読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ぬいぐるみさんとの暮らし方』グレン・ネイプ

The Care and Feeding of Stuffed Animals(1983)Glen Knape

 今の若い人は信じられないかも知れませんが、僕の子どもの頃は「男が少女漫画や少女向け小説を読むのは恥ずかしいことだ」という風潮がありました。
 そのため、小学生のときから付録つきの少女漫画誌やコミックスを購入していた僕は、家の近くの書店を避け、自転車に乗って遠くまで買いにいった思い出があります。
 尤も、少女漫画といっても恋愛ものには興味がなく、舞台が外国のものを好んで読んでいました(白泉社系が多かった)。

 ところで、僕の周囲の男で少女漫画を愛好する者はいても、少女小説を好む者はさすがにいませんでした。僕もほとんど読みませんでしたが、集英社文庫コバルトシリーズ(現:集英社コバルト文庫)だけは別でした。
 なぜなら、そこには新井素子がいたから。

 一九八〇年頃、中学生だった僕は、SFブームにも乗っかって片っ端からSF小説を買いまくりました。当時は海外の作家だけでなく日本人作家も読みましたが、最も心酔したのは新井素子でした。
 特徴的な文体だけでなく、作者本人にも惹かれました。
 頭が悪く、陰鬱で、取り柄がなく、友だちも少ないという劣等感が制服を着たような少年にとって、高校生で作家デビューした彼女(僕が中学生の頃、彼女は大学生だった)は女神のように眩しかったのです。才能もあって、可愛くて、父親が東京大学星新一と同級生とくれば端から次元が違うわけで、ただただ崇拝していました。

 一九八〇年代は女性アイドル歌手の黄金時代でしたが、僕にとってのアイドルは間違いなく新井素子でした(※1)。この歳まで曲がりなりにも生きてこられたのは、あの頃、「星へ行く船」シリーズに出合えたからといっても過言ではありません。
 とはいえ、飽くまで「何とか生きている」ってだけの話です。身も蓋もないことをいうと、結局、ダメ人間は歳をとってもダメ人間のままで、いつまで経っても生きるのは楽になりませんが……。

 それはさておき、当ブログは主に翻訳書を扱っているので、例えば「あたしの中の……」の感想は書きにくい……と考えたとき、思い出しました。新井素子は翻訳をしたこともあったことを!
 そこで本棚を引っ掻き回し出てきたのが、グレン・ネイプの『ぬいぐるみさんとの暮らし方』(写真)です。

 この本も、購入するのが相当恥ずかしかった記憶があります。帯にはリボンがデザインされており、サンリオショップのおまけのマスコットみたいで、さらに格好がつかない(尤も、今ではそこそこ稀少になっているので、帯つきを入手しておいてよかったが)。

 と、本の感想に入る前に、ひとつ。
 新井素子には「正しいぬいぐるみさんとの付き合い方」という伝説のエッセイ(『ひでおと素子の愛の交換日記4』に収録)があります。ぬいぐるみを本格的に飼育したことがない方は、まずこのエッセイを読むことをお勧めします。そうすれば、基礎知識が身につくからです。
 基礎知識といっても「ぬいぐるみの」ではなく、「ぬいぐるみさん愛する人の」です。彼らのことが何となく分かる(理解はできなくてよいが、狂気を感じたらそっと本を閉じるべし)ようにならないと、『ぬいぐるみさんとの暮らし方』を読む意味はほとんどありませんので……。

「正しいぬいぐるみさんとの付き合い方」では、ぬいぐるみの定義、種類、つき合う年齢別注意、禁止事項、性格、選び方、保存方法(洗い方)といった項目に沿って、丁寧かつ熱狂的に解説してくれています(※2)。
 新井素子によると「ぬいぐるみさんっていうのは、日本語を解し、しゃべり、ちゃんと感情を持っている」「生物ではないけどいきもの」で、「ぬいぐるみ固有の感情、性格があるんです」とのことです。
 どうです。ぬいぐるみをよく知らない人は、目から鱗が落ちたのではないでしょうか。

