The Mouse That Roared(1955)/The Mouse on the Moon(1962)/The Mouse on Wall Street(1969)/The Mouse That Saved the West(1981)Leonard Wibberley
レナード・ウィバーリーの「小鼠」シリーズは、五作書かれましたが、二作目の『Beware of the Mouse』(1958)のみ邦訳されませんでした。
これは一作目の前日譚で、戸川安宣は「文庫データ・ボックス」において「原本が手に入らない。エイジェントを通して頼んでみても、本がないというつれない返事だった。(中略)原本が見付かりしだい、ご報告したいと思う」と説明していましたが、そのまま立ち消えになってしまったようです。
一作目は最初、講談社のウイークエンド・ブックスより『ニューヨーク侵略さる』のタイトルで刊行され、後に創元推理文庫に入りました。その後、シリーズとして三巻まで発売されます。
この時点では原書の五作目が発表されておらず、それから八年後、訳者を変え、ようやく最終巻が翻訳されました。なお、物語として明確な終わりが描かれたわけではなく、作者が亡くなったため、結果的に最終巻となった形です。
ジャンルはユーモア小説ですが、ゲラゲラ笑えるわけではなく、何となくほっこりする小説です。
一冊二百頁前後なので、隙間時間にリラックスして読むのに最適です。
『小鼠 ニューヨークを侵略』は『ピーター・セラーズのマ☆ウ☆ス』として、『小鼠 月世界を征服』は『月ロケット・ワイン号』として、それぞれ映画化されています。
まずは、シリーズの概要を説明します。
北アルプス山中にあるグランドフェンウィック大公国は、長さ五マイル、幅三マイルの小さな国です。人口は六千人、公用語は英語で、特産品はワインです。
交易路に当たっておらず、金属の鉱山も港も運河もないため、建国された十四世紀から現代まで他国の侵略を受けたことがありません(そもそも知られていない)。
シリーズの主人公は、建国者ロジャー・フェンウィックの子孫グロリアナ十二世です。物語が始まった時点では二十二歳、独身で、亡き父の跡を継いで指導者に就任したばかりでした。その後、結婚をし、夫に先立たれてしまいます。
「小鼠」シリーズは群像劇なので、グロリアナの出番はそれほど多くありません。むしろ、マウントジョーイ首相やコーキンツ博士の方がシリーズを通して目立っています。
『小鼠 ニューヨークを侵略』(写真)
グランドフェンウィックの唯一の特産品がピノーワイン。その紛いものが米国で作られていることを知り、大公国は米国に宣戦布告します。
タリイ・バスコムを隊長にした遠征軍約二十名は、帆船でニューヨークを攻撃しにゆきます。しかし、米国は大規模な防空演習中で、ニューヨークももぬけの殻でした。そこでタリイたちは、グランドフェンウィック出身の科学者でQ爆弾の生みの親であるコーキンツを捕虜にして、爆弾もろとも自国に連れ帰ります。
当時は核の脅威、共産主義の脅威が取り沙汰されていた時代で、それらを中心に物語は進行してゆきます。
ちなみに「米国に宣戦布告をし、すぐに降伏すれば、手厚い援助が得られる」というアイディアは、日米安全保障条約からきているそうです。
地球を死の星にし兼ねない爆弾を手に入れたことで、グランドフェンウィックは一躍、世界の主役へと躍り出ることになります。アメリカ、ソビエト連邦、イギリス、フランスが爆弾を手に入れようとしますが、グロリアナは、Q爆弾を世界の平和のために役立てる道を選択します。
すなわち、Q爆弾を保持し、各国に核兵器の廃棄と、国際組織による査察を要求したのです。
核の抑止力や平和利用といった議論は、現実には大国の論理に従わざるを得ませんが、この小説の面白いところは小国が主体となる点です。核兵器を唯一保有するのは人口六千人の小国で、査察も小国連盟が行なうなんて爽快ではありませんか。
