The Lovers(1952)Philip José Farmer
フィリップ・ホセ・ファーマーの『恋人たち』(写真)は、ふたつの点で革新的なSFといわれています。
それまでほとんど扱われてこなかった「セックス」と「宗教」を取り入れたためです。
宗教に関しては、ユダヤ教を発展させた社会を描いたらしいのですが、何かを語れるほど詳しくないため、割愛します。
セックスについては、それ以前は勿論、それ以後も同様なテーマが積極的に用いられたとはいえません。ガードナー・ドゾアの『異星の人』のような作品はあるものの、読者の性的興奮を齎す「性愛SF」といったジャンルは生まれませんでした。
その理由については後述するとして、まずはあらすじから。
西暦三〇五〇年、アイザック・シグメンという前駆者が作り出した歪な宗教社会は、民衆を徹底的に管理し、階級分けしていました。日々の言動は勿論、セックスに至るまで政府に決められ、戒律に背くと様々な罰が待っています。
言語学者のハル・ヤロウは、そうしたシステムに反抗しているため道徳評定が下がり、H送りの危機にありました。そんなとき、最高位の聖職者に呼ばれ、言語学者としてオザゲンという惑星に赴くよう指示されます。
死んだことになったハルは、仲間とともに宇宙船ガブリエルに乗り、四十年のコールドスリープを経てオザゲンに到着します。そこにはウォグという虫のような異星人がいました。
ハルたちはウォグとともに古代の遺跡を探索します。そこでハルは、ヒューマノイド型宇宙人の女性であるジャネット・ラスティニャクと出会います。彼女は地球人の父と、オザゲン人の母の子どもだといいます。
ふたりはたちまち惹かれ合います。一方、地球人はウォグを抹殺する計画を立てていて……。
さて、性愛SFが流行らない最大の理由を一言でいうと、需要がないからです。
SFを読もうとする人が、そこにエロティックな要素を求めるとは思えません。それが欲しければ素直にポルノグラフィを手に取ればよいからです。
では、『恋人たち』をSFとして評価できるかというと、メインのアイディアは斬新だったと思います。
これが元祖なのか調べられなかったのですが、少なくとも『スタートレック』の有名なエピソードよりは先なので、当時の読者は吃驚した可能性があります。
ただし、新しい発想はすぐに模倣され、類似品が出回ってしまいます。このネタも散々使い古されたので、残念ながら現代の読者を驚かせることはできないでしょう。
しかも、そのアイディアのせいで、明らかに設定がおかしかったり、都合がよすぎたりする場面が目立ってしまっています。現代のSFであれば、この辺はもっと上手く処理するに違いありません。
例えば、ハルは、ジャネットに二度目に会ったとき、シグメン社会の仕組みと、自分が網の目をいかにくぐったかを十頁以上に亘って延々と説明するのです。この時点で、ふたりは精々数十分しか言葉を交わしておらず、勿論、互いに未知の言語であるにもかかわらずです。
ややこしい社会システムの話を、初対面の異星人に説明する必要がどこにあるのか。激しい恋に落ちたのなら、無言で行為に及ぶ方が自然ではないかしら、と読者は思うはずです。
それからすぐ、ふたりは同棲し、流暢に会話を交わすことになりますが、ジャネットが早速、料理(サラダとスパゲッティ)を作るのはやりすぎでしょう。
性的な場面も、みためは地球人とほとんど変わらないのでゾクゾクしない、というか、ここは人間とのセックスでは得られない快楽を思う存分描くべきです(乳房が決して垂れ下がらないという、マニアックな説明はある)。
SFとはいえないかも知れないけれど、アルベール・サンチェス=ピニョルの『冷たい肌』は、官能的であり、小説として迫力があり、何より読ませる力を持っています。
『恋人たち』か書かれた時代背景を考えると限界があったのでしょうが、もうちょっと何とかならなかったのかと思ってしまいます。
もっというと、小説としても大いに疑問が残る部分もあります。
ハルはジャネットと二度目に会ったとき、ジャネットが地球人とオザゲン人のハーフであることを聞かされ、「きみは、オザゲンの類人種族と地球人とのあいだに生まれた子どもというわけか? まさか!」と驚きます。にもかかわらず、後半には「驚いたな。地球人と異星人が結婚して、子どもまで生まれるなんて!」と再び吃驚するのです。
さらに、前半で、妻のメアリがハルの前で泣くシーンを何度も描写しておきながら、それを忘れてしまったのか、後半には「ヘイジャックの女はほとんど泣かないし、たとえ泣くにしても、人のいないところでこっそり泣くのだ」などと書いてしまいます。
これには読んでいて頭が痛くなりました(※)。
ジャネットが人間そっくりだった理由はラストで明らかにされるものの、「生殖を放棄して何千年も生きる」という設定には無理がありすぎます。
別にハルを生かしておく必要はないので、愛のために犠牲になったり、冷徹に種の存続を優先するなり、やりようはいくらでもあったはずです。それだけに、勿体ないと感じてしまいました。
まとめると、「性愛SF」という点では成功しているとはいい難いものの、中心となるアイディアの元祖がこの小説であるならば、一度は読んでおくべき価値があるといえるでしょう。
※:中編に加筆して長編化したらしい。その際、細かいチェックをしなかったのであろうか……。
『恋人たち』伊藤典夫訳、 ハヤカワ文庫、一九八〇
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