読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『やわらかい機械』ウィリアム・S・バロウズ

The Soft Machine(1961)William S. Burroughs

 ウィリアム・S・バロウズの『ソフトマシーン』といえば、『爆発した切符』『ノヴァ急報』と続く「ノヴァ三部作」の第一作であり、カットアップ、フォールドインといった技法を有名にした(バロウズのオリジナルではないらしい)作品です。
 カットアップの効果については様々な人が解説していますが、個人的には、偶然が齎す組み合わせの妙以外の意味はないような気がします。単語や文章を文脈から切り離すことで、既存の価値観から解放される云々というのは今一納得できません。

 また、『ソフトマシーン』は「ヘヴィメタル」という言葉が初めて使われた小説でもあります。
 ただし、翻訳では「Heavy Metal Boy」「Heavy Metal Peril」が「重金属少年」「重金属禍」になっています。

『ソフトマシーン』には四つのバージョンがあります。一〜三版はバロウズ自身が、四版はバロウズの死後オリバー・ハリスが改訂したものです(翻訳は二版を使用しており、初版とはかなり異なるそう)。
 さらに日本には、もうひとつバージョンがあり、それが珍本マニアの間でよく知られている『やわらかい機械』(写真)です。

 いうまでもなく、これは胡桃沢耕史清水正二郎)が浪速書房から刊行したインチキ本です。訳者の表記は「世界文学翻訳研究所」などと仰々しいのですが、実際は胡桃沢が創作したみたいです(※1)。
 浪速書房の胡桃沢訳はかなり怪しく、僕の蔵書にも、ミッキー・ダイクスの『裸のランチ』(写真)、ヘンリー・ジェイムズの『巨大なベッド(ベット)』(写真)、マックスウェル・ケントン(テリー・サザーン)の『キャンディ』など胡散臭いものがあります。

『キャンディ』は原書に近いと思いますが、『裸のランチ』は謎の作家名に加えて、中身がジョルジュ・バタイユの『眼球譚』という滅茶苦茶な本です。その癖、「かくして出来上がったものは、近代の詩人・ダイクスの企図するものとは、はなはだしく異なったものとなってしまった。しかし、現実の公刊物が許容される範囲では、もっとも原文に近い訳をなし得たものと自負している」などと意味不明ないいわけをしているのが苦しいというか図々しいというか……。
 バロウズもどきは、ほかに『裸の審判』『乱交物語』『夜を待つ肌』などの書籍が存在し、内容は『やわらかい機械』と同じと思われます(※2)。
『巨大なベッド』は、間違いなくジェイムスが書いたものではないでしょう。ただし、馬鹿らしくて読んでいないので、元ネタが何なのかは分かりません(いつか読むかも……)。

 要するに当時の浪速書房は、作者名も、タイトルも、内容もデタラメに組み合わせたものを翻訳と称して販売していたわけです。
 ちなみに清水訳の『裸のランチ』は、鮎川信夫訳の『裸のランチ』(本物)と同じ一九六五年に翻訳・刊行されています。明らかにうっかり者を狙っており、ここまでひどい手口は現代であれば考えにくいでしょう。尤も、浪速書房の書籍は、かなりの数が発禁になったらしいですが……。

『やわらかい機械』も、内容はバロウズの『ソフトマシーン』とは全く違います。
 本物の「ソフトマシーン」は、他人の体に転移してコントロールするマヤの技術ですが、『やわらかい機械』の方は「皆さん、やわらかい機械とは一体何でしょうか。それはぽってりとした脂身にかこまれ、みなも惚々とした艶に光り、しかもその一部には、男を喜ばしぬく締め上げ機を持っている女体のことでしょうか。……あるいはそれとも、しなやかにしなって空中を切り、赤い痕をつけて女体を苦しめながら、しかし、なお鍛え抜いて行く、鞭のことでしょうか」なんて具合。おまけに「原作者は空手チョップを柔道の手と間違えているらしい」などという尤もらしい訳注まで加える始末です。
 ただし、書籍のどこにも「バロウズの『ソフトマシーン』を翻訳したもの」とは書かれていません。文句をいわれたら、「勘違いした方が悪い」といい逃れするつもりだったのでしょうか。

 それはともかく、インチキ本としてネタにしているネット記事はあるものの、文学作品としてきちんと取り上げているレビューはほとんどありません。
 というわけで今回は『やわらかい機械』の感想を大真面目に書いてみたいと思います。

