Who Fears the Devil?(1963)Manly Wade Wellman
アーカムハウス(Arkham House)とは、故人となったH・P・ラヴクラフトの小説を出版するために、オーガスト・ダーレスとドナルド・ワンドレイが作った会社です(アーカムは、クトゥルフ神話に登場する都市名)。
ここから、クトゥルフ神話をはじめ様々なウィアードフィクションが刊行されました。
アーカムハウスがなければ、生前に出版された単行本が一冊しかなかったラヴクラフトは瞬く間に忘れ去られていたでしょう。
その貴重な成果の一部を翻訳・出版したのが国書刊行会の「アーカム・ハウス叢書」です。
原書の雰囲気を生かしたかったのか、同じカバーイラストを使用したり、ハードカバーなのにペーパーバックに近い判型にしたり、帯をつけなかったりといった工夫がみられます。
「アーカム・ハウス叢書」としては、一年強の間に以下の七冊の短編集が出版されました。
『黒い黙示録』カール・ジャコビ
『呪われし地』クラーク・アシュトン・スミス
『アンダーウッドの怪』デイヴィッド・H・ケラー
『淋しい場所』オーガスト・ダーレス
『悪魔なんかこわくない』マンリー・ウェイド・ウェルマン
『海ふかく』ウィリアム・ホープ・ホジスン
『黒の召喚者』ブライアン・ラムレイ
七巻までしかないのは刊行前からの予定どおりです。その約十年前に刊行された「ドラキュラ叢書」が十巻で終了していることを考えると妥当な判断といえます。
同時期の「ソノラマ文庫海外シリーズ」も短命に終わっていますし、当時、恐怖小説の市場はそれほど大きくなかったのかも知れません。さらに「アーカム・ハウス叢書」は価格も高かった(というか、「ドラキュラ叢書」が安すぎた?)ため、完全なマニア向けといえるでしょう(※)。
尤も、七冊だけなのは、今からでも容易にコンプリートできるというメリットにもなります。
装幀も洒落ていて並べると楽しいので、「ナイトランド叢書」辺りを蒐集している方は、こちらにも手を伸ばしてみてはいかがでしょうか。
幸いなことに、うちの本棚には七冊揃っているので、折をみて少しずつ感想を書いてゆきたいと思います。
今回は、最も人気の高い『悪魔なんかこわくない』(写真)を取り上げます。
マンリー・ウェイド・ウェルマンは、SF、ミステリー、ウエスタン、ジュブナイル、ノンフィクションと何でもこなします。おまけに息子のウェイド・ウェルマンとの共著(『シャーロック・ホームズの宇宙戦争』)まであります。
ウェルマンは基本的にB級のエンタメ作家です。しかし、『悪魔なんかこわくない』は単なる怪奇小説ではありません。
ホラーやファンタジーは欧州の伝統に則ったものが多く、歴史の浅い米国のそれは、どうしても借りもの感が強くなりがちです。ところが、『悪魔なんかこわくない』の素材はウェルマン自身がノースカロライナ州の山間部(アパラチア山脈)で収集した民話やバラッドです。
それを銀の弦を張ったギターを持つジョン(Silver John)に語らせているのがミソ。一文なしで無欲な風来坊のジョンは飄々としたキャラクター故、恐怖を増幅させることがなく、本来であれば怪奇小説に似つかわしくない。けれど、彼が山岳地帯を渡り歩いたおかげでアメリカ伝統のほら話、そしてロードナラティブの要素が加わり、ヨーロッパのホラーとは異なる米国オリジナルの輝きを放っているのです。
構成も変わっていて、十一の短編ひとつひとつの冒頭に同じ数のスケッチがつくという『ジャングル・ブック』のような『現代イソップ』のような感じです。
スケッチの方は本編とは無関係の怪異を扱ったショートショートですが、面白さでは負けていません。
なお、ジョンはその後『The Old Gods Waken』『After Dark』『The Lost and the Lurking』『The Hanging Stones』『The Voice of the Mountain』といった長編にも登場しますが、残念ながら未訳です。
毎度書いていますけど、どこかで翻訳・出版してもらえないでしょうかね……。
「ジョンってのがおれの名さ(John's My Name)/おお醜い鳥よ!(O Ugly Bird!)」
ジョンの自己紹介です。金も着替えも持たないのに食事や寝床に困ったことがないという幸せな存在です。それもこれもジョンの善良さの賜物でしょう。
