読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『泰平ヨンの航星日記』スタニスワフ・レム

Dzienniki gwiazdowe(1957)/Kongres futurologiczny(1971)/Wizja lokalna(1982)Stanisław Lem

 スタニスワフ・レムは、『泰平ヨンの航星日記』に、刊行後もしつこく手を加え続けました。何と二十一世紀になっても、まだいじくっていたそうですから、相当な思い入れがあったのでしょう。
 それによって、最初は単なる「SF版ほらふき男爵」だったものが、次第に複雑な構造のメタフィクションへと変貌してゆきました。文明批判や社会諷刺、科学的思考といった部分が強調され、より深みのあるスペキュレイティブフィクションとなったのです。

 ただし、版によって大きな違いが生じ、どれを読んでよいのか分かりにくくなってしまったのも事実。
 作者の意向に沿っているのは二〇〇三年の最終版であり、これを元にしたハヤカワ文庫の『泰平ヨンの航星日記』の改訳版を手に入れればよいのですが、削られてしまった短編があると聞けば、読んでみたくなるのが人情でしょう。
 というわけで今回は、翻訳されている「泰平ヨン」シリーズを整理してみたいと思います。

「泰平ヨン(Ijon Tichy)」シリーズには、短編と長編があります。
 短編は元々『Dzienniki gwiazdowe』という本に収録されていました(一九五七年の初版には、無関係の短編「ミスター・ジョンズ、きみは存在しているのか?」「迷路の鼠」なども含まれていた)。一九六六年に「泰平ヨン」のみの版が出たので、それを元にしたのがのようです(ロシア語からの重訳で、全訳ではなさそう)。
 その後、さらに新たな短編が追加されたことによってボリュームが増え、『Podróże Ijona Tichego』()と『Ze wspomnień Ijona Tichego』()の二冊に分けられました。
 以下は、シリーズの短編が収録されている日本の書籍です〔『レムの宇宙カタログ』にも「第八回の旅」が一編だけ収録されているが、訳者が同じ(深見弾)なので、ここでは省く〕。

:『泰平ヨンの航星日記』袋一平訳、ハヤカワSFシリーズ写真
:『泰平ヨンの航星日記』深見弾訳、ハヤカワ文庫写真
:『泰平ヨンの航星日記』〔改訳版〕深見弾大野典宏訳、ハヤカワ文庫写真
:『ヨン博士の航星日記』袋一平訳、集英社写真
:『泰平ヨンの回想記』深見弾訳、ハヤカワ文庫写真
:『すばらしきレムの世界2』深見弾訳、講談社文庫写真
:『短篇ベスト10』関口時正、芝田文乃訳、国書刊行会

 次に、原書に沿った日本版の収録状況を「原題」「発表年」「邦題」「収録されている書籍(略号)」の順に記します。

Podróże Ijona Tichego(泰平ヨンの航星日記)
 Podróż siódma(1964)「第七回の旅」
 Podróż ósma(1966)「第八回の旅」
 Podróż jedenasta(1961)
「第十一回の旅」
 Podróż dwunasta(1957)「第十二回の旅」「アマウロピア奇談」
 Podróż trzynasta(1957)「第十三回の旅」
 Podróż czternasta(1956)「第十四回の旅」「クルドリの世界」
 Podróż osiemnasta(1971)「第十八回の旅」
 Podróż dwudziesta(1971)「第二十回の旅」
 Podróż dwudziesta pierwsza(1971)「第二十一回の旅」
 Podróż dwudziesta druga(1954)「第二十二回の旅」「ナイフのゆくえ」
 Podróż dwudziesta trzecia(1954)「第二十三回の旅」
 Podróż dwudziesta czwarta(1954)「第二十四回の旅」「ひかる円盤」
 Podróż dwudziesta piąta(1954)「第二十五回の旅」
 Podróż dwudziesta szósta i ostatnia(1954)「第二十六回の、そして最後の旅」「エイボムの神」
 Podróż dwudziesta ósma(1966)「第二十八回の旅」
 Ostatnia podróż Ijona Tichego(1999) 未訳(書籍には収録されていない「最後の旅」。ポーランド版「プレイボーイ」に掲載された)

Ze wspomnień Ijona Tichego(泰平ヨンの回想記)
 I -Profesor Corcoran(1961)「鉄の箱」「第一話」
 II -Profesor Decantor(1961)「不死のたましい」「第二話」
 III -Profesor Zazul(1961)「青い液体」「第三話」
 IV -Fizyk Molteris(1961)「時間の輪」「第四話」
 V -Tragedia pralnicza(1963)「第五話」「洗濯機の悲劇」
 Formuła Lymphatera(1961)「リンファーテルの公式」
 Doktor Diagoras(1964)「第七話」
 Zakład Doktora Vliperdiusa(1964)「第六話」
 Ratujmy kosmos(1964)「公開状 宇宙を救おう!」「宇宙を救おう!(泰平ヨンの公開状)」
 Kongres futurologiczny(1971)『泰平ヨンの未来学会議』
 Profesor A. Dońda(1973)「第八話」「A・ドンダ教授」
 Pożytek ze smoka(1993) 未訳(『航星日記』なのか『回想記』なのか書かれていないが、テーマ等から鑑みて『回想記』に分類されている)