ぬいぐるみさんとの暮らし方』は、内容もテンションも壊れ具合も「正しいぬいぐるみさんとの付き合い方」と似通っています。
「訳者あとがき」によると、新井素子は土屋裕とともに翻訳を進めながら「この本は、おかしい! この作者は、変だ!」と叫んだそうですが、普通の人からすると、どちらも変人です。まあ、それを買って読む人も、そんなにまともではないでしょうが……。

ぬいぐるみさんとの暮らし方』は、男性の作者にもかかわらず、文体は新井素子節なので、読んでいる途中で若干混乱するかも知れません。さすがに「えっと、ですね」とか「✕✕なんだもん!」みたいなのは少ないですが、「ですよね」「ますね」という語尾は頻繁に出てきますし、「とってもとっても重要なことの一つなんですもの」のように女性っぽい文章も数多くみられます。
 とはいえ、堅苦しい文章など誰も望んでいないでしょう。翻訳者として正確を期しながら、彼女らしさも残すというギリギリの線を狙った素晴らしい仕事だと思います。

 本書は、薄いとはいえ単行本ですから情報量も多く、ぬいぐるみの歴史といった尤もらしい項目から始まります。しかし、すぐに何だかおかしな方向へ流れてゆきます。
 新ぬい(生まれたてのぬいぐるみのこと)との出会い、ファミリーへの迎え方、叱り方、栄養、トレーニング、病気、生殖などなど……。

 繰り返しますが、ネイプが何をいってるのか分かる読者は既に独自の飼育法や信念を持っているはずなので、わざわざ読む必要はなさそうですし、逆に、ぬいぐるみの保存方法、修繕方法、洗い方といった実用的なものを求める方にとっては内容が衝撃的すぎて最後まで読み通せないかも知れません。
 ということは、やはりこの本の存在意義は、ぬいぐるみを愛する人を理解するため(あるいは、怖いものみたさ)にありそうです。

 人間の無知や雑な取り扱いのせいで、心や体を傷つけられるぬいぐるみが増えている。その被害を何とか抑えようとネイプは筆を執ったようです。全く共感はできませんが、彼のぬいぐるみに対する愛はしっかりと伝わってきます。
 また、ぬいぐるみを可愛がることで飼い主が癒やされ、ストレスが解消されるとも書かれています。こちらは確かに効果のある人もいるでしょう。

 一方、どこまで狙ったのか分かりませんが、明らかにエキセントリックな面があります。
 ぬいぐるみの心のケアやトレーニングはまだしも、食事や生殖の項などは悪乗りしすぎだと思います。こうしたテーマはさらっと済ませないと、ジョークないしはフェティシズムと思われてしまい兼ねません〔食事に関しては、あるところでは「(お仕置きとして)ごはんを抜いたってしょうがないんです。何たってぬいぐるみは、ごはんを食べませんから」とあり、別の箇所では「ぬいさんは物理的に食事をとりたいってめったに思いません」と書かれている。滅多に思わないってことは、食事自体はできることになる〕。

 何とも取り留めのない文章になってしまいました。
 要するに何がいいたいかというと、『ぬいぐるみさんとの暮らし方』は、テーマも装幀もタイトルも訳者も可愛らしいので誤魔化されてしまいがちですが、奇書といってよいくらいヘンテコな本です。
 そういうのが好きな人にこそお勧めできますが、ごく普通のぬいぐるみ好きの人は手を出さない方が無難です。下手をしたら、あっちの世界へ連れてゆかれてしまうかも知れませんので……。

※1:「新井素子」とフルネームで記載するのはアイドルだから。松田聖子を「松田」と書かないのと同じ

※2:『ぬいぐるみさんとの暮らし方』の「訳者あとがきです」によると、新井素子は四百匹のぬいさんと暮らしているとあるが、現在、その数は四千匹を越えているそうだ(二〇一九年のインタビュー記事)。
「ひとりの人間が飼育可能なぬいぐるみの数」については『ぬいぐるみさんとの暮らし方』にも「正しいぬいぐるみさんとの付き合い方」にも書かれていない。


ぬいぐるみさんとの暮らし方新井素子、土屋裕訳、新潮社、一九八九

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