoves(1943)
 遥か未来の何者かがタイムマシンの実験のため、息子の玩具を過去に送ります。ひとつは十九世紀に、もうひとつは二十世紀に……。二十世紀にそれを拾った少年は妹とともにその玩具に夢中になります。その結果、彼らは人間とはかけ離れた思考法を身につけるようになります。
 タイトルは、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』の「ジャバウォックの詩」から取られています。ということは、十九世紀に送られた玩具とは……。タイトルストーリーに相応しい名作です。

御先祖様はアトランティス
御先祖様はアトランティス」See You Later(1949)
 アトランティスの沈没以降、数百年ごとに住む場所を変えざるを得ない長命のミュータント一家、それがホグベンです。息子八人をホグベン一家に殺されたヤンシー爺さんは、償いの代わりとして自分を二十二億に分裂させて、世界中の人々の目の前に送るよう要求します。なぜなら……。
 設定も登場人物も展開も滅茶苦茶で、奇人たちが繰り広げる混沌の世界が広がります。カットナーの本領発揮(?)といえるシリーズで、もっと読みたいのですが、全五作中、一作目の「The Old Army Game」が未訳で、残りの「教授退場」「トラブル・パイル」「冷たい戦争」は単行本に収録されていません。悲しい……。

銀河世界の大ペテン師」The Voice of the Lobster(1950)
 マクダフと、ロブスター型のアルゴル星人は、美女や貴重な香水の元である種子を巡って争っています。マクダフは密航した宇宙船で、大きな賭けに出るのですが……。
 よくあるスペースオペラと思いきや、意外なオチが用意されています。扉のイラストは、じっくりみない方がよいかも。

ジュークボックスのお告げ」Juke-Box(1947)
 バーの片隅にあるジュークボックスのお告げにより、酒飲みで文なしのフォスターは競馬に勝ち、ヒット曲を生み出します。しかし、毎日新しくなるレコードは誰がセットしているのでしょうか。
 オチは、よくあるパターンです。競馬の件は、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』のパクリかな。

金星サバイバル」The Iron Standard(1943)
 金銀を持って金星にいった地球の親善大使たちは困り果てていました。金星では金銀は無価値で、代わりに鉄が重要です。食べものが欲しくても地球人は交換するものを持っていません。ターコマーと呼ばれる組合に入っていないと働くこともできず、組合に加入するには金が必要です。八方塞がりの状況を打破するため、考え出した策は……。
 三百年システムに変化がなく、それで不便もないため、地球人の訪問を歓迎しない金星人たち。積極的に排除することはできないので、のらりくらりとかわす……。まるで幕末の日本のようです。古い体制を壊した先に、新しい夜明けが待っています。それがよいかはともかくとして……。

地の底に棲む鬼」A Gnome There was(1941)
 労働組合員のクロケットは、身分を隠して炭鉱に潜入します。それが鉱主にバレ、ダイナマイトで爆破され、気がつくと地鬼(ノーム)に変わっていました。地鬼は、皇帝によって過酷な労働を課されており、クロケットはここでストライキを計画します。
 炭鉱夫相手でも地鬼相手でもやることは同じと思いきや、そうは問屋が卸しません。理屈が通用せず、しっちゃかめっちゃかになるところが笑えます。

世界はぼくのもの
世界はぼくのもの」The World is Mine(1943)
 ギャロウェイ・ギャラハーは酔うと素晴らしい発明をするのですが、素面になったとき何も覚えていません。朝起きると、三匹の喋る兎のような生物リブラが現れ、裏庭にタイムマシンと老人の死体がありました。
 死体は未来のギャラハーで、世界征服を狙う男が現れ、さらに熱線放射器や精神接続装置といったガジェットも登場し、状況は混沌としてきます。それらを上手くつなぎ合わせ、僅かな枚数でまとめる手腕はお見事です。リブラたちは余り関係なかったけど、可愛いからいっか。
「ギャロウェイ・ギャラハー」シリーズは全五作、「Ex Machina」は未訳で、「自惚れロボット」「ギャラハー・プラス」「次元ロッカー」は雑誌やアンソロジーに収録されています。

どん底より」De Profundis(1953)
 精神病院に入院しているロジャースは、幻覚や幻聴に苦しめられます。異なる時空からやってた「訪問者たち」と「雲」がロジャースを奪い合い……。
 狂気を扱うSFは、妄想なのか、本当に異世界の者が接触しているのか、読者が迷うように書かれることが多いのですが、これもそのひとつです。医師からは正常と判断されるものの、本人は狂気のまま「雲」に操られていると感じています。「正常のふりができる狂人は正常と判断してよいのか」というややこしい疑問が生じるところがミソです。

ショウガパンしかない」Nothing But Gingerbread Left(1943)
 大学で意味論を教えているラザフォードは、特異なリズムと無意味な歌詞の歌をドイツ語で作り、ドイツに広めました。すると、党員は歌に気を取られ、明らかにミスが増えます。やがては、ヒトラーの演説にまで影響が出て……。
 不思議と頭から離れないメロディがあります(僕は関西人でもないのに、なぜかグランシャトーのCMソングが消えてくれなくて困ることがある)。第二次世界大戦中に書かれた短編だけに、カットナーは本気でこんな作戦を考えていたのかも知れません。

小人の国
 上記「地の底に棲む鬼」と同じ作品です。

大いなる夜」The Big Night(1947)
「ラ・クカラチャ」は、物質転送装置が開発されたせいで時代遅れになったハイパーシップです。仕入れようとしたキノコを転送装置に奪われたと知ったダンバーズ船長は、地球に戻らず、危険な航海を選択します。
 時代に取り残された船長とオンボロ宇宙船、そして若い航宙士ヒルトンの物語です。決死の冒険を描きながら、滅びゆく技術とともに生きようとする人たちを慈しんでいます。カットナーはこうした叙情SFも上手いのですが、船長とヒルトンをアーサー王ランスロットに譬えているのが気になります。彼らは最後には決裂してしまうので……。

