Les Clients du Bon Chien jaune(1926)Pierre Mac Orlan
ピエール・マッコルランを初めて読んだのは、『笑いの錬金術』というフランスのユーモア文学アンソロジーに収録されていた短編でした。そのなかの「仕返し」は、ぶっ飛んでいる癖に、妙に綺麗なオチがついていて、度肝を抜かれました。
おかしな小説ばかりを書くタイプかと思っていると、リアリズム小説あり、ポルノグラフィあり、ルポルタージュありと、容易には全貌をつかめない作家でした(そもそもは画家を志していた)。
そんなマッコルランは、海洋冒険小説も得意にしていました。
「海賊もの」は『恋する潜水艦』に三編収録されています。
一方、「幽霊船もの」には、澁澤龍彦の「マドンナの真珠」の元ネタである「薔薇王」があります(『北の橋の舞踏会/世界を駆けるヴィーナス』所収)。
そして、今回取り上げる児童向けの冒険小説『黄犬亭のお客たち』(写真)は、海賊ものであり、幽霊船ものでもあります(「女騎士もの」でもある)。
訳者の石川湧は、ジュール・ヴェルヌやモーリス・ルブランの翻訳者として知られるフランス文学者で、児童書にもかかわらず、「むりにやさしくしたものばかり読んでいては、読書力がつかないでしょう」「重訳、かならずしもわるいとは思いませんが、(中略)わたしは名作といわれるような作品は、なるべく原文からの、それも全訳で読むことがのぞましいと思っています」などと書くくらいですから信用ができます。
他方、マッコルランは「児童文学は、児童向けに書かれたものではなく、数多くの優れた作品のなかから子どもに読ませるのに相応しいと判断されたものであるべき」と語っています。
実際、主人公がその後の人生を語った「むすび」は、児童文学とは思えないほど、細かい説明がされます。
『黄犬亭のお客たち』は、明らかにロバート・ルイス・スティーヴンソンの『宝島』(1883)の影響を受けています。
特にルイ=マリーと彼が唯一尊敬する囚人兼海賊のヴィルムーティエは、『宝島』のジム・ホーキンズとジョン・シルバーとの関係によく似ています。
さらに、邦訳はされていませんが、マッコルランは『L'Ancre de miséricorde』(1941)という作品も書いていて、これと『黄犬亭のお客たち』はまるで双子みたいだそうです。
このように色々と比較しながら読むと、より楽しめるかも知れません。
『黄犬亭のお客たち』は、麦書房(現:むぎ書房)の「雨の日文庫」にも『ゆうれい船』のタイトルで収録されていますが、これは抄訳なので、東京創元社の『第二部世界少年少女文学全集5 フランス編1』(※1)を手に入れた方がよいでしょう。
ただし、入手の際、気をつけなくてはいけないことがあります。
『黄犬亭のお客たち』は、ヴェルヌの『地底旅行』との併録ですが、一九五九年に刊行された『世界少年少女文学全集21』には『地底旅行』しか収録されていません。
これが読めるのは、一九五七年の『第二部世界少年少女文学全集5 フランス編1』の方です。
非常に紛らわしいので、特にネットで実物をみずに購入する場合は、きちんと確認してください(赤と黄色の函に、白い本はダメ。正しいものは、上記の写真を参照)。
さて、今回は、毎年(ではないけど)恒例の、夏休みの宿題用の読書感想文(小学生レベル)仕様です。
夏休みの終わりが近づいても感想文が書けないお子さんがいらっしゃいましたら、以下の文を適当にアレンジしてご使用ください(※2)。
* * *
七年戦争がはじまった年、十四歳のルイ=マリー・ベニックは、お父さんとふたりで暮らしていました。
ある日、漁師のお父さんが海でなくなったため、ブレストに住むおじさんのところへゆくことになります。おじさんは「黄犬亭」という酒場の主人です。
そこで働いてから、二年がすぎました。
ルイ=マリーは「黒パン」というあだ名の男とおじさんが、「死人」を集めているのを知ってしまいます。死人とは何のことかわからないまま、ルイ=マリーはマリアのめぐみ号に乗り組みます。