怪しい瞳力で町の人を脅し、欲しいものを奪うミスター・オンセルム。彼には醜い鳥がついています。最初、その鳥はオンセルムが変身したものと思われましたが、同時に姿を現したため、ジョンはそれがエクトプラズムであることを見抜きます。
町人たちを困らせていた悪人を、放浪者のジョンが退治するという西部劇のようなストーリー。単純ですがスカッとして幸せな気分になります。
「なぜそういう名がついたのか(Why They're Named That)/かたちんば(One Other)」
ガーディナルという建物の話。桃色の壁に囲まれ、嫌な臭いのする液体が染み出す巨大な胃袋らしいのですが……。
ハーク山の頂に農家の庭くらいの土地があり、そこに青く澄んだ底なし沼があります。水深を測ろうと糸を垂らすと、自身の重みで糸が切れるくらいの深さです。底の方にはシャボン玉のような光がみえます。ジョンと女が沼のほとりで夜を迎えると、沼から片手、片足のかたちんばという妖怪が現れました。
宇宙は巨大なシャボン玉のなかにあり、少しずつ膨張しています。沼の底にあるシャボン玉は、別の宇宙との境で、かたちんばはそこからやってくるようです。巨大なシャボン玉はいつかパチンと弾け、我々はどうなるかというと……。
「おれはひとりじゃなかった(Then I wasn't Alone)/松林のなかのおののき(Shiver in the Pines)」
ジョンがギターを弾いていると笛の音がしました。顔をあげると茂みのなかに若い男がいます。が、彼は「ケンタウロス」でした。
子ども同士が結婚する予定の隣人ホージェとエディーの元に、偶然を装い現れた男が儲け話を持ちかけます。子どもたちの幸せのため、土地を担保に金を作るホージェとエディー。そして、いにしえびとの宝があるという松林のなかの鉱坑へゆくと……。
男は明らかに詐欺師なのですが、皆コロリと引っ掛かってしまいます。ただし、怪奇小説だけあってきちんと怪物が登場するので、そこからはジョンの独擅場になります。人がよくて騙されやすいところもジョンの魅力のひとつです。
「ホフの話を知ってるか(You Know the Tale of Hoph)/ご先祖さまが待っている(Old Devilns Was A-Waiting)」
人々を苦しめたホフの話を聞きに男を訪ねた美しい娘。死んだと思っていたホフはまだ生きていて……。
超能力を研究している若い女医マッコイが、先祖を呼び出すことに成功します。ところが、現れた老人は女医に恋する青年の曽祖父で、女医と青年の一族は長く争いを続けていたことが分かります。
怪奇版『ロミオとジュリエット』といった話です。ジョンは老人につき合った後、若い恋人たちの邪魔をしないようそっと抜け出し、いつものようにバラッドを歌います。
「その場所は自分で捜せ(Find the Place Yourself)/ヤンドロー山の頂の小屋(The Desrick on Yandro)」
あらゆる手を使って人を誘おうとする呪われた家。通り過ぎて振り向くと……。
ヤンドローという山の歌を歌ったところ、同名の傲慢な男が現れ、そこに案内しろといいます。実は七十五年前、ヤンドローの祖父は魔女を騙し、金を手に入れるとニューヨークに去っていたのです。
山頂で伝説の怪物たちが一斉に襲い掛かってきたとき、ジョンは、自分がなぜ、あんな歌を歌ったのか気づきます。
「はるか下のほうの星(The Stars Down There)/ヴァンディー、ヴァンディー(Vandy, Vandy)」
美女に案内された世界の果ての崖。ジョンは冗談だと思い覗き込むと、谷底には星がきらめいていました。そして……。
三百年前から生きている魔法使いは、美少女ヴァンディーの母や祖母にふられ、三度目の正直とヴァンディーに迫ります。助けようとしたジョンは魔法によって、身動きできなくされてしまいます。
そんなジョンを救ってくれたのは二十五セント銀貨に描かれた「あの人」でした(悪魔は銀に弱い)。それにしても、ヴァンディーが目覚める前に去ってゆくジョンは、滅茶苦茶カッコいい。
「青い猿(Blue Monkey)/沈黙の食事(Dumb Supper)」
「誰ひとり青い猿のことを考えなければ鍋のなかの石を金に変えてやる」という男。そういわれてしまうと青い猿のことを考えざるを得ないため、石はそのまま変わりません。そのジョークをもらったジョンが別の場所で「赤い魚のことを考えなければ……」というと……。
