読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『白い犬』ロマン・ガリー

Chien blanc(1970)Romain Gary

 僕は文庫本が大好きなので、古書店にゆくと一目散に翻訳小説の文庫コーナーを目指します。
 若い頃は、サンリオSF文庫、ハヤカワ文庫、創元文庫などに探求書が多かったのですが、それらは割と簡単にみつかりました。戦前に刊行された岩波文庫新潮文庫春陽堂文庫、改造文庫などもインターネットで購入するようになると、容易に手に入るようになります。
 そうこうするうちに、気づいたことがあります。集めるのが圧倒的に難しいのは角川文庫の海外文学だということに!(※1)

 探しているのは、旧装幀のいわゆる赤帯ではなく、主に一九七〇年代以降の海外文学にもかかわらず、角川文庫はなぜみつけにくいのでしょうか。
「映画の原作やノベライズが多いため、販売期間が短く、部数も少なかった」「マイナーなエンターテインメント小説は余り売れなかった」「ほとんど復刊されていない」「なぜかAmazonに登録されていない本が多い」「コレクターが買い漁ってしまった」なんて理由が思いつきますが、それらが正しいかどうかは分かりません(※2)。

 僕はコンプリートを目指してもいないし、高価な本には手を出さないので、古書店(特にブックオフ)の百均コーナーで角川文庫をチェックしています……などとさらっと書きましたが、実をいうと、レアな角川文庫を安く入手することは今や人生最大の楽しみといっても過言ではないくらいなのです。
 休日になると車を運転してブックオフをローテーションしていますが、いい歳したおっさんの生き甲斐がこんなことだとは恥ずかしくてとても人にいえません(いってるけど……)。

 なお、掘り出しものがそうそうみつかるはずはなく、読まずに死ぬことが確実なノベライズなどを買い漁り、結果、部屋にはそれらがうず高く積み上がる始末……。
 ま、こういうのは価値こそないものの、いざ探すとなると厄介なので、安いのをみつけたら買っておくに如くはないと自分を慰めておきます。

 さて、かつての角川文庫はインパクトのあるカバーイラストが用いられることが多く、なかでもロマン・ガリーの『白い犬』(写真)とトム・デミジョンの『黒いアリス』は強烈でした。
 両者は、書かれた時期が近く、白人による黒人文学で、タイトルに「黒」ないし「白」が含まれるという共通点があります。
 さらに、どちらも、ぶっ飛んだ作品といえるかも知れません。

 一九六八年、ビバリーヒルズに住むガリーの元に歳を取ったシェパードが迷い込んできます。その犬バーティカは黒人をみると攻撃を仕掛けるよう教育されているようです。
 やむを得ずバーティカを動物園に預けたところ、黒人飼育員は「白い犬」を「黒い犬」に再教育しようとします。

「白い犬」とは、南部で逃亡黒人を狩るために特別に訓練された犬のことです。それを黒人の飼育員が、白人を襲う「黒い犬」に改造しようと考えるわけです。
 しかし、プロットはその程度で、後は主人公が主に米国の黒人差別問題について、つらつらと考えるという、私小説のようなエッセイのような作品です。

 登場人物は、ほぼ実在するようです(実名ないし仮名が用いられる)。勿論、妻のジーン・セバーグも本人として登場します。
 当時、ガリーは五十四歳、セバーグは三十歳でした(ふたりは一九七〇年に離婚)。セバーグは全米国人地位向上協会やブラックパンサー党を支援していました。
 一九六八年といえば、マーティン・ルーサー・キングや、人種問題に積極的に取り組んでいたロバート・ケネディが暗殺された年です。特にキング牧師の死後は、黒人による暴動が数多く起こりました。また、ベトナム戦争、フランスの五月革命も重要なできごととして人種差別問題に絡めて語られます。
 ガリー自身も黒人女性との間に子どもを儲けていることもあり、黒人問題を扱う必然性は十分にあったといえます。

 とはいえ、ガリーは、マーロン・ブランドのように差別的な制度や慣習、言動を糾弾したり、手放しで黒人解放闘争を支持したりするわけではありません。
 黒人の味方をすることが正義という風潮のなか、彼らの運動や組織の問題点を炙り出したのです。
 例えば、白い犬を調教しようとする飼育員、南部の州を奪い新アフリカ共和国を建設しようとする黒人解放運動の指導者、FBIのスパイ、セバーグの名と金を利用しようとする活動家、セバーグに嫉妬する活動家の妻たちなどが槍玉に挙げられます。

 一方で、白人にも容赦はしません。黒人の組織を作り寄付金を着服する金持ちの白人、黒人を恐れるが故、白い犬を譲って欲しいと頼む自称「進歩主義者」、戦後にアメリカへやってきたにもかかわらず、奴隷制を主張することで先祖代々アメリカに住んでいたと思わせようとするユダヤ人などを舌鋒鋭く批判します。

 それだけでなく、現代であれば差別的であるとして活字にならないであろうことも沢山記載されているのがミソです。
 例えば「白人が黒人を憎むのはペニスの大きさにコンプレックスがあるからだ」「白人娼婦の九割は黒人のペニスの方が大きいというが、黒人娼婦はどちらも変わらないという。その理由は、白人女性は白人男性を恨んでおり、黒人女性は白人男性に自信を持たせようとしているからだ」「黒人は白人の血が混じっていることを訴えたがる。しかし、母親がレイプされたとはいえないので、祖母がレイプされたという」「白人女性が黒人解放運動にかかわると、大抵セックスが目的と叩かれる」「米国では黒人が差別されるが、フランスには黒人がいない(存在しないものと見做されている)」「黄禍が起これば黒人差別はなくなる。なぜならベトナム戦争においてベトコンを相手にしたとき、白人と黒人の区別はなかった」などなど……。
 ガリーの意見もあり、他人の考えもあります。今では口に出すのも憚れる発言ですが、差別とはこうした偏見が生み出すものであることを理解するという意味では貴重かも知れません。

 繰り返しますが、小説の体裁は取っているものの、実質的には辛辣なコラムといった感じです。
「そんな古いテーマを、今読む必要があるのか」と思われるかも知れませんが、人種差別問題は全く解決されていません。
 また、当時の米国や五月革命が起こっていたパリの息吹や緊張感を感じ、後にそれぞれ自死を選択したガリーとセバーグという夫婦の結婚生活の末期を垣間みられるのは、非常に興味深い。

 さらに、僕にとっては、生まれた年の翌年のできごとで、当時のガリーの年齢と今の自分の年齢が同じという、不思議な因縁を感じつつの読書でした。

※1:ミステリーのコレクターなら、初期の創元推理文庫の方が集めにくいと感じるかも知れないが、幸いなことに僕はミステリーに全く興味がない。

※2:現時点で比較的高額で取り引きされている角川文庫の海外文学(一九七〇年代以降)を思いつくままにあげておく(著者名は角川文庫版に依った)。相場は変動するので、購入の際は、僕の情報を鵜呑みにせず、慎重に調べていただきたい。
 『白い犬』ロマン・ギャリ
 『地の果ての燈台』ヴェルヌ
 『少年船長の冒険』ジュール・ヴェルヌ
 『魔法入門』W・E・バトラー
 『オカルト入門』W・E・バトラー
 『遙かなる星』ヤン・デ・ハートック
 『河の旅、森の生活』レイモンド・マンゴー
 『黒いアリス』トム・デミジョン
 『バリー・リンドンサッカレー
 『ベルリンよ、さらば −救いなき人々』C・イシャウッド
 『エレファント・マン』マイカル・ハウエル、ピーター・フォード
 『イージー・ライダー』テリイ・サザーン
 『』L・P・ハートレー
 『怪奇と幻想〈全3巻〉』アンソロジー
 『地下道』ハーバード・リーバーマン
 『ゲッタウェイ』ジム・トンプソン
 『わが愛は消え去りて』スー・カウフマン
 『怪盗レトン』ジョルジュ・シムノン
 『ラジオナメンティ』ピエトロ・アレティー
 『ロールスロイスに銀の銃』チェスター・ハイムズ
 『夜の熱気の中で』チェスター・ハイムズ
 『暑い日暑い夜』チェスター・ハイムズ
 『流砂』ビクトリア・ホルト
 『女王館の秘密』ビクトリア・ホルト
 『愛の輪舞』ビクトリア・ホルト
 『未来の記憶』エーリッヒ・フォン・デニケン
 『悪党パーカー カジノ島破滅作戦』リチャード・スターク
 『悪党パーカー 死神が見ている』リチャード・スターク
 『悪魔の館』アーチー・オーボラー
 『祟り』トニー・ヒラーマン
 『王は死なねばならぬ』メアリー・リノールト
 『スカルノ自伝』
以下は、新訳・復刊などで安価なものが購入できるため、角川文庫版を無理して購入するのは勧めない。
 『さすらいの旅路』ネヴィル・シュート
 『魚が出てきた日』ケイ・シセリス
 『彼らは廃馬を撃つ』ホレス・マッコイ
 『いなごの日』ナセニェル・ウェスト
 『クール・ミリオン』ナセニェル・ウェスト
 『異端の鳥』イエールジ・コジンスキー


『白い犬』大友徳明訳、角川文庫、一九七五

→『これからの一生エミール・アジャール

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