読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『息吹、まなざし、記憶』エドウィージ・ダンティカ

Breath, Eyes, Memory(1994)Edwidge Danticat

 毎年恒例の「夏休みの読書感想文」ですが、今年はハイチ出身のエドウィージ・ダンティカ(※1)の長編第一作を取り上げます。
 僕の勝手なイメージかも知れませんが、ダンティカは、トニ・モリスン、ジャメイカ・キンケイドの系譜に連なる女流作家と認識しています。

 さて、『息吹、まなざし、記憶』(写真)は、いわゆるヤングアダルト文学に分類されることもあるので、夏休みの宿題にはもってこいですね。中学生が、コピペして、そのまま提出できるレベルの感想文になるよう頑張ります!(※2)

           * * *

 この小説の主人公、十二歳の少女ソフィーは、アティー伯母さんとふたりでハイチに暮らしています。お母さんは、赤ちゃんだったソフィーを伯母さんに預け、ニューヨークに移住してしまったからです。
 ソフィーは貧しいけれど、優しく、勉強もよくできます。自分を置いていったお母さんを恨んでもいません。

 ある日、そのお母さんから飛行機のチケットが送られてきて、ソフィーはニューヨークに旅立つことになりました。
 そこで再会したお母さんに、自分の出生の秘密を聞かされます。お母さんは、十六歳でレイプされ、ソフィーは、そのときにできた子どもだったのです。

 やがて、ソフィーは成長し、恋をし、結婚をします。けれど、そのせいでお母さんとの仲違いをしてしまいます。
 その後、小さな娘を連れ、ハイチに戻ったソフィーは、おばあさんや伯母さんと再会し、そこでお母さんとも和解をします。
 しかし、幸せは長く続きませんでした。再びアメリカに向かった彼女を待っていたのは、さらなる不幸だったのです。

「泣いちゃだめだよ、あたしらは〈山〉なんだから強いんだよ」
 これは、アティー伯母さんのセリフです。自分たちを「山」にたとえているのは、「ハイチ」が先住民族の言葉で「山の多い土地」を意味するからです。

 ハイチは、とても貧しい国です(※3)。あちこちで暴動が起きていますし、まともな食事ができない人、字が読めない人がたくさんいます。また、国を捨てて外国へいってしまう人も多く、ソフィーのお母さんも、そのひとりです。
 それでも、ソフィーやアティー伯母さん、イフェおばあさんは、お母さんを悪くいいません。みんなが生活していけるのは、お母さんからの仕送りのおかげだからです。

 けれど、ニューヨークでの暮らしも決して楽ではありません。仕事はつらい上に、人種差別とも戦わなくてはならないのです。
 例えば、エイズになるのはHで始まる四種類の人間、ホモセクシャル(homosexuals)、血友病患者(hemophiliacs)、ヘロイン常習者(heroin users)、そしてハイチ人(Haitians)などといわれてしまいます。

 ソフィーが、それ以上に悩んだのは、お母さんとの関係でした。
 作者は、大切なところをあえて書かないという手法を用いているため、この部分は省略してありますが、お母さんと生活することに比べたら、伯母さんやおばあさんに愛されながらすごしたハイチでの日々は貧しいながらも天国みたいだったと思います。
 だから、心に傷を負ったソフィーは、ハイチに逃げ帰ったのです。

 お母さんは、レイプという忌まわしい記憶を思い出させるソフィーを、心の底から愛することができません。ソフィーが相手の男によく似ていることも、生理的な嫌悪感につながっているようです。
 ニューヨークに呼び寄せてからも、毎晩のように悪夢にうなされているのです。また、どうしても過去の恐怖から逃れられず、好きな男性とも結婚することができません。

 一方、ソフィーも、母親による処女膜の検査に、ハイチの伝統とはいえ激しい不快感を抱き、それを拒否したというアティー伯母さんに共感を覚えます。
 やがて、恋人のできたソフィーは、乳棒を自らの腟に差し込み、因習と決別するのですが、それがトラウマになって夫との性生活に支障をきたすようになってしまいます。

 イサベル・アジェンデの『精霊たちの家』ほどスケールは大きくありませんが、この小説も四世代の女たちの生き様を描いています。
 ハイチに根ざしたおばあさん、悪夢を振り払うため故郷を捨てたお母さん、自由を求めてもがき続けるソフィー、そして、未来を担う娘のブリジット。
 誰ひとり幸せな人生を歩んでいませんし、これから先、生きやすくなる保証なんて全くありません。それでも、彼女たちの血は綿々とつながってゆくのです。

「命の木はけっしてとぎれることはないんだね。この子の顔を見さえすれば、あたしら一族全員の面影がたどれるなんて、奇跡のようだ」
 ブリジットを初めてみたおばあさんのこの言葉こそが、女たちの生きる証になっています。
 だからこそ、お母さんは憎いレイプ犯の子を産み、ソフィーは性的トラウマを抱えながらも出産したのです。

 けれど、その選択はソフィーやお母さんにとって、自らの人生をすべて犠牲にするほど過酷なものでした。「女として、娘に伝えるべきことがある」という強い意志によって、精神の糸はかろうじて維持されていたのではないでしょうか。
 新たな生命を宿したお母さんは、お腹のなかの子が男の子と分かった途端、宿命のレールから降りる決断を下します。自ら、ナイフで腹を十数か所も刺し、胎児と自分の命を断ったのです。

 お母さんやソフィーは、これで本当に自由になれたのでしょうか。魂は遠いアフリカの地へ帰ってゆけたのでしょうか。
 おばあさんは、ソフィーにこう語りかけます。
「母親が死ななければ、女が一人前にならない国もあるんだ。夜耳をすますと、母親が物語りし、話のおわりにかならずこうたずねる国もあるんだ。『ウリベレ? 娘よ、自由になったかい』」(※4)

※1:この本の著者名は「エドウィッジ・ダンティカット」だが、ここでは「エドウィージ・ダンティカ」という表記で統一する。

※2:毎年書いてますが、冗談ですよ。

※3:ハイチを扱った小説に、アレホ・カルペンティエルこの世の王国』、アンナ・ゼーガース『ハイチの宴』、グレアム・グリーン『喜劇役者』などがある。興味があったら、ぜひ。また、ブードゥー小説としてはこちらがお勧め。

※4:「ウリベレ?(Ou libèrè?)」はハイチ語(クレオール言語)で、「あなたは自由になれた?」という意味。この書き方は少々分かりづらく、『ウリベレ?(娘よ、自由になったかい?)』とすればよかったのではないか。


『息吹、まなざし、記憶』玉木幸子訳、DHC、二〇〇〇

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