 1964−1965年ニューヨーク世界博覧会(ニューヨーク万博)の取材に向かった、パリの「ル・パリジャンヌ」誌の記者ウイリヤム・バローズは、飛行機のなかでハリウッドの人気女優エゼルと出会います。そして、ニューヨークのホテルで、エゼルの半生を聞かされます。
 ブルックリンで娼婦の娘として生まれたエゼルは、ギャングのボスであるボブの命令で、性奴隷として調教されます。やがて十六歳になったエゼルは、ボブの妾にされると思いきや、ハリウッドで女優になるよう命じられます。
 さて、バローズと一緒に乱交パーティに出席したエゼルは、その後、行方不明になります。バローズは、クィアたちの協力を得て、エゼルを探し出します。彼女はボブに暴行され、入院していたのです。そして、バローズは、彼女を連れてパリに逃げる計画を立てます。

 日本の雑誌「ジョセイヌ・ジーシン」とか、映画監督のコックヒッチとか、突っ込みどころは山ほどありますが、それをやっていると先に進めないため基本的には無視するとして……。
 この小説を大雑把に表現すると、BDSMをメインに、あらゆる変態性欲を加えたポルノグラフィです。

 よくいえば様々な性的嗜好に対応しており、悪くいうとひとつひとつが薄味です。また、鞭打ち、調教、拷問のシーンが頻繁に出てくる割に明るくカラッとしており、サドマゾキズムの肝である加虐者と被虐者の葛藤が描かれていません。
 性愛文学と呼べるようなものではなく、読者を興奮させることが目的のエロ小説ですから、これが正解なのかも知れませんが、どうしてももの足りなく感じてしまいます。

 折角、「大理石印の革油で、特に鞭で傷ついた後の女の肌に塗りこむと、非常に効果のある油なのです。みるまに、腫れや傷がひいて行くだけでなく、その一面には、つるつるとした、何とも言えない滑らかな肌が生まれるのです」なんて面白い記述があるのですから、鞭と臀部だけに絞ったポルノグラフィにしたら、もっと楽しめたと思います(ロバート・クーヴァーの『女中の臀』という作品はあるが……)。

 とはいえ胡桃沢は、フェティシストなどを対象にする気はさらさらなかったと思われます。
 この小説が書かれた頃、東京五輪とニューヨーク万博が開催されており、日本人の興味はそこに集中していたはずです。だからこそブルックリンのギャングや、グリニッジビレッジでの乱交パーティを描き、エゼルを女優兼水泳選手という設定にしたのでしょう(東京五輪で米国の競泳は二十九個のメダルを取っている)。
 前述したとおり、流行りものに便乗するのが胡桃沢−浪速書房のスタイルなので、当然といえば当然の選択です。

 そうかと思えば、後半は打って変わって、一介の記者がたったひとりでニューヨーク最大のギャングに立ち向かい、壊滅させてしまうという、エロよりも遥かに荒唐無稽な展開が待っています。
 呆れながら読み進めると、よく分からない芸術談義が始まり、さらにはメロドラマのようなラストを迎えるのです。
 余りのチグハグさに、「ひょっとすると、これがカットアップか!」と叫んで、そんなはずはないと首を振る人生の黄昏時。残された時間は少ないのに、こんな本を読んでいる場合じゃないな。嗚呼……。

※1:山形浩生によると、オリジナルではなく、英語で書かれたポルノグラフィを翻訳したものではないかとのことだが、元ネタは不明。
 なお、『やわらかい機械』が入っている叢書「Naniwa world series books」では、翻訳同人として「英語 原田富二(外語大) 独語 中谷英作(東大) 仏語 志村啓子(文理大) スペイン語 ミランダ・吉村(マドリッド大) トルコ語 上田正善(大阪外大)」などと架空の人物の名前が列挙されている。ちなみに、東京文理科大学は一九六二年に廃止されている。

※2:『裸の審判』と『夜を待つ肌』は、『やわらかい機械』と同一内容であることを確認済み。『乱交物語』は調べがつかなかったが、タイトル的に『やわらかい機械』と同じと考えられる。中身の同じものを、書名や訳者名を変えて何度も刊行するところもズルい。


『やわらかい機械』世界文学翻訳研究所訳、浪速書房、一九六五
『ソフトマシーン』山形浩生柳下毅一郎訳、河出文庫、二〇〇四