読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ファタ・モルガーナ』ウィリアム・コツウィンクル

Fata Morgana(1977)William Kotzwinkle

 前回取り上げた エイモス・チュツオーラは、どの作品もよく似ていると書きました。しかし、逆に、一作ごとに異なる作風の人はいないかなと思って、ヘドロが溜まった記憶の底を浚ってみたところ、ウィリアム・コツウィンクルという名前がみつかりました。
 この人の場合、どの小説を読んだかで、印象が相当異なるんじゃないでしょうか。僕は熱心なファンではないので五冊(+短編)しか読んでいませんが、共通点は余り見出せず、名前を伏せられたら、とても同じ人が書いたとは思えないかも知れない。ちなみに『ET』『名探偵カマキリと5つの怪事件』『おなら犬ウォルター』などは未読で、こんな調子です。

 そんなコツウィンクルの小説のなかでは『ファタ・モルガーナ』(写真)が一番好きです。
 二〇一一年になってようやく翻訳された『ドクター・ラット』(一九七六)は、「世界幻想文学大賞受賞作」「三十年以上も翻訳されなかった」ということで話題になりましたが、その翌年に書かれた『ファタ・モルガーナ』こそがコツウィンクルの真骨頂という気がします。

 この作品の舞台は、十九世紀半ばのパリ。作者は、幻想と官能に彩られた退廃的な雰囲気を醸し出すため、貴族の皮をかぶった連続殺人鬼、魔術師、占い師、怪盗、娼婦、ヒンドゥー教の僧侶、妖艶な美女、詐欺師ら一癖も二癖もありそうな人物を、惜しげもなく登場させます。
 一方で、読者を引き込む筋は、しっかりしています。狂言回しに無骨なベテラン刑事ピカールを配し、謎の男を追わせる。そもそもは、閑職に左遷された刑事に回された詰まらない任務だったのが、ウィーン、ブダと旅するに従って謎が謎を呼び、次第に深みにはまってゆきます。決して読者を置き去りにしない点が、同時期に同じ福武書店(現ベネッセ)から出た『ホット・ジャズ・トリオ』の「ジャンゴ・ラインハルトのブルース」とは大きく異なります(これはこれで好きなんですが、ややマニア向けかも)。

 さて、パリに戻ったピカールは、魔術師に「明日死ぬ」と予告され、最後の戦いに赴きます。そして、結末は、というと……。
『時のさすらい人』のラストにも驚かされましたが、こちらは別の意味で吃驚させられます。このオチ、短編ではよくあるんです。けれど、長編では、今やまずお目にかかれないでしょう。脱力感が半端ないので、現代の作家なら、絶対、躊躇すると思います(何より編集者がオーケーを出さないような気がする)。

 とはいえ、よく考えると、このネタは、長編でこそ威力を発揮することに気づきます。活字の量、読書にかけた時間が多ければ多いほど、破壊力も増すからです。実際、読者を幻惑するのは、稀代の魔術師や妖姫だけではありません。このオチがなかったら、読後も本のなかをさまよい続けているような感覚には陥らなかったかも知れない。
 ネタバレしてしまうので詳しくは書けませんが、一般的によろしくないと思われている手法も、使い方次第、というか、照れずに堂々と用いれば、まだまだ輝く余地があることを教えてもらいました(※)。

 なお、ファタ・モルガーナというのは、アーサー王伝説に登場する魔女モーガン・ル・フェイのイタリア語読みですが、蜃気楼、幻影という意味もあるそうです。
 日本版は、カバーにマイケル・パークスのイラストが使われていて、そちらも作品のイメージにぴったりです。

※:『ファタ・モルガーナ』を読む前に、『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』の「訳者あとがき」に目を通すのは絶対に避けること。オチまで、はっきり書かれている……。

『ファタ・モルガーナ ―幻影の王国』高木国寿訳、福武書店、一九九一

→『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』ウィリアム・コツウィンクル

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