読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『縛り首の丘』エッサ・デ・ケイロース

Eça de Queiroz

 ホセ・マリア・デ・エッサ・デ・ケイロース(José Maria de Eça de Queiroz)は、ポルトガルの70年代世代もしくはコインブラ世代と呼ばれるグループの代表的作家です。ただし、専業ではなく、弁護士や外交官の傍ら小説や紀行、評論文などを執筆していました。
 小説では『アマーロ神父の罪』や『O Primo Basílio』が話題になり、集大成といえる『Os Maias』が高く評価されています。

 今回取り上げる『縛り首の丘』(写真)は、後期の中編と短編を一本ずつ収録した日本オリジナルの書籍です。ケイロースの短編はそれ以前にも紹介されたことがありますが、単著が翻訳出版されるのはこの本が初めてです。そうした事情から、短く分かりやすい作品が選ばれたのでしょうか(ただし、帯に書かれている「あらすじ」は全くのデタラメ。読まずに書いたのであろうが、ここまで不正確なのは非常に珍しい)。
 ケイロースは写実主義の作家であるものの、『縛り首の丘』に収められた二編は幻想文学の古典として読むことができます。

大官を殺せ」O Mandarim(1880)
 マンダリン(大官)とは、中国やベトナムの官僚のことを表すポルトガル語です。
 西洋には「大官を殺す」と呼ばれる表現があり、それは「呼び鈴を鳴らすだけで中国の奥地にいる見知らぬ大官が死に、莫大な遺産がもらえるとなったら、呼び鈴を鳴らすのをためらうだろうか。もし、ためらうとしたら、それは良心があるからだ」といった意味だそうです。

 一方、アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』には、ジャン=ジャック・ルソーの名言として「五千里向こうのシナのお役人だったら、ちょっと指を上げただけで殺してのけられる」と書かれています。これは「目にみえない者なら良心の呵責に苛まれることなく殺しができる」という意味です。

 映画化もされたリチャード・マシスンの短編「運命のボタン」Button, Button(1970)は、正にこれを扱っています。
 ある夫婦のもとにボタンが届けられ、これを押すと知らない人が死に、夫婦には五万ドルが与えられると説明されます。果たして夫婦はボタンを押すのか……という話です。
 W・W・ジェイコブズの「猿の手」のようで、さらにその上をゆく皮肉なオチが用意されています(映画は全くの別もの)。

 一方、「大官を殺せ」は、こんな話です。

 薄給の官吏テオドーロは、古い二折本のなかに「呼び鈴を鳴らすと中国の大官ティー・チンフーが死に、遺産が手に入る」という文章をみつけます。すると、いつの間にか、目の前に黒ずくめの大男が座っていました。男に促されるまま呼び鈴を鳴らすテオドール。男はいなくなり、夢かと思っていると翌朝、本当に大金が振り込まれます。
 一夜にして大金持ちとなったテオドールは下宿を引き払い、豪邸に移り住みます。しかし、ティーの幻をみるようになり、良心の呵責に苛まれた彼は、北京(清の首都)へ向かいます。遺族に罪滅ぼしをしようと考えたのです。

 これが恐怖小説であれば呪い殺されたりするのでしょうが、テオドールは大金を手にした割にそこまで酷い目に遭いません。
 遺族に財産を分けるか、あるいは遺族と結婚しようと思い北京にゆくものの、ロシアの将軍の妻と逢瀬を重ねたり、ティーの遺族のいる田舎へゆくのが面倒臭くなったりする緊張感のなさをみせます。
 さらに、嫌々田舎へ向かったと思いきや、野蛮な民衆に襲われると目的を放り出して帰国してしまうのです。

 で、死期が近くなると「大官を殺すなかれ」という教訓を残しつつ、「でもさあ、読者が皆、呼び鈴を鳴らせば中国の大官はひとり残らず死に絶えるんだよな。けけけけ、ざまあみろ」みたいな感じで終わります……。

 何とも不思議な小説ですが、これは人間の欲望や良心を生々しく描いたブラックユーモアとして捉えるのが正解なのでしょう。
 加えて、当時の清の描写がとにかく辛辣です。臭くて、汚くて、死体がゴロゴロしている未開の地に赴くだけで、テオドールはとんでもない罰を受けたと読めなくもない。
 ケイロースは清を訪れたことはなく資料だけで書いたとされていますが、やけにリアルで、ここだけでも楽しめます。

縛り首の丘」O Defunto(1895)
 一四七四年、スペインのセゴビアにドン・ルイ・デ・カルデーナスという若者がやってきました。その町に住む大富豪ドン・アロンソ・デ・ラーラには美しい妻リオノールがいます。嫉妬深いドン・アロンソは、留守の間、リオノールを鉄格子に囲まれた部屋に幽閉するのですが、リオノールを一目みたドン・ルイは恋に落ちてしまいます。
 それを知ったドン・アロンソは、妻を連れて荘園へゆき、そこから偽の手紙でドン・ルイを誘き寄せ、殺してしまおうと画策します。荘園に向かう途中、縛り首の丘を通ったドン・ルイは首吊り死体から話し掛けられます。「私をお供にして欲しい」と……。

「縛り首の丘」は、貧しく、体調も優れなかったケイロース最晩年の作です。この時期は文学的情熱が衰えていたとされますが、この作品を読む限り才能は死んでいません。
 実際、この短編は二度も映像化されています。

 とはいえ、冒険小説のような展開を期待すると、肩透かしを食います。
 死体はお供にしてくれという癖に、戦ってくれるわけではなく、ドン・ルイの身代わりに刺されるだけ。それをみたドン・ルイも慌てて逃げ出してしまいます。
 騎士と死体のコンビの割に情けないのですが、ドン・ルイは人妻に恋慕しているわけで、正しい行ないとはいえません。即ち、ここは何もせずに引くのが正解です。

 その決断と、二度と罪のある欲望は抱かないという反省が報われ、ドン・ルイにはハッピーエンドが待っています。
 何がどう転んで「めでたしめでたし」になるかは、ご自分の目でお確かめください。

『縛り首の丘』彌永史郎訳、白水社、一九九六

Amazonで『縛り首の丘』の価格をチェックする。