読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『蟬の女王』『スキズマトリックス』ブルース・スターリング

Schismatrix(1985)Bruce Sterling

 金のない学生時代は、安価で、どの書店にも置いてある文庫本を中心に購入していました。様々なジャンルの小説を買いましたが、圧倒的に多かったのがSFでした。
 二十歳代半ば頃、実家を離れる際にエンターテインメント小説を大量に破棄しました(※1)。「そうした本は卒業し、もう読むことはない」と生意気にも考えていたのです。
 また、現在と比べ、文庫本の価格が安く(※2)、読み終わった雑誌を捨てるような感覚だったことも確かです。

 ところが、中年になると、その頃に読んだSFが無性に懐かしく思えてきました。持っていても読み返すことはまずないと思うのですが、不思議なもので手元にないと読みたくて仕方なくなります。
 それで一部は買い直したものの、案の定、読み返した小説はごくわずかでした……。

 サイバーパンクが日本で流行したのは、僕が大学生のときでした。
 その頃はもうSFから大分距離を置いていましたが、ウィリアム・ギブスンブルース・スターリングくらいは読んでおかなくてはと考え、代表作を購入した記憶があります。
 それらも手元に残っていなかったので新たに買い集め、まとめて読み返してみました。

 ギブスンの『ニューロマンサー』を当時、斬新と感じたかは覚えていません。今読むと、例えばウィリアム・S・バロウズのような難解さはなく、イメージの洪水にも圧倒されるのですが、それ以上の感動は得られませんでした。筋が非常に単純で、どんでん返しも意外な真相も用意されていないことが不満だったのではありません。
 辛かったのは、独特のノリについてゆけないことです。スターリングと組んだ『ディファレンス・エンジン』もアイディアは悪くないけれど、軽さが気になって今一のめり込めませんでした。歴史上の人物を登場させる場合は、もう少し重厚に描いて欲しかったです……。

 それに対してスターリングの方は、さほど目新しさは感じず、幼稚な面もあるものの、SFとして素直に面白い。
 その後のSFに与えた影響は、サイバースペースという概念を生み出したギブスンに軍配が上がるでしょうが、SFを余り読まない方であれば、スターリングの方が楽しめると思います。

 特に初期の「機械主義者/工作者」シリーズ(Shaper/Mechanist Universe)(写真)は傑作です。
 このシリーズは、まず短編が五編書かれました(日本独自の短編集『蟬の女王』にすべて収録されている)。その後、長編の『スキズマトリックス』が上梓されます。
 しかし、日本において、短編は雑誌に掲載されていたものの書籍としてまとまっておらず、先に『スキズマトリックス』が出版されました。この作品は、短編を読んでいることが前提で書かれているため、いきなり手に取った人にとっては、少々分かりにくかったようです。
 そんなわけで、これから取り組む場合は、『蟬の女王』(※3)から先に読まれることを強く勧めます。

「機械主義者/工作者」シリーズの大まかな設定を、以下に記します。
 近未来、スペースコロニーに移り住んだ人々が地球から完全に独立し、連鎖国家が形成されます。やがて国家は衰退し、人類は「工作者」と呼ばれる遺伝子工学によって体を変化させているグループと、「機械主義者」と呼ばれる体を機械化して長生きしようとするグループに分かれて対立するようになります。
 これに「投資者」と呼ばれる異星人が加わり、様々なレベルでの争いが繰り広げられてゆきます。
 西暦二〇四五年から二五五四年の約五百年に亘る物語です。時系列は『蟬の女王』の巻末に掲載されている年表で確認することができます。

蟬の女王
」Swarm(1982)

 工作者のサイモン・アフリールは、投資者の協力で「群体(スウォーム)」の巣の調査に向かいます。群体は知能を持たない昆虫のような異星人です。
 先に巣を調査していたガリーナ・ミルヌイという若い女性と合流したアフリールは、今回の調査の真の目的を打ち明けます。それは群体の遺伝情報を持ち帰り、無数のクローンを作り奴隷のように働かせるというものです。
 しかし、その計画は実現しませんでした。なぜなら……。

 種族が生き残るために、必ずしも知性は必要ではありません。いや、寧ろ生半可な知恵のせいで滅亡が早まることもあるのです。
 敢えて知性を捨てるという群体の生き残り戦術は目から鱗です。アフリールの長い時間を想像すると、『エイリアン』よりもよほど恐ろしい……。シリーズであることは気にせず、ぜひ読んでおくべき傑作です。

スパイダー・ローズ」Spider Rose(1982)
 天王星の軌道上にある蜘蛛の巣状の居住区に、たったひとりで暮らすスパイダー・ローズことリディア・マルティネス。彼女は機械主義者で、二百年も生きています。
 ある日、投資者と取り引きをして、龍のようなペットを預かります。そのペットは繭にくるまれ、出てきたときに人間に似た姿になっていました。つまり、飼い主に合わせて姿を変える生きものらしいのです。
 その後、スパイダー・ローズは宿敵の工作者に襲われます。