ルイ=マリーはすぐにみつかってしまいますが、どきょうとケンカの強さでマシュー・マイルズ船長にみとめられ、船員になることができました。マリアのめぐみ号でイギリスに荷物を運んだあと、今度はクイーンメアリ号に乗りかえます。
何とその船は海賊船で、船主はおじさんでした。しかも、船はゆうれい船フライングダッチマン号に、乗組員は死人にばけて、ほかの船や村をおそいはじめたではありませんか。おじさんが、死人を集めるといっていた意味が、やっとわかりました。
ルイ=マリーは海賊たちにさからうことができなかったので、しぶしぶいうことを聞きながら、脱走するチャンスをねらっていました。しかし、それは失敗してしまいます。
ある日、フライングダッチマン号は船をおそい、戦闘に勝利しますが、近くをスペインの船がとおりかかったため、おそった船から死体を運びこみ、乗組員も死んだふりをして、ゆうれい船をよそおいます。
スペイン船はそのままとおりすぎましたが、実は運びこんだ死体は生きていて、フライングダッチマン号の海賊は全員つかまってしまいます。
この作戦を考えたのは、エヴァンジュリーヌ・ド・ケルゲズという女騎士でした。女騎士は海賊の手口を利用して、逆にわなにはめたわけです。
海賊たちは裁判にかけられ、絞首刑になってしまいます。ルイ=マリーだけは、むりやりいうことを聞かされていたという理由で無罪になりました。
ルイ=マリーはそのあと、女騎士の船の乗組員としてかつやくしました。彼女の死後は、遺産をわけてもらい、商社を作ってお金持ちになります。
ルイ=マリーが海賊船から逃げ出したかったのは、人のものをうばったり、人をきずつけたりするのがいやだったからではありません。ルイ=マリーは下っぱの水夫で、仕事がきついのがつらかったのです。
では、なぜ悪いことをしても平気だったかというと、子どものころに両親をなくしたルイ=マリーは、教育を受けていなかったので、何が正しくて、何が悪いのか教えてもらっていなかったからです。
おじさんの手伝いをしながら、おとなたちのなかで成長したルイ=マリーは、ゆうきもあるし、ケンカも強いのですが、道徳観が欠けていました。
この物語は、フランス革命より昔のことなので、階級社会ですし、まだ学校もできていません。ですから、だれもルイ=マリーに、人が生きていくために大切なことを教えなかったとしてもしかたありません。
でも、ぼくが生きている日本には義務教育があって、「教育を受ける権利」と「教育を受けさせる義務」を持っています。
学校なんかゆくのはやめて、ルフィのように海賊になって冒険をしたくなるときもあります。けれども、大事なことを教わらず社会に出てしまったら、こまることが多いと思います。
ルイ=マリーも、女騎士と出会ってから、心を入れかえ、立派なおとなになります。お金もたくさんかせぎ、結婚して子どもも生まれます。
あのまま、海賊をやっていたら、たぶん若いうちに死んでいたでしょう。
けれど、ルイ=マリーのゆうきと行動力はりっぱだと思いました。
おじさんが悪いことをたくらんでいそうだと思ったら、知恵とどきょうを使って調べ、船があやしいと思ったら、思いきって乗りこんでしまうところは、ハラハラドキドキしました。
ぼくがそんな場面に出合ったら、何もできないと思いますし、どんな危険な目にあうかわからないから何もしないのが正しいとも思います。
だから、物語のなかで冒険をする人をそんけいするのです。
※1:『世界少年少女文学全集』第一部50巻は「創元社」から刊行されたが、第二部18巻は暖簾分けした後の出版なので「東京創元社」になっている。
※2:勿論、冗談だが、ブログのタイトルのせいか、毎年、夏休みになるとアクセス数がぐんと増えるのも確か……。宿題の読書感想文が書けず、困っている子が多いのか。これなんかは、まあ使えるかも。
『第二部世界少年少女文学全集5 フランス編1』石川湧訳、東京創元社、一九五七
→『地の果てを行く』ピエール・マッコルラン
夏休みの読書感想文
→『かくも激しく甘きニカラグア』フリオ・コルタサル
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