読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『熱い太陽、深海魚』ミシェル・ジュリ

Soleil chaud, poisson des profondeurs(1976)Michel Jeury

 サンリオSF文庫の特徴のひとつとして、日本人にとって馴染みの薄いフランスのSFを数多く紹介してくれたことがあげられます(※1)。

 『馬的思考』アルフレッド・ジャリ
 『五月革命'86』ジャック・ステルンベール
 『飛行する少年』ディディエ・マルタン
 『不安定な時間』『熱い太陽、深海魚』ミシェル・ジュリ
 『愛しき人類』フィリップ・キュルヴァル
 『この狂乱するサーカス』ピエール・プロ
 『着飾った捕食家たち』ピエール・クリスタン

 以上の八冊がそれです(ロジェ・カイヨワの『妖精物語からSFへ』は小説でないため、含めない)。
 ジャリを除いて「現代(当時)の純粋なSF」という点が大いに評価できます。

 一方、サンリオ文庫廃刊後、他社から再刊された作品がひとつもないことから分かるとおり、人気は著しく低かったようです。
 カバーイラストやカバー裏の紹介文の影響もあるのか、得体の知れない感が半端なく、余程のゲテモノ好きでないと手を伸ばそうとしなかったのではないでしょうか(僕も、ほとんどが積読状態……)。
 だからこそ発行部数が限られ、廃刊後は軒並み高価な相場で取り引きされました。

 なかでも『熱い太陽、深海魚』(写真)は、『生ける屍』『猫城記』らと並んでレアといわれ、今でも入手が非常に困難な一冊です。
 レアな理由としては「全く売れず大量の在庫が断裁されたから」とか「SFファンやサンリオ文庫ファンだけでなく、松浦寿輝(※2)ファンまでもが欲しがったから」などといわれています。
 実をいうと、僕のサンリオ文庫コンプリート(※3。写真)の最後のピースがこれでした。残り一冊になったのが二〇一三年九月ですから、価格・状態ともに納得できる本をみつけるのに十五か月も費やしたことになります。

 と、いうように『熱い太陽、深海魚』は日本において妙な知名度を有していますが、ジュリのSFで人気・評価ともに高いのは、寧ろ『不安定な時間』Le Temps incertain(1973)の方です。また、この二冊はいずれも「管理社会が産み出した悪夢のような妄想」というテーマを扱っているため、まずは『不安定な時間』について簡単に述べたいと思います。

 二〇六〇年、ロベールは調査のため時間溶解剤(溶時剤)を飲み、一九六六年にタイムスリップし、会社の権力争いに巻き込まれているダニエルという男の人格とひとつになります。
 ここでは時間事故により時間が溶解しており、ダニエルは「不安定時間界」に投げ込まれ、微妙に変化する同じできごとを何度も繰り返しています。
 一方、ロベールら(ガリシャンカール病院)はHKHというナチのような国家と対立しており、ダニエルはその争いにも巻き込まれます。

 溶けた時間においては、時間の流れも空間もデタラメで、自分が何者なのか、一体何が起こっているのか定かではなくなります。自殺した男も現れますし、それどころか自分は死んでいるのかも知れない……。
 これは、最早いつ終わるか知れない悪夢といってよいでしょう。

 しかし、現実、幻覚、夢、記憶が錯綜する文学はよくありますし、それらと比較して、イメージが鮮烈だとか展開やオチが優れているとかいうわけではありません。
 寧ろこの小説の意図は、主人公がチェスの指し手なのか、駒なのか惑わすことにあったのではないでしょうか。
 そのための仕掛けが、ダニエルの体にロベールの精神が入り込んだり、それとは逆に船乗りレナートの体にいつの間にかダニエルの精神が入り込んだりすることや、HKHという謎の国家の存在です。
 これらは下手をすると時間どころか小説そのものを崩壊し兼ねない荒技ですが、ダニエルは自らの妄想における全知全能の存在なのか、それとも時間を操ることのできる巨大な帝国の陰謀に翻弄されているのか、読者には判断できなくなるという効果を齎します。
 勿論、その謎が読書の推進力となります。
 最後には一応の解釈も用意されていますが、納得するか否かは読者次第でしょう(僕は、幼稚っぽさが気になってしまった……)。

 さて、『熱い太陽、深海魚』もテーマは同じと書きましたけれど、当然ながら手法は異なります。シリーズ三作目ということもあって、より複雑で難解になっているのです。
 個人的にはこちらの方が好みですが、要旨を作るのが困難なほど取り留めがないので一般受けはしないでしょうね。一応、以下にごく大雑把な設定を記しておきます。

 二〇三九年、地球は一部の特権階級によって支配され、人々は頭に機械を埋め込まれ管理されています(ブレインコンタクト)。地球連邦に対する革命グループや教会、合併を模索する巨大な企業、対立するふたつの超システムなどが形作る社会において、日に当たっていないのに日焼けで肌が褐色になるフッド病(熱い太陽)、鱗のような湿疹ができるボルディ病(深海魚)という症候群が流行しています。
 これは歪な社会が齎した人類の破滅の兆候なのでしょうか。

 様々な要素が盛り込まれているので読み応えはありますが、その反面、メインのテーマがぼやけてしまった感は否めません。また、社会の構図が単純化・類型化されすぎている嫌いもあります。あるいは、どれかに焦点を絞った方が深く濃い作品になった可能性もあります。
 一方で、SFとして面白い概念やガジェットは沢山詰まっています。ひょっとするとこの作品は長編としての完成度を求めるのではなく、細部を楽しむのに向いているのかも知れません。

