読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『狩人の夜』デイヴィス・グラッブ

The Night of the Hunter(1953)Davis Grubb

 デイヴィス・グラッブは、作品数が少なく、取り立てて特徴のある作品を書いたわけでもありません。そのため、本来であれば死後は人々の記憶から消えてしまうような作家だと思います。
 そうならなかったのは、処女長編である『狩人の夜』(写真)のインパクトが強すぎたからでしょう。

 とはいえ、日本では『狩人の夜』が翻訳される前に、朝日ソノラマ文庫海外シリーズから『月を盗んだ少年』という短編集が出版されました。
 いくつか好きな短編(「離魂術」や「合法的復讐」など)はありましたが、全体的には可もなく不可もなくといった印象でした。

狩人の夜』は、一九九六年になってようやく、トパーズプレスの「シリーズ百年の物語」というコンセプトのよく分からない不思議な叢書から邦訳出版されました。
 実をいうと『狩人の夜』は、一九五五年にロバート・ミッチャム主演で映画化されています。カルト的な人気を誇ったそうですが、残念ながら日本未公開だったため、原作が翻訳されませんでした。
 その後、テレビ放映されたり、劇場公開されたりしたことで日本でも評価が高まり、訳本の刊行に至ったようです。

 一九三〇年代、米国。世界恐慌の影響で貧困にあえいでいたベン・ハーパーは、銀行強盗に入り、ふたりを殺害した罪で死刑になります。しかし、ベンは奪った1万ドルのありかを最後まで明かしませんでした。
 ベンと刑務所で同室だったハリー・パウエルは、右手の指にLOVE、左手の指にHATEと刺青をした怪しい自称伝道師(※)。彼は未亡人を口説き落とし、殺害した後、金を奪って逃亡するという悪事を繰り返していました。パウエルは、刑務所を出た後、ベンの妻子の住む家に現れます。そして、ベンの妻ウィラと次第に親しくなり、求婚するのです……。

 分かりやすくいうと、女子どもしかいない家庭に殺人鬼が忍び寄る恐怖を描いたサスペンスです。
 闖入者が善人か悪人かを明らかにせず引っ張る手口もありますが、『狩人の夜』ではパウエルが極悪人であることは冒頭から読者に提示されます。
 ただし、登場人物のなかでパウエルの邪悪さに気づくのはベンの息子のジョンのみで、それが読み手をヤキモキさせるというわけです。

 奪った一万ドルの隠し場所と、その秘密をジョンと妹のパールだけが知っているかも知れないという謎も中盤で明らかになり、さらには母親までいなくなる(パウエルに殺害される)ため、以後はひたすら無力な兄妹(七歳と四歳)がパウエルの魔の手からいかに逃れるかが読みどころとなります。
 現代のサスペンスでは、擦れっ枯らしの読者の裏をかいてやろうと様々な仕掛けを施すため、こうしたシンプルな展開はまずありません。
 だからといって詰まらないかというと、決してそんなことはなく、小手先の技にはない力強さを感じます。

 また、パウエルの目的を、純粋に金にした点も評価できます。
 得体の知れなさを醸し出すためサイコ系のキャラづけをしたり、凶悪さを印象づけるためあらゆることに貪欲だったりすると、結果的に安っぽく類型的なキャラクターになり兼ねません。
 パウエルは、指に刺青を彫った牧師という強烈な印象とは逆に、イカれているわけでもなく、また知能犯でもない点がユニークです。
 だからこそ、「短絡的な行動を取る」「牧師とは思えない間違いだらけの幼稚な手紙を書く」など冷静に考えるとおかしな点が多く、読みながら「周りの大人たち、もっとしっかりしろよ!」と叫びたくなります(妻となったウィラとも、誘惑してきた少女ともセックスをしないのは、性的不能者であることを示しているのかも知れない)。

 そう。実をいうと『狩人の夜』は、別の角度からみると「困った大人たちに振り回される幼い兄妹の悲劇」といえるのです。
 そもそも、何も悪いことをしていない家族が悪魔に襲われたわけではありません。計画性はなかったとはいえ銀行強盗をしてしまった父、安易に再婚をしてしまう母にも大いに問題があります。さらには、パウエルを善人と思い込むアイスクリーム屋の婦人、肝心なときは何の役にも立たない老人など、ジョンの視点に立つと世のなかは情けない大人たちで一杯です(唯一、頼りになったのは兄妹を匿ってくれたレイチェルおばあさん)。
 世界恐慌による貧困は、子どもを犠牲する免罪符にはなりません。そこに大いに憤りを覚えます。

 実際、大人の身勝手に翻弄されたジョンは、事件が解決した後、知人の夫婦や老人のことさえ思い出せなくなってしまいます。
 一方、兄妹を救ってくれたレイチェルとはクリスマスのプレゼントを交換するなど、信頼を築いてゆきます。
「憎しみ」の溢れる世界において、それはささやかですが、確かな「愛」なのです。

※:ラブ&ヘイトの入れ墨を流行らせたのは、この作品の映画版だといわれている。例えば、『ロッキー・ホラー・ショー』に登場するエディも、両手にこのタトゥーをしている。

狩人の夜』宮脇裕子訳、創元推理文庫、二〇〇二

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