ミーチャム家の娘とドノヴァント家の男が恋に落ち、それがきっかけで両家は銃を撃ち合い全滅したという昔話を聞いたジョン。その後、彼が迷い込んだ丸木小屋には美しい女がいて、ダムサパー(食卓の前に結婚相手の姿が映るまじない)をしていました。
生きている者の時間も、死んだ者の時間も等しく止まっており、それが動き出す瞬間は震えるほど美しい。ジョンはここでも恋人たちをつなぐ役割を果たします。相手が誰なのかは意外だったようですが……。
「そう主張する資格はない(I Can't Claim That)/小さな黒い汽車(The Little Black Train)」
ジョンを呪い殺そうとする魔法使い。ジョンは術にかかって死んだふりをし、魔法使いに飛びかかると……。
パーティでギターを弾いてくれと頼まれたジョンは、そこで黒い汽車にまつわるバラッドを入手します。女主人ドーニー・キャラワンは若い頃、鉄道会社の社長と婚約しましたが、彼女に恋した別の若い男が社長を殺してしまいます。ドーニーは罪に問われず、鉄道を相続します。しかし、社長の母によって呪いをかけられてしまったのです。
線路を撤去したにもかかわらず、次第に近づいてくる汽車。ジョンは、あるものを使ってドーニーを救ってあげます。それでも、見返りを一切欲しないのが素敵です。ラストで明らかになるハーモニカ吹きの正体も面白い。
「ほかのだれをあてにできるか(Who Else Could I Count on)/山のごとく歩む(Walk Like A Mountain)」
未来に起こる戦争のことを伝えに四十年後からやってきた老人。その正体は……。フィリップ・K・ディックがよく書くテーマ(『ザップ・ガン』や「歴戦の勇士」など)ですが、オチの科白が上手い。この部分だけ、アイザック・アシモフ編の『ミニミニSF傑作展』にも収録されています。
山奥に知人を訪ねてゆくと、その娘が巨人にさらわれていました。助けに滝の上に登ったジョンは、間もなく大雨が降り、集落が全滅することを知らされます。ジョンは、放水路を作るため大岩を動かそうとしますが……。
民話や童話において巨人は悪者にされ、虐げられてきました。先入観を持たないジョンは、ここでも恋の橋渡し役を演じます。ジョンは人間も悪魔も亡霊も怪物も区別をせず、その魂をみつめているのでしょう。
「そんな旅をした記憶はない(None Wiser for the Trip)/山にのぼりて告げよ(On the Hills and Everywhere)」
友人に鹿肉をもらって家に帰る途中、姿を消した男。二十八年後に変わらぬ姿で現れ、「鹿肉はどこだ」と尋ねます……。
仲のよかった隣人が詰まらないことで仲違いし、片方が境界に溝を掘ってしまいます。もう片方は、ぶらりと現れた大工に柵を作ってくれと頼みますが、できあがったのは……。
今回、ジョンは現場におらず、伝え聞いた話として語ります。身長六フィートちょうどの大工の正体は、三つ前の「沈黙の食事」のなかで明らかにされているという仕掛けが斬新です。
「まじないなんか使わない(Nary Spell)/九ヤードのべつの布(Nine Yards of Other Cloth)」
牛が賞品の射撃大会に出場したジョンは……。最後のスケッチは魔法や怪奇現象とは無関係です。
黒光りする魔法のヴァイオリンを操る男シャル・コーバードから美女イヴァデアを救うため、ジョンはカルーという骸骨の化物のいる土地に入り込みます。そこにはなぜか、ひとりでカルーを退治にいったインディアンの墓があり……。
カルーの謎も面白いのですが、最終回だけあって読みどころは別にあります。いよいよジョンにも年貢の納め時がやってくるのです。といっても、定住して畑を耕すなんてことにはならないのが素晴らしい。彼の、いえ、彼らの放浪はまだまだ続きます。
※:売れなかったせいかゾッキ本としても販売されていた。天か地についている黒いマジックの点がゾッキ本の証である。
『悪魔なんかこわくない』深町眞理子訳、国書刊行会、一九八六
→『ルネサンスへ飛んだ男』マンリー・ウェイド・ウェルマン
アーカム・ハウス叢書
→『黒の召喚者』ブライアン・ラムレイ
→『海ふかく』ウィリアム・ホープ・ホジスン
→『黒い黙示録』カール・ジャコビ
→『アンダーウッドの怪』デイヴィッド・H・ケラー