読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『歳月のはしご』アン・タイラー

Ladder of Years(1995)Anne Tyler

 アン・タイラーは、主にアメリカの中流階級の家庭、熟年夫婦、中高年の男女を描く作家で、本国だけでなく、日本でも人気があります。
 分類すると、家族小説や家庭小説になりますが、実は家族のなかで居場所をみつけられない人の物語だったりします。
 そうしたごく平凡な人々の人生に、ときどき触れたくなることがあります。そんなときは、男性作家ではジョン・アップダイク、女性作家ではタイラーを選べば間違いはありません。

 彼女の小説では、基本的に特殊なことは起こりません。
 どこにでもある家庭の、事件ともいえないようなできごとが、読みやすく饒舌な語り口と、細部にまで目のゆき届いた描写によって形作られてゆきます。
 と書くと「そんなものが文学といえるか」と怒り出す人がいそうですが、そうした論争は百年以上昔に決着がついていると僕は思っています。勿論、立派な文学たり得るのです。

 さて、タイラーというと、ピューリッツァー賞を受賞した『ブリージング・レッスン』(1988)や、映画化された『アクシデンタル・ツーリスト』(1885)(映画の邦題は『偶然の旅行者』)が有名です。しかし、彼女のような作風の場合、小説としての質よりも、それぞれの読者にとって「響いた」小説こそがベストなのではないでしょうか。
 そういう意味では、僕の一番は『歳月のはしご』(写真)(※)です。

 まずは、あらすじから。

 ボルチモアに住むディーリア・グリンステッドは、医師の夫と三人の子を持つ主婦です。最近、家族のなかで自分の居場所がなくなったように感じています。子どもたちは成長し自分を馬鹿にするようになり、夫のサムが自分と結婚したのはディーリアの父親のクリニックを継ぐためだったことも分かります。スーパーマーケットで知り合った年下の男と軽い火遊びをしてみるものの、満足することはできません。
 毎年、家族で出かける海で、ディーリアは着の身着のままで職人の車に乗り、見知らぬ町へ逃げてしまいます。そこで下宿を探し、弁護士事務所で働き始めます。
 家族は警察に届け出、新聞にも掲載されます。ディーリアの居場所はすぐみつかりますが、彼女は家に帰ろうとしません。

 タイラーの小説では、学校や会社と同様、家庭でも自分の場所がない人が登場します。彼らは、あるとき、そのことに気づき、家を出るのです。
 ディーリアもそのひとりで、ほかには『ここがホームシックレストラン』のベック、『アクシデンタル・ツーリスト』のサラ、『ブリージング・レッスン』のフィオナなどがそれに該当します。
 また、一家の主婦が家庭のなかで疎外感を感じ孤立するものの、かといって自立もできないという状況もよくみられます(『ブリージング・レッスン』のマギーなど)。

 彼らは、疑問を感じることなく、明るく人生を歩んできましたが、中年を過ぎたあるとき、いつの間にか歯車がズレていたことに気づくのです。
 例えば、子どもが小さい頃は、彼らにとって母親は重要な存在ですが、成長するにつれ疎ましく感じるようになります。母親としても、反抗されることで寂しさを覚え、ふと夫をみると、遥か前から彼は自分のことなどみていなかった……。
 そのとき、マギーは頭のなかで逃げようと考えたり、過去に逃避したりしますが、ディーリアは計画性はないものの、一歩前に踏み出すのです。

 自分を知る者が誰もいないスモールタウンで、新たな生活を始めるディーリア。
 最初のうちは、人とのかかわりを避け、図書館で借りた小説を、毎晩読み耽ります。それはそれで素敵な生活で、僕はむしろそこに憧れますが、元来人好きのするディーリアの周囲には、いつの間にかコミュニティができあがってしまいます。

 特に、妻に逃げられたジョエル・ミラーと、その息子ノア(十二歳)の家に住み込みで働くようになってからは生活が一変します。
 ディーリアは親子に慕われ、頼られ、彼女自身も悪い気はせず、まるで家族のように暮らし始めるのです。そこへ息子が訪ねてきますが、実の息子の方に違和感を感じてしまう始末……。

 一方、自分がいなくなっても、家族は何とかなってしまうことにモヤモヤした気持ちを抱きます。子どもたちは幼くないし、ディーリアの姉のイライザが代わりをしてくれるため、誰も困りません。
 さらに、夫のサムとイライザが接近しているらしいと聞いたディーリアは、嫉妬すべきか否か、分からなくなってしまいます。
 身勝手な家出をしたのだから文句をつける筋合いはないと承知しつつ、家族の絆はそう簡単に断ち切れるはずもなく、ディーリアの気持ちは宙に浮いたままになります。

 ディーリアが住み込みをしている家庭でも、主婦のエリーが家を捨てているため、まるで「家族合わせ」のような展開が続きます。
 エリーの身勝手さに苛立ちを覚えつつ、結局、ディーリアも同じことをしていると気づき、複雑な感情を抱いてしまうのです。
 僕が男だからかも知れませんが、読みながら「ディーリアは、そろそろ家に帰るべきでは」と何度思ったことでしょう。

 評価の高い『ブリージング・レッスン』は、主人公マギーに感情移入して読むことができました。自立心のない愚かな女性という批判もありましたが、だからこそ言動が理解しやすく、好きにならずにいられないキャラクターだったのです。
 他方、ディーリアは、頑なに自宅へ帰ろうとしません。
 彼女の心情はすぐには理解しにくいのですが、よく読むと、根っこは深いことが分かります。

 ディーリアが家族の元へ帰らないのは、今の生活はディーリア自身が選択したものだからです。
 サムは、三姉妹が並んだなかから末っ子のディーリアを選び、結婚しました。かつてそれは、ディーリアにとって誇りでしたが、今となっては自由を奪う重い鎖でしかない……。
 彼女は四十歳を過ぎ、ようやくそれに気づいたのです。

 しかし、娘の結婚式に出席するため一年半ぶりに自宅へ帰ったディーリアは、三人の子どもも、姉のイライザも家を出ており、サムがひとりで暮らしていることを知ります。
 ここへきて、男である僕は、自分をサムに置き換え、堪らなく寂しい気持ちになってしまいました。彼は、ディーリア以上に家族のなかで孤立していたのです。
 哀れな夫を目の当たりにしたディーリアは、果たして最後にどのような選択をするのか……は、読んでのお楽しみです!

 タイラーの小説の最大の魅力は、登場人物を通して、自分の人生について考えさせられる点にあります。
 女性が主人公ですが、「自分の人生は、本当にこんなんでよかったのか?」と思う気持ちは男だって同じです。
 後悔したところで、何が変わるわけでもない。どの道を選択しようと人生は一度しか経験できない。そんなことは百も承知だが、何となく寂しく、やるせない……という方には、年齢性別問わずお勧めします。
 どの小説を選んでも面白いので、過去を振り返りたくなった際は、ぜひどうぞ。

※:単行本のタイトルは『歳月の梯子』だった。

『歳月のはしご』中野恵津子訳、文春文庫、二〇〇一

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