 例えば、パップと呼ばれる存在は、個性を剥奪され、性奴隷となり、挙げ句の果ては解体され臓器を奪われてしまいます。彼らの体は、若返りを希望する者たちによって取り引きされ、貨幣単位もそれを元に定められているのです。奴隷というより、まるでものや家畜、そう、家畜人ヤプーみたいなんです。
 人の欲望を恥ずかしげもなく具現化すると、こんなものができ上がるような気がして非常に興味深い。

 もうひとつ重要な役目を果たすのが、コンピュータによるバーチャルリアリティです。これは空間幻覚と模像知覚によって(ブレインコンタクトを通じて無理矢理?)現実と区別のつかない体験をさせるというもので、地球連邦の大統領であろうと、大富豪であろうと抗えません。
 単なる疑似体験かと思いきや、精神に異常をきたす者や、幻影だと思った白猿に殺される者まで出てきます。こうなると世界の真の支配者はヤン(イメージメーカーと呼ばれるシナリオライター)であるようにもみえてきます。実際に権力を握っているというわけではなく、正に彼は、フィクションの登場人物にとっての作者と同じだからです。

 ところが、ヤンは、自分の書いた虚構のなかから抜け出せなくなってしまいます。彼もまた、得体の知れない大きな力に翻弄されているわけです。
 これは、ある意味、『不安定な時間』とよく似た状態といえるでしょう。虚構が現実を浸食しているのか、あるいはその逆なのか分かりませんが、いずれにしても大いなる酩酊感が伴います。

 大きく異なる点は、妄想が社会全体を巻き込んでゆく点です。
『不安定な時間』は、真相はともかく飽くまで個人レベルの悪夢という感じがしましたが、『熱い太陽、深海魚』は、次々に主役クラスの人物が悪夢に襲われ死んでゆきます。しかも、それぞれの欲望(権力、セックス、若さ、金、名誉など)に裏切られるかのように惨めな最期を迎えるのです。
 この集団自殺とも死の連鎖ともいえる終盤の展開は異様な迫力があり、退屈な前半を読み進んだ苦労が報われることになります。

 ちなみに、タイトルにもなっているふたつの病ですが、熱い太陽の方は知的・社会的水準が高い人々の病気で、深海魚は下層階級の精神障害とのことです。つまり、それぞれの階級を象徴しているわけですね。
 今ひとつピンとこなかったんですけど、最後にジュリは「真に人間的な唯一の社会とは、各個人が自分の相反する二衝動に心ゆくまで身をまかせることのできるような社会である。各個人が同時に《熱い太陽》にも《深海魚》にもなることのできるような社会である」と結んでいます。

※1:フランスSFの歴史については『不安定な時間』の巻末に詳しい解説が掲載されている。ジュール・ヴェルヌや『未来のイヴ』を書いたオーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダンなど十九世紀の作品を除くと、最も有名なフランスSFはピエール・ブールの『猿の惑星』とあるが、有名なのは映画の方で、原作がフランスのSF小説だと知っている人はどれくらいいるだろうか(ちなみに、衝撃的なオチは映画オリジナルである)。

※2:巻末の訳者紹介では、振り仮名が「まつうらすみてる」となっている。

※3:サンリオSF文庫二百一冊(異装版四冊を含む)、サンリオ文庫二十四冊(A〜C)の計二百二十五冊を集めた(Dのロマンス小説もちょこっと買ってしまったので、正確にはもう少し多い)。元々コンプするつもりがなかったため、時間はかかったが、比較的安価で揃えることができた。最近、『サンリオSF文庫総解説』なんて本が刊行されたせいか、古書価格は上がり気味なので、安く集めたい人はしばらく様子をみた方がよいかも知れない。


『熱い太陽、深海魚』松浦寿輝訳、サンリオSF文庫、一九八一

サンリオSF文庫、サンリオ文庫
→『マイロンゴア・ヴィダル
→『どこまで行けばお茶の時間アンソニー・バージェス
→『深き森は悪魔のにおい』キリル・ボンフィリオリ
→『エバは猫の中
→『サンディエゴ・ライトフット・スートム・リーミイ
→『ラーオ博士のサーカス』チャールズ・G・フィニー
→『生ける屍』ピーター・ディキンスン
→『ジュリアとバズーカアンナ・カヴァン
→『猫城記』老舎
→『冬の子供たち』マイクル・コニイ
→『アルクトゥールスへの旅デイヴィッド・リンゼイ
→『旅に出る時ほほえみを』ナターリヤ・ソコローワ
→『』ロザリンド・アッシュ
→『浴槽で発見された手記スタニスワフ・レム
→『2018年キング・コング・ブルース』サム・J・ルンドヴァル
→『パステル都市』M・ジョン・ハリスン
→『生存者の回想』ドリス・レッシング
→『マラキア・タペストリ』ブライアン・W・オールディス
→『この狂乱するサーカス』ピエール・プロ
→『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』ウィリアム・コツウィンクル
→『どこからなりとも月にひとつの卵』マーガレット・セントクレア
→『ジョン・コリア奇談集』ジョン・コリア
→『コスミック・レイプシオドア・スタージョン
→『この世の王国』アレホ・カルペンティエル
→『飛行する少年』ディディエ・マルタン
→『ドロシアの虎』キット・リード

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