「巣」と対になる短編で、こちらは機械主義者の苦難が描かれます。長い年月、宇宙にひとりで暮らすスパイダー・ローズにとって、ペットが慰めになったと思いきや、酸素が足りないからと、あっさり殺し、その肉を食うのですから、最早、彼女には孤独の概念など存在しないのかも知れません。
 苦労して機械化し、寿命を伸ばしたのに、投資者の科学はそれを遥かに上回っていたことは大いなる皮肉ですが、生まれ変わったスパイダー・ローズは寧ろ幸せそうです。

蟬の女王」Cicada Queen(1983)
 ハンス・ランダウは、投資者の女王を据えたツァリーナ・クラスターという都市に亡命し、晴れてポリカーボン党の党員になれました。しかし、女王はクラスターを捨て、市場は崩壊寸前にあることが分かります。
 女王と親しい伝説的人物であるウェルスプリングを頼ったハンスは、体を機械化させ国外へ退去することを進められます。その途中、ハンスは女王の乗った船をみつけます。
 女王とウェルスプリングが手を組んでクーデターを起こしたことに気づくハンス。しかし、両者とも死に、漁夫の利を得たハンスは新たなテラフォーミングクラスターを作るのです。

 集中最も長い作品です。火星をテラフォーミングすることに情熱を傾けているハンスが、各派閥の思惑に翻弄されるものの、自分に都合よく事態が好転してゆく話なので、ある程度の長さがないと面白くなりません。
 なお、このエピソードは『スキズマトリックス』に取り込まれ、より複雑なクロニクルを形成してゆくことになります。同時に、ポストヒューマニズムというテーマも鮮明になります。

火星の神の庭」Sunken Gardens(1984
「蟬の女王」の二百年後の世界。工作者と機械主義者の抗争は終わり、代わりに様々な党派が誕生しています。「パターン主義者」のミラゾルは、火星の支配者となっている「王党派」の生態系競争に参加します。これに勝てば、王党派への「梯子」を登ることができるのです。

 隆盛を極めていた投資者は科学を失って退化し、ハンスは「ロブスター・キング」という神の如き存在になっています。
 右脳を肥大化させたパターン主義者は明らかな失敗でしたが、王党派が理想的なポストヒューマンかどうかは分かりません。生命は失敗を繰り返し、永遠に続く梯子を登ってゆくものだからです。

<機械主義者/工作者>の時代 −二十の情景」Life in the Mechanist/Shaper Era: 20 Evocations(1984
 ニコライ・レンという工作者の二百年の生涯を二十の断片で追っています。「機械主義者/工作者」シリーズの縮図というかフラクタル構造になっています。
 五つの断片ごとに、バロウズカットアップを模した文章がくっついていますが、効果はほとんどないような気がします……。

スキズマトリックス
 晴れの海環月企業共和国は、年老いた機械主義者によって牛耳られています。工作者側は、アベラード・マルコム・タイラー・リンジーとフィリップ・コンスタンティンを、若い世代の指導者として教育します。そこへヴェラ・ケランドという女性が加わります。最終的にヴェラの愛を得たのはリンジーで、恋に破れたコンスタンティンは研究に没頭することにしました。三人は希望がなくなったときは自殺する取り決めを交わします。自殺によって共和国が変わるかも知れないと考えたのです。
 その後、ヴェラは自殺をし、リンジーコンスタンティンに命を狙われることになります。流刑地に送られたリンジーは、クーデターを起こしたコンスタンティンの刺客を躱し、そこから長きに亘る冒険に旅立ちます。

 スキズマトリックスとは「Schism(分離)」と「Matrix(母体、基盤)」の合成語です。人類が様々な派閥に分かれ争うものの、母体は残っている時代といった意味になります。
 主人公リンジーの視点で、彼が追放されてからスキズマトリックスが終わるまでの約百五十年の歴史が語られます。その間、リンジーは、複雑に分離した派閥と接触しながら、自分が進むべき道を模索してゆきます。

「科学が進歩し、異星人ともつき合うようになった時代、人類はどのような進化を目指すべきか」を、様々な立場や思想を持つ人々と交流するなかで見出してゆく小説です。
 といって、哲学的になる必要はなく、「機械、遺伝子工学、宇宙人をごちゃまぜにしたら、どんな世界になるか想像してみよう!」なんてノリで楽しめばよいのではないでしょうか。

 僕はSFが好きといっても、難しいのはよく分かりません。はっきりいって、夢中になれるのはフィリップ・K・ディックまでで、それ以上ハードになるとついてゆけなくなります。
 スターリングは、いい意味で子どもっぽい点に好感が持てます。歌舞伎を上演したり、海賊の仲間になったり、肉体を捨ててワイヤー内で生きる者がいたり(電線野郎)、異星人の体を使って決闘したり、キツネ(Kitsune)という芸者の皮膚と肉体がそのまま建造物になったり(壁母)と、少年が考えそうなアイディアの数々にはワクワクさせられます。