アイルランド人のウィバーリーとしては、大国の都合のみで人類や地球の未来が決まってしまうような状況を許すことができなかったのでしょう。
荒唐無稽な設定で、ユーモアも豊富ですが、ハチャメチャな小説ではありません。単純化されているとはいえ、核問題について真面目に考えられているところに好感が持てます。
核と小国というテーマや、各国の動きをユーモラスに描くといった手法がよく似ている『魚が出てきた日』にも影響を与えているのかも知れません。
そして、「小鼠」シリーズが何より素晴らしいのは、登場人物も善人ばかりで、誰も嫌な目に遭わない点です。勿論、人を傷つけるジョークもありません。
戦争を描いているにもかかわらず、戦死者はたったのひとりですし、若いタリイに反発していたマウントジョーイ伯爵でさえ、グロリアナの結婚相手に彼を推薦するのですから、暴力や嫉妬とは無縁であることが分かるでしょう。
『小鼠 月世界を征服』(写真)
中世と余り変わりのないグランドフェンウィックは、自動車が一台もないし、城で風呂に入るのに三時間も働かなくてはならないし、グロリアナ女王は毛皮のコートも持っていません。そこでマウントジョーイ首相は、米国に五百万ドルの借款の申込みをします。
月へゆくためのロケットを開発したいという理由をでっち上げますが、米国はソ連とのみ宇宙開発競争をするのではなく、国際化したいと考えていたため、五千万ドルを寄金してくれます。
それを知った女王の夫タリイは、アメリカを騙すのを潔しとせず、月への有人飛行に本気で取り組むことにします。
前作から七年が経ち、今回のテーマは米ソの宇宙開発競争です。
ユーリイ・ガガーリンが人類初の宇宙飛行士となったのが一九六一年、ソ連のルナ九号が月面に軟着陸したのが一九六六年、米国のニール・アームストロングが人類で初めて月面に降り立ったのが一九六九年です(※)。
『小鼠 月世界を征服』は一九六二年に出版されましたが、舞台は一九六八年ですので、現実の月面着陸の時期をほぼ当てているといえます。
ある意味、人類が月を目指すという未来予測SFではあるのですが、シラノ・ド・ベルジュラックの『別世界又は月世界諸国諸帝国』やカール・フリードリヒ・ヒエロニュムス・フォン・ミュンヒハウゼンの『ほらふき男爵の冒険』のようなファンタジーでもなく、ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』やアーサー・C・クラークの『宇宙への序曲』(1951)のように科学的なアプローチをしているわけでもありません。
『小鼠 月世界を征服』は、「小鼠」シリーズらしく、政治的な面から月面着陸のドタバタを描いています。
領土も予算も人口も少ないグランドフェンウィックにロケットの開発など無理に決まっていますが、この国にはコーキンツ博士がいます。前回のQ爆弾同様、またしても彼は新発見をしてくれました。
コーキンツは、ピノーワインから新元素を抽出し、それをロケットの推進に用います。機体は、米国から中古のサターンを安く買うという滅茶苦茶な方法で、月を目指すのです。
しかし、世界中の誰もそんなことを信じず、潜入したロシアのスパイですら、グランドフェンウィックはロケットを作らず配管工事をしていると報告する始末。勿論、各国の要人を打ち上げに招待しても誰も出席してくれません。
仕方がないので、打ち上げ成功後、通信社に報告をしますが、それも信じてもらえない。ようやく、それが真実だと分かった途端、米ソはグランドフェンウィックを追い越すため、慌ててロケットを発射する始末……。
こうした一連の騒動が「小鼠」シリーズの真骨頂です。
例によって、諷刺の対象すら傷つかない優しい笑いなので、安心して楽しむことができます。
『小鼠 ウォール街を撹乱』(写真)
米国との講和条約で、ピノーワインと、ワイン味のチューインガムを米国内で関税なしに販売する権利を得たグランドフェンウィックでしたが、十四年後、禁煙運動が盛んになったことから、ガムが爆発的に売れ出し、百万ドルの利益を得ます。
