Deep Waters(1967)William Hope Hodgson
『海ふかく』(写真)は、アーカムハウスから刊行されたウィリアム・ホープ・ホジスンの短編集です。
ホジスンは第一次世界大戦で戦死したので、死後五十年後の出版ということになります。一時は忘れられた作家になっていたホジスンは、アンソロジーへの掲載をきっかけに復刊が進み、この本もオーガスト・ダーレスの序文つきで、限定版として出版されました。
ホジスンは、日本でも二十一世紀になってから「ボーダーランド」三部作が邦訳されるなど、今なお人気の高い怪奇小説家です(四作しか書かなかった長編はすべて訳されている)。
『幽霊狩人カーナッキの事件簿』といったシリーズもあるものの、ホジスンといえばやはり水夫の経験に基づいた海洋恐怖小説でしょう。書き手の余りいないジャンルだけに、今でもホジスンの需要がなくならないのかも知れません(※1)。
幻想小説や怪奇小説の傑作は、長編より短編に多いといわれています。エドガー・アラン・ポー、アルジャーノン・ブラックウッド、H・P・ラヴクラフトといった名前を並べられると思わず納得してしまいます。
ホジスンも例外ではなく、出来のよい短編を沢山残しています。『海ふかく』はそのベスト盤的な短編集ですから、入門編としてもお勧めです。
邦訳されているホジスンの短編集はもう一冊あり、それが創元推理文庫の『夜の声』(写真)です。この二冊は収録作品がかなりカブります。『夜の声』でしか読めないのは「熱帯の恐怖」「グレイケン号の発見」「水槽の恐怖」の三編だけとはいえ、これらは捨てるには惜しい作品です。
「グレイケン号の発見」は「サルガッソー海」ものの一編で、『海ふかく』収録の「静寂の海から」「漂流船の謎」「海藻の中に潜むもの」「暁に聞こえる呼び声」と合わせれば全五編が揃います(緑字のもの。オレンジ字は「ジャット船長」もの)。
さらに「水槽の恐怖」は「カーナッキ」もののプロトタイプといわれており、推理小説好きなら見逃せません(「モルグ街の殺人」っぽいが……)。
「海洋ホラーばかりだと飽きそう」と思われるかも知れませんが、それは杞憂に終わるでしょう。舞台が海に限られるのにもかかわらず、驚くほどバラエティに富んでおり、「なるほど。こうきたか!」と感心されるに違いありません。
古い怪奇小説が好きな方であれば、『海ふかく』と『夜の声』を、ぜひ揃えていただきたいと思います。
「海馬」The Sea Horses(1913)
潜水夫の祖父は、孫に海馬(頭が馬で、体が魚の怪物)を捕まえてくると約束します。祖父が木で作った海馬を気に入った孫でしたが、悪さをして反省しなかったため、海馬を海に戻されてしまいます。
祖父と孫についての細かい設定は不明ですが、海馬には最初から死の匂いが漂っていて、幻想的でもあり、不気味でもあります。
「漂流船」The Derelict(1912)
「闇の中の声」はキノコですが、こちらは漂流船を覆う「カビ」が意思を持って人間に襲い掛かってきます。逆にいうと、それ以外はよく似ていますが……。
『夜の声』に収録されているものは、タイトルがネタバレしているので注意してください。
「海藻の中に潜むもの」The Thing in the Weeds(1913)
海藻原に入り込んだ船が夜、何かに襲われます。翌朝、海藻をよく観察すると……。
海藻がまるで蜘蛛の巣のような役目を果たし、迷い込む船を捕らえるという発想が素晴らしい。
「静寂の海から」From the Tideless Sea(1914)
海に浮かぶ樽を引き上げてみると、なかから約三十年前に行方不明になったホームバード号の乗客による手記が出てきました。それによると、ホームバード号は果てしなく続く海藻に捕らえられ身動きができず、周囲には巨大な蛸が生息しているとのことです。さらに次の手記では新たな怪物の存在が示唆されます。
集中最も長い短編ですが、枚数だけでなく作中の時間も長いのが特徴です。手記は二通発見され、その間、書き手には六年の歳月が流れています。生き残った船長の娘と結婚し、娘が生まれています。船から一歩も外へ出られませんが、食料は十七年ほど持つ計算です。これらのことから分かるとおり、怪奇色は強くなく、どちらかというと『ロビンソン・クルーソー』のようなサバイバルものに近い。勿論、単なるホラーよりも読み応えがあります。
ちなみに「Homebird」とは「家が好きな人、出不精の人」のことです。
「ウドの島」The Island of the Ud(1912)
ウドという蟹の怪物がいる島へ真珠を奪いに潜入するジャット船長とピビー・トールズ少年。かつて世話になった女が生贄にされそうと知り、助けに向かいますが……。
ジャット船長(Captain Jat)ものの一編です。船長は乱暴で吝嗇で傲慢な男ですが、立場の弱いピビーがしたたかに操るところが痛快な冒険譚です。
