Kilmeny of the Orchard(1910)L. M. Montgomery
どんなに好きな作品(あるいは作家)であろうと、誰もが知っているものを、このブログでは取り上げないようにしています。
別に格好をつけているわけではありません。僕のブログは定期読者がほとんどいないので、検索で上位に表示されなければほぼアクセスがなく、記事を書く意味がないからです。つまり、感想を書いている人が少ない本を狙う必要があるのです。
とはいうものの、たまにはメジャーな作家も扱っておきたい。純真無垢な小中学生が間違ってやってこないとも限りませんから……。
そんなわけで、今回はL・M・モンゴメリです。
正直、僕は、女性の作家が書いた恋愛小説や少女小説をほとんど読まないのですが、モンゴメリとジェイン・オースティンは別で、昔から愛読しています。
けれども、中高生の頃に読んでいた古い文庫本は、ほとんどが捨てたり実家に置いてきたりして手元に残っていません。大抵の小説はそのまま二度と出合うことはないのですけれど、モンゴメリは大人になってから買い直し、今でもときどき読み返しています。
尤も、いい歳をしたおっさんがモンゴメリを読んで涙しているとは打ち明けにくい……。それが、これまで感想を書かなかった理由でもあります。
モンゴメリは人気作家だけあって品切れの本が少ないのも、このブログにとってはネックとなります。
ところが、なぜか『果樹園のセレナーデ』(写真)は新本で入手できないようなので、今回はこれを取り上げることにします。
『果樹園のセレナーデ』はモンゴメリの作品としてはちょっぴり異色で、女性よりも男性にお勧めの一冊なのです(理由は後述)。
『果樹園のセレナーデ』は、『Una of the Garden』のタイトルで一九〇八年に雑誌に連載されたモンゴメリの処女長編です。
しかし、刊行は『赤毛のアン』や『アンの青春』より後になりました。『赤毛のアン』の成功がなければ日の目をみなかったかも知れませんね。
モンゴメリは、後期には『もつれた蜘蛛の巣』のような、登場人物もストーリーも複雑に絡み合った作品を書いています(作者自身も混乱して、間違いが多い)。
一方、『果樹園のセレナーデ』の特徴は、シンプルで短いこと。恐らく、あらすじは数行で書けてしまえるでしょう。
大学を卒業したエリック・マーシャルは、父の事業を手伝うことに決めていましたが、その前に、病気の友人に代わって臨時の教師を引き受けることにしました。プリンスエドワード島に赴いたエリックは、果樹園でヴァイオリンを奏でる美少女キルメニイと出会います。
彼女は口がきけないだけでなく、母親によって外部との接触を絶たれ、鏡をみたことがないため自らを醜いと思い込んでいます。キルメニイの妖精のような美しさと清らかさに惹かれたエリックは、彼女と結婚しようとしますが……。
モンゴメリの作品には、友情や恋愛をとおして成長する少女や、長い苦難の末に幸せを掴む女性が数多く登場します。彼女たちは恵まれた境遇にはなく、また特殊な才能もありませんが、一所懸命生きることで自分にも周りにも変化を齎す、いわば等身大のヒロインです。
女性の読者は、そんな彼女たちに感情移入しつつ、美しい自然や優しい人々、起伏に富んだ物語を楽しむのではないでしょうか。
もしそうだとすると、好きなヒロインを問うたとき、アン、エミリー、パット、セーラ・スタンリー、ジェーンらの名前はあがっても、キルメニイを選ぶ人は少ないかも知れません。
いくつか根拠がありますが、そのひとつとして、彼女が自ら道を切り開いてゆくタイプではない点があげられます。自信がなく、現状から抜け出す術がない受け身のキルメニイは、エリックという王子さまが現れなかったら、孤独のまま一生を終えていたと思われる弱い少女なのです。
受け身といえば、モンゴメリは「ちょっとしたすれ違いで何十年もいがみ合い、高齢になって誤解が解けて結ばれる」なんて短編をいくつか書いています(アンブックスの「ルシンダついに語る」など)。それとは少し違いますが、『青い城』のヴァランシーも不器量なオールドミスです。
それらのキャラクターには、婚約期間が長く、三十七歳でようやく結婚したモンゴメリ自身の経験が反映されているのでしょう。
物語としては感動的なのですが、現実に起こったとしたら必ずしも幸せとはいえないような気がします。何しろ果実が実るまでが長すぎて、意地を張っていた時間が勿体ないと感じてしまうからです。
尤も、モンゴメリは読者として、自分を含めた年配の人を想定していた可能性もあります。アンのように愛されず、エミリーのように努力もできない人にとって、そうした物語は一縷の希望になるはずです。
ところが、キルメニイは、上述した登場人物たちとは性質が大きく異なります。彼女は絶世の美少女で、なおかつ若いのです。
身も蓋もない書き方をすると、口がきけなくとも、正規の教育を受けていない引きこもりであろうとも、若く美しければ金持ちの青年に見初められ幸せになれるわけです(おまけに、最後には「喋れる」ようになってしまう)。
これでは女性読者の支持は得られません。
と同時に、最早、奇跡が安売りされているファンタジーの世界であり、本来であればモンゴメリの世界観とは相容れないはずです。
にもかかわらず、白けるどころか、幸せな気持ちで読み終えることができるのは、その後のモンゴメリに特徴的な要素が『果樹園のセレナーデ』にも溢れているからではないでしょうか。
偏屈だと思っていたキルメニイの家族が実は常識人で、エリックに嫉妬した青年は収穫列車で姿を消し、結婚に反対していたエリックの父はキルメニイをひと目みた瞬間、認めてしまうといった具合に、善人たちによって作られた世界がそれで、そこからはハッピーエンドが約束されているという安心感を得ることができます。
ヒロインの造形が正しくなかった(アンに比べて人間的な魅力が乏しい)とはいえ、キルメニイのようなタイプを放っておけない男性は多いでしょう。そもそも『果樹園のセレナーデ』はエリックの視点で書かれており、男の理想を形にしているとも解釈できます。
まあ、変な理屈をつける前に「不幸な生い立ちによって世間から隔離されたため純粋培養された美少女」に弱くない男がいたらみてみたいものですが……。
というわけで、少女が読む小説だと思ってモンゴメリを敬遠している男性がおられましたら、入門編として手に取ってみるのもよいかも知れません。
『果樹園のセレナーデ』村岡花子訳、新潮文庫、一九六一