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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ミュンヒハウゼン男爵の科学的冒険』ヒューゴー・ガーンズバック

ルクセンブルク アメリカ

Baron Münchhausen's New Scientific Adventures(1915)Hugo Gernsback

 ヒューゴー賞は、SFの賞としては最も古く、最も知名度が高いのですが、その名の元となったヒューゴー・ガーンズバックの小説を読んだことがある人は、どれくらいいるでしょうか。
 日本ではほとんど翻訳がなく、長編小説では、代表作である『ラルフ一二四C四一+』(※)と、『ほらふき男爵の冒険』のパロディである『ミュンヒハウゼン男爵の科学的冒険』くらいしか訳されていないようです。

 尤も『ミュンヒハウゼン男爵の科学的冒険』は、全十三章中四章までの抄訳で、なおかつ独立した単行本ではなく「世界SF全集」に『ラルフ一二四C四一+』、ジョン・テインの『鉄の星』とともに収められています。
 なお、原題は『Baron Münchhausen's Scientific Adventures』と記載されていますが、正確には「New」が入って『Baron Münchhausen's New Scientific Adventures』となるようです。

「サイエンスフィクション(正確にはScientifictionという造語)」という言葉の生みの親であり、世界初のSF雑誌「アメージングストーリーズ」の発行者でもあるガーンズバックは、黎明期のSFを支えた大物であることは間違いありません。
 元々ラジオの販売を手掛けていた彼は、無線技術に関する雑誌「モダンエレクトリクス」も発行しており、そこに埋草的に掲載した『ラルフ一二四C四一+』が大反響を呼んだことから、SF雑誌の発行にのめり込んでゆきました(同時に、無線技術や性科学の雑誌も発行している)。
 雑誌を潰しては新たに創刊し……といったことを繰り返しながら、経営者としてはそこそこ成功したみたいです。

 他方、SF作家としてのガーンズバックは、科学技術の進歩を無邪気に空想したものの、それが人類や文明に齎す負の面には思い至らなかったようです。
 また、彼の作品は、SF的なアイディアが豊富な一方、小説としてはごく単純です。正に少年の頃に読んだ明るい空想科学小説といった趣で、文学的な価値はさほど高くないでしょう。
 それらが、今ではほとんど語られることがなくなってしまった原因かも知れません。
 しかし、後述しますが、そうした面が逆に求められる時代になったような気もするのです。

 さて、『ほらふき男爵の冒険』のパロディ作品に目を向けると、真っ先に挙げられるのはカール・インマーマンの『ミュンヒハウゼン』(一八三九)でしょうか。これはミュンヒハウゼン男爵の孫が主人公の諷刺小説です。
 また、面白いことに、日本SF界の巨匠、星新一も『ほらふき男爵の冒険』のパロディである『ほら男爵現代の冒険』を書いています。
『ほらふき男爵の冒険』は、SFで大切な「センスオブワンダー」を備えているためなのでしょうね。

 米国最大の無線電話局を所有しているアライヤーは、ある日、無線で月にいるミュンヒハウゼン男爵と交信します。男爵は、実は死んでおらず、薬で長い眠りについていて、二十世紀の初めに目覚めたというのです。
 第一次世界大戦が勃発するとフランス軍に雇われた男爵は、ドイツを攻略する様々な作戦を打ち出します。その後、アメリカに渡り、重力遮断機を発明して月へと向かいます。

 主人公は、真実を集めることが生き甲斐といいつつ、契約不履行や偽証の罪で入獄していたらしき怪しい人物です。そもそも彼の名前イグナッツ・モンモレンシー・アライヤー(Ignaz Montmorency Alier)は、略すと「I'm a liar」になるので、ほら男爵の正統な後継者と呼べるのではないでしょうか。
 アライヤーは実業家兼作家らしく、伝説の人物の名を借りたのは、小説のネタに困ったからとも読めます。ガーンズバックとしては、男爵の話にアライヤーがツッコミを入れることで、ほら話を尤もらしく、あるいはより嘘臭くさせたかったみたいです。アライヤーの連載小説を読んだ読者からの文句が加わったりしますが、これも同じような効果を狙ったと思われます。ただし、何しろ最後まで読めないので、確かなことはいえません。

 本家ミュンヒハウゼン男爵は、いわば軍人貴族で、ロシアのトルコ遠征などにも加わりました。それ故、ガーンズバックも、まずは戦争におけるほら話を持ってきたのでしょう。
 男爵が考案した戦術は、笑気ガスを用いるとか傷口に塩を塗り込んでかゆみを増すといった他愛のないものから、ドイツまで大トンネルを掘って敵軍の背後に現れるという壮大なものまで様々です。
 後者は、敵も全く同じことを考えており、しかも互いに相手の軍服を着用してカモフラージュしたため、フランス軍とドイツ軍がそっくり入れ替わったことに誰も気づかなかったというオチがつきます。

 次に、男爵は月にゆきますが、本編でも二度訪れている(一度目は豆の蔓をよじ上り、二度目は帆船が風に飛ばされる)ため、これが三度目の月世界旅行になります。
 ところが、男爵、月には木から生まれて、頭や目玉を取り外せる奇妙な住人がいることをお忘れらしく、光る亀や鰻でお茶を濁してしまいます。二十世紀のSFに上記の人間を登場させるのは、さすがに荒唐無稽すぎると考えたのかも知れませんね。
 日本版は、月にいる男爵と突然交信が途絶えるという気になるシーンで終わっています。この後、男爵は火星へゆくようですが、果たしてどうなりますことやら……。

 前述したとおり、ガーンズバックは小説家というよりもアイディアマンで、思いついたことを惜しげもなく放り込んでくるタイプといえます。その点が、短い話を次々に繰り出し、読者を煙に巻く『ほらふき男爵の冒険』と共通しています。
 同じくSFであるレックス・ゴードンの『宇宙人フライデー』が『ロビンソン・クルーソー』とよく似た雰囲気になったのと同様ですね。

 勿論、単純なほら話では、サイエンスフィクションという新しい娯楽小説を待ち望んでいた読者を満足させられないため、科学的な解説にかなりの分量を割いています。また、それがガーンズバックの持ち味でもあるので、その部分は生き生きとしています。
 今日では、ほらに毛の生えた程度の説明ですが、それが却ってインチキ臭い二流の詐欺