「闇の中の声」The Voice in the Night(1907)
アンソロジーの定番(※2)で、東宝の映画『マタンゴ』の原作としても知られています。
難破船から逃げ出した男女がキノコに覆い尽くされるという話で、キノコに寄生されるのも怖いですが、そのキノコを食べずにいられなくなる点がさらに恐ろしい。
「岬の冒険」The Adventure of the Headland(1912)
死にかけていたポルトガル人に聞いた宝を求め、岬に上陸するジャット船長とピビー。そこに待っていたのは、イールという騾馬ほどもある犬と、犬の皮を被った獣人でした。
「ウドの島」の続編です。船長とピビーはお互い攻撃しながら、敵とも戦わなければなりません。ホラーでもアクションでもなく、そのやり取りを楽しむ作品です。「ウドの島」で、船長は傷物の真珠をたった一個ピビーにあげました(実はピビーは沢山隠し持っていた)が、今度は逆にピビーが船長にたった一枚だけ金貨をあげます(ピビーは残り百四十九枚を持っている)。
「漂流船の謎」The Mystery of the Derelict(1907)
サルガッソー海の藻のなかに古い廃船が漂っています。近づいた帆船から銃声が聞こえ、やがて静かになりました。それを観察していた商船の乗組員がボートで近づくと……。
「漂流船」と似たパターンですが、こちらは「鼠」です。それらに襲われる恐怖を描いているというより、それらがなぜ藻のなかで生き残ってこられたのかを考えると背筋が寒くなります。
「帰り船<シャムラーケン号>」The Shamraken Homeward-Bounder(1908)
シャムラーケン号の乗組員は老人ばかりです(最も下っ端のボーイでも五十五歳)。あるとき、薔薇色の霧に船が包まれます。
歳を重ねた者たちは大切な人との別離を経験しています。だから、黄昏のような霧を天国の入り口だと思うのです。しみじみとさせる良質の短編です。
「石の船」The Stone Ship(1914)
海の真んなかで小川の流れる音がして、ひどい悪臭が漂ってきます。霧のなかボートを漕ぐと、そこには石でできた船がありました。
海洋怪奇小説としてはホジスン最後の短編です。そのせいか、謎と怪奇がてんこ盛りで楽しい。一応、すべてに科学的(?)な解釈が用意されている点も評価できます。
「ランシング号の乗組員」The Crew of the Lancing(1964)
海水の温度が異様に上がり、海のなかに顔がみえます。そこに漂流船ランシング号が姿を現します。
ホジスンは蛸とか蟹とか実在する生きものを登場させることが多いのですが、この短編は珍しく架空の怪物を生み出しています。
「まんなか小島の住人たち」The Habitants of Middle Islet(1962)
まんなか小島で難破した船は、私の友人の恋人が乗っていたハッピー・リターン号でした。消息不明になって何か月も経つのに、なぜか船内は綺麗に整頓され、日めくりカレンダーは今日の日付になっています。勿論、船内には誰もいません。
行方不明になった恋人を探して船を出すのは「グレイケン号の発見」と似ています。しかし、こちらの方が遥かに不気味です。ホジスンは合理的な説明をするタイプの作家なので、幽霊話というより怪物ものが多く、実は余り怖くありません(本当に巨大蛸がいたとしても、船に乗らなきゃ遭遇しない)。でも、これは何も解明されていない分、夢に出てきそうなくらい恐ろしい……。
「暁に聞こえる呼び声」The Call in the Dawn(1920)
海藻でできた島を発見し、ボートで近づくと藻に侵食された何百年も昔の船がみつかります。けれど、どこからか聞こえてくるキリストを呼ぶ声の正体は果たして……。
サルガッソー海が魔の海と呼ばれるのは、浮遊性の海藻であるサルガッスムが大量に漂っているからといわれます。それが単なる伝説ではなく、事実だと思ってもらわなければホジスンの小説は色褪せてしまいます。謎の声は、藻が絡み合った島のなかで生き抜く狂人のものなのでしょうか。
※1:ジョン・ラッセルが南洋のホラーを得意としているが、邦訳は「恐怖の一世紀」に収録されている三編しかない。
※2:邦題には、ほかに「夜の声」「闇の声」「闇の海の声」などがある。
『海ふかく』小倉多加志訳、国書刊行会、一九八六
→『幽霊狩人カーナッキの事件簿』ウィリアム・ホープ・ホジスン
アーカム・ハウス叢書
→『黒の召喚者』ブライアン・ラムレイ
→『悪魔なんかこわくない』マンリー・ウェイド・ウェルマン
→『黒い黙示録』カール・ジャコビ
→『アンダーウッドの怪』デイヴィッド・H・ケラー
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