しかし、国内では剰余金の使い道がなく、やむを得ず国民に配ったところ、インフレーションが起こり、経済が破綻してしまいました。さらに悪いことに、翌年には十倍の一千万ドルが振り込まれます。
困ったグロリアナは、新聞にピンを刺して選んだ米国の石炭輸送会社の株を大量に購入したところ、暴騰し、さらなる利益を生むことに……。
今回は、米国の経済界にグランドフェンウィックが騒ぎを齎します。
わざと損失を出そうとしたところ、購入した株が運悪く敏腕ブローカーの目に止まり、買収や合併、さらには噂が噂を呼び、株価はますます上がり続けるという大騒ぎになります。
当時のドル不安を諷刺しているようですが、シリーズのお約束のドタバタ騒ぎとして、安定した面白さを維持しています。
アメリカの騒ぎとは逆に、グランドフェンウィックは相変わらず呑気です。
そもそも金の使い道がないというのがとんでもない話で、この国が医療も福祉も治安維持も必要のない正に「おとぎの国」であることが分かります。
天才的な科学者であるコーキンツ博士でさえ、実験施設や機器を欲しがりません。にもかかわらず、今回は何と石を金に変える装置を作ってしまいます。こちらは、まるで魔法使いのようです。
為政者は、私腹を肥やそうとせず、ひたすら国民のことを考えています。マウントジョーイ首相が、お金を配ることに反対したのは労働価値が下がるからですし、無税にしないのは税金を収めなければ国に関心を持たなくなるからです。さらに、車がないのは事故による死亡者を出さないためであり、道路を整備しないのは観光客に自然や国民の生活を壊されないようにするためです。
現実のなかに存在する異世界は、ある意味でファンタジーよりも平和なのです。
『小鼠 油田を掘りあてる』(写真)
オイルショックの影響は、グランドフェンウィックにも及びます。石油の供給が制限されたため、マウントジョーイは毎日、風呂に入ることができなくなります。彼は条約違反だと米国に文句をいいますが、どうやら石油を制限したのは、世界最大のコングロマリットのトップであるアルフォンソ・ビレリのようです。
政財界に大きな影響力を持つビレリは、グランドフェンウィックから石油が産出されたという偽のニュースを流すことで、産油国を牽制し、原油価格を安定させる案をマウントジョーイに持ちかけます。
マウントジョーイは、その案に乗りますが、何と本当に原油が噴出し……。
今回は、一九七〇年代のオイルショックがテーマです。
世界一正直なグランドフェンウィックが謀をするわけで、となると、老練な策士マウントジョーイの独擅場となります。
彼は、この物語の時点で八十歳を超えていますが、頭も体も衰えておらず、米国政府やビレリ相手に堂々と渡り合う姿は見事です。
一方、コーキンツは飛行水という安価で無尽蔵なエネルギーを開発します。
しかし、マウントジョーイは、無料のエネルギーは資本主義にとって悪夢でしかないとして、その技術を捨てさせます。
現代においては、多くの人に利益を齎さない発明は受け入れられないのです。
グロリアナは、四十歳を超えながら、明るく可愛らしく少女のようです。夫のタリイを亡くしており、子どももいません。サウジアラビアの首長で六人の妻を持つアリ・ムハマッド・イブン・サウドと仲よくする姿が描かれますが、恋愛に発展するかどうか分からずに物語は幕を閉じます。
なお、今作では、女性の権利について、女王の意見を聞きたがる人物が現れました。シリーズがもっと続けば、フェミニズムなどもテーマになったかも知れませんね。
※:しかし、その後、宇宙開発は停滞し、人類が最後に月面に降りたのは一九七二年である。
『小鼠 ニューヨークを侵略』清水政二訳、創元推理文庫、一九七六
『小鼠 月世界を征服』清水政二訳、創元推理文庫、一九七七
『小鼠 ウォール街を撹乱』清水政二訳、創元推理文庫、一九七七
『小鼠 油田を掘りあてる』村上博基訳、創元推理文庫、一九八五
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