 恋愛やセックスが淡白なのも、いかにもおたくの作家らしい。
 リンジーはやたらともてるのに、セックスシーンは全然エロティックではなく、女性に対しても余り執着しません。
 よい面もありますが、物語が始まってすぐ、ヴェラが自殺するのは不可解に感じられます。背景も分からず、感情移入もできないうちに重要な女性を舞台から消してしまう必要は、果たしてあったのかしらん。

 一方で、単純な冒険SFとは明らかに異なる点もあります。
 物語の軸となるのは「権力を握ったかつての親友に恨まれ、しつこく命を狙われ続けること」ですが、アルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』のようにはならず、陰湿な戦いが断続的に百年以上続く。
 コンスタンティンは権力者なので、殺し屋を差し向けたり、リンジーの周囲の人間を抹消したりします。しかし、リンジーは名前や容姿を変え、ひたすら逃げ回ります。
 例えば、二度目の妻を残して逃げ、その妻は別の人と再婚し、やがて自殺してしまいます。普通の小説なら、そうなる前にコンスタンティンと対峙するところ、リンジーは第二部の終わりになるまで、とにかくコソコソ隠れ続けるのです。

「熱くならず、生きるために冷静に行動する」というと聞こえがよいですが、リンジーからは寧ろ無気力な印象を受けます。コンスタンティンを倒した後、その娘に殺されそうになっても身を守ろうとしないため、却って殺されずに済んだりしています。
 結局のところ、工作者も機械主義者も肉体を改造して長寿を得ているため、生に対する執着心が稀薄になっているのではないでしょうか。
 物語の終盤に、実験によって肉体的な不死を獲得したラットが登場します。ラットは学習能力を失い、習慣行動のみになっています。何世紀も檻から出たことがなく、外へ出ても何をしてよいか分かりません。これから長い時間があるものの、進歩することは永遠にできないのです。

 ポストヒューマンなどといいつつ、人類も不死ラット、あるいは「巣」の異星人のようになってしまう可能性を示唆しています。それらが人間の未来と考えたらゾッとします……。
 以下、ネタバレしているので反転文字にします。

 「ところが、その後の展開は意外なものでした。
 リンジーは、地球に戻り生物のサンプルを採取します。それを元にした、羽の生えた魚のような生きもの「天使」に変身することを一度は選択するものの、躊躇していたところに、異星人の「存在(Presence)」が現れ、自分と一緒にくることを勧めます。
「存在」は、宇宙の謎を解明するための、肉体を持たないモノです。

 機械主義者も工作者も超越し、アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』のような方向に着地してしまいました……。
 最初に読んだときは、一周回って「巣」に戻るような、構成としては見事な反面、夢も希望もないどんよりした締め括りを期待していたところ、思いのほか爽やかな結末に肩透かしを食いました。

 とはいえ、それは当時の僕が、勝手に「スターリング=サイバーパンクディストピア」という図式描いていたために起こった齟齬です。今では、脳天気なサイバーパンクがあってもよい、というか『スキズマトリックス』がそもそもパンクなのか分からなくになっています。
 寧ろ、ポストヒューマンがテーマであるならば、肉体を持たない、神の如き存在になるのは必然といえるかも知れません。いずれにせよ、どこか分からない「すてきなところ」へゆけるのは、人類にとって悪い未来ではないでしょう。


 なお、『スキズマトリックス』には、短編に登場したアフリール、リディア・マルティネス〔翻訳ミスか誤植か、リディア(Lydia)がリンダになっている〕、ウェルスプリング(ウェルズ)などが、ちょい役あるいは重要な役で再び顔をみせています。
 彼らに再会する楽しみもあるため、二冊揃えることをお勧めします(『蟬の女王』の方は、古書価格がやや高いが……)。

※1:サンリオSF文庫やソノラマ文庫海外シリーズなど高価なものは捨てなかった。だから、フィリップ・K・ディックは、古いサンリオ文庫と、新しいハヤカワ文庫や創元文庫が混じってしまった。ハヤカワ文庫はいまだにディックの新訳を出し続けているので、本音をいうと買い替えたいのだが懐が寂しくて……。

※2:僕が学生の頃、文庫本は名作であれば百円台、新刊は二百円台で買えるものがあった。

※3:ギブスンの序文と、スターリングのあとがきは日本の読者しか読めないらしい。また、書名は正確には『蟬の女王』だが、ネットで検索すると『蝉の女王』が圧倒的に多い。


『蟬の女王』小川隆訳、ハヤカワ文庫、一九八九
『スキズマトリックス小川隆訳、ハヤカワ文庫、一九八七