そのほか
花と怪獣」Beauty and the Beast(1940)
 金星へいっていた宇宙船が地球に不時着します。休暇で田舎を訪れていたカースは宇宙船のなかから植物の種と宝石のような卵をみつけ、こっそり持ち帰りました。やがて、美しい花が咲き、醜い怪獣が生まれます。
 怪獣の巨大さや姿形をみて地球人は知能の低い凶暴な生物と考えがちですが、実は高度な知性を持っていました。そして、地球人に重大なメッセージを伝えようとしますが……。対比の鮮やかさが、シンプルだけど衝撃的なオチの効果を高めています。何ごとも、みた目で判断してはいけませんね。
(『キング・コングのライヴァルたち』ハヤカワ文庫に収録)

著者謹呈」Compliments of the Author(1942)
 手に入れたネタで強請りをしている新聞記者のサム・トレシー。魔術師グインを脅迫したところ、誤って彼を殺してしまい、グインの使い魔の猫メグに命を狙われます。しかし、サムは、グインの日記を手に入れます。この手帳にはピンチを救ってくれる十のヒントが書かれていました。
 ヒントを上手く生かしてメグと戦うサムは、冒険小説のヒーローのように颯爽としています。が、よく考えると彼は相当な悪党なのです……と思っていたら、結末はきちんとホラーになりました。
(『猫に関する恐怖小説』徳間文庫、『もっと嫌な物語』文春文庫に収録)

ロボット貯金箱」Robots Have No Tails(1942)
 バラードは人造ダイヤモンドで大儲けを企みますが、ダイヤはすぐに盗まれてしまいます。そこで、ひたすら逃げ回るロボット金庫「アルゴス」を技術者のガンサーに作らせます。その後、秘密が漏れないようガンサーを殺すと、合言葉が変わりアルゴスを止められなくなりました。
 現実離れした設定の割に重苦しく、笑いもオチもないのが残念です。おまけに、浅ましいおっさんが主人公だし、アルゴスも中世の騎士みたいで可愛げがないので、コバルトシリーズに収録されるのには相応しくありません。
(『ロボット貯金箱』集英社文庫コバルトシリーズに収録)

住宅問題」Housing Problem(1944)
 若い夫婦の家に間借りしているヘンチャードは、鳥籠に袋を被せてなかをみせません。ヘンチャードが一週間留守にしたとき、気になった夫婦が袋を取ってみると、そこには鳥ではなく、ミニチュアの家がありました。どうやら、小人が住んでいるようですが……。
 小人は家賃の代わりに幸運を齎してくれます。けれど、夫婦が余りに何度も覗き込むので出ていってしまいます。その次にやってきた者が問題なわけですが、まあ、幸運なんて、これくらいでちょうどよい気がします。
(『怪奇小説傑作集2』創元推理文庫に収録)

その名は悪魔」Call Him Demon(1946)
 ジェーンが子どもの頃、祖母の家で過ごしたとき、叔父叔母や従姉妹に混じって、偽の叔父がいました。大人たちはその男が悪魔だとは気づかないため、子どもたちは小遣いで生肉を購入し与えていました。
 悪魔が無邪気な子どもに負けてしまう話はショートショートの定番と化していますが、これはもっと強烈です。ただし、邦題は駄目。主人公が少女なので、「Him」が訳されないとオチのインパクトが弱まってしまいます。
(『幻想と怪奇2』ハヤカワ文庫に収録)

黒い天使」The Dark Angel(1946)
 ティムとジョアナは、仲のよい中年の夫婦。子どもがいないので、狆を飼っています。妻のジョアナは突然変異を起こし、新人類へと変貌してゆきます。「新人類になっても、夫を愛していることには変わりないが、その愛は狆に対するものに近くなる」という発想がユニークです。しかも、これを夫婦(ムーアは年上で、作家としてもカットナーの先輩になる。おまけに美人)で執筆しているんですから、凄い皮肉です。
(『人間を超えるもの』講談社文庫に収録)

※1:一九六〇年代に翻訳され始めた作家なので、著者名は「ヘンリイ・カットナー」という表記が多い。

※2:二〇一六年に刊行されたアンソロジー伊藤典夫翻訳SF傑作選 ボロゴーヴはミムジイ』とは別ものなので注意(そちらに収録されているカットナー作品は「ハッピー・エンド」と「ボロゴーヴはミムジイ」の二編)。ハヤカワSFシリーズの『ボロゴーヴはミムジイ』は現時点でAmazonの取り扱いなし。

※3:「ボールディ」シリーズは『ミュータント』としてまとめられている。一応、連作短編扱いなので、今回は省いた。


『ボロゴーヴはミムジイ』小笠原豊樹小尾芙佐、大山優、伊藤典夫浅倉久志、南山宏訳、ハヤカワSFシリーズ、一九七三
『御先祖様はアトランティス人 ―ユーモアと風刺あふれるアメリカSF』秋津知子訳、ソノラマ文庫、一九八四
『世界はぼくのもの』米村秀雄、阿部寿、足立信一郎、宮城博、辻睦彦訳、青心社、一九八五


→『ミュータント』ルイス・パジェット

ソノラマ文庫海外シリーズ
→『悪魔はぼくのペットゼナ・ヘンダースン
→『吸血ゾンビ』ジョン・バーク
→『アメリカ鉄仮面』アルジス・バドリス
→『モンスター誕生リチャード・マシスン
→「恐怖の一世紀