『泰平ヨンの航星日記』には、からまで四種類の訳本があります。
 一九六七年に発行されたを外せないのは、第三版以降削除された「第二十六回の、そして最後の旅」が収録されているためです(にも「エイボムの神」として収録されている)。レムは、後に「第二十八回の旅」を書き足し、「第二十六回」の掲載(翻訳を含む)を認めなくなったため、この本は大変貴重になりました。
 また、「地球の泰平ヨン」(『泰平ヨンの回想記』のIからIVに当たる)の冒頭につけられた「編集長より」(たった一頁の注意書きみたいなもの)もにしかありません。

 実をいうと『泰平ヨンの航星日記』は、収録数の増減こそあれど、各短編の内容には大きな変化がありません。では、何が変わっているかというと、アストラル・ステルヌ・タラントガ教授による「序文」が追加されているのです。
 序文には以下の四種類があります。

:序文(1954)
:第三版への序文(1966)
:増補改訂版への序文(1971)
:資料に対する覚書(1976)

 その内容は、は「日記は膨大な量があり、まだ整理できていないが、取り敢えずいくつか紹介する」、は「第八回と第十八回(第十八回はと重複する。間違いか?)の旅を追加する。また、第二十六回の旅は偽書だったので削除する。ヨンの著作は疑ってかかるべきという報道があった」、は「第十八回、第二十回、第二十一回の旅を追加する。新たにイラストを加える。日記には隠蔽や虚偽の記述があるかも知れないことを匂わす」、は「仰々しい機関名を挙げ、ヨンの日記がますます怪しいことを強調する」といった感じです。

 レムによる最終版にはが使われています。日本では、にはが、にはが、にはが収録されています。
「序文」の追加によって、「第二十六回の旅」が偽物だったとか、泰平ヨンはゴーストライターを雇っているなどといった具合に胡散臭さが増してゆきます。
 そして、到頭『泰平ヨンの現場検証』では「第十四回の旅」の記述が間違いだと指摘され、ヨン自身が現場検証に向かうことになるのです。これぞメタフィクションの持つ自己言及機能の典型といえるでしょう。

 さらに、レム自身によるイラストの有無という相違もあります。
 序文によると、一九七一年版からイラストが加わったため、にはオリジナルのイラストがなく(金森達のイラスト入り)、には十六点、には一点多い十七点のイラストが入っています。
 ちなみに原書の最終版には「第二十回の旅」と「第二十一回の旅」のイラストしか収録されていないそうです。
 また、『泰平ヨンの回想記』にも九点のイラストが掲載されています。『泰平ヨンの現場検証』のカバーイラストは原書と同じものですが、本文中にはイラストがありません。

 説明がややこしくなりましたが、結論をいうと、短編に関してはを入手すればよいことになります。

 なお、タラントガ教授を主人公にしたシリーズもあります。これはポーランドで人気のあったテレビ・ラジオドラマのシナリオです。
 Wyprawa profesora Tarantogi
 Czarna komnata profesora Tarantogi
 Dziwny gość profesora Tarantogi「タラントガ教授の奇妙な客」
 Godzina przyjęć profesora Tarantogi
 唯一邦訳のある「タラントガ教授の奇妙な客」は「SFマガジン」一九七七年四月号に掲載されています。欲張りたい方は、これも入手するとよいでしょう。

 中編は『泰平ヨンの未来学会議』(1971)(写真)として単独で刊行されています。
 集英社の「ワールドSF」版の『泰平ヨンの未来学会議』は高価なことで有名でしたが、映画『コングレス未来学会議』の公開に合わせ改訳版が出版されたため、古書価格も落ち着きました(個人的にはちょっと悔しい……)。

 長編は『泰平ヨンの現場検証』(1982)(写真)と『Pokój na Ziemi』(1987)(写真)の二冊があります。
 シリーズ最後の一冊『Pokój na Ziemi』が翻訳されていないのが何より残念です。国書刊行会が「スタニスワフ・レムコレクション」を刊行すると聞いたとき期待しましたが、ラインナップされずがっかりしました。
 三巻までで止まっていた「銀河ヒッチハイクガイド」シリーズだって約二十年ぶりに完結したのですから、どこかで刊行してもらえないでしょうかね。『泰平ヨンの航星日記』や『泰平ヨンの未来学会議』の在庫がある今がチャンスだと思うのですが……。(追記:二〇二一年十二月、国書刊行会の「スタニスワフ・レムコレクション」から『地球の平和』として刊行されました

 ……と、記事が非常に長くなってしまったため、今回は思い切って感想を省略します。
 ご興味のある方は、まず以下の書籍・雑誌を集めるところから始められるとよいと思います。

『泰平ヨンの航星日記』袋一平訳、ハヤカワSFシリーズ、一九六七
『泰平ヨンの航星日記』〔改訳版〕深見弾大野典宏訳、ハヤカワ文庫、二〇〇九
『泰平ヨンの回想記』深見弾訳、ハヤカワ文庫、一九八一
『泰平ヨンの未来学会議』深見弾訳、集英社、一九八四、〔改訳版〕深見弾大野典宏訳、ハヤカワ文庫、二〇一五
『泰平ヨンの現場検証』深見弾訳、ハヤカワ文庫、一九八三
『すばらしきレムの世界2』深見弾訳、講談社文庫、一九八〇
SFマガジン」221号、一九七七


→『浴槽で発見された手記スタニスワフ・レム

『ほらふき男爵の冒険』関連
→『ケストナーの「ほらふき男爵」エーリッヒ・ケストナー
→『ミュンヒハウゼン男爵の科学的冒険ヒューゴー・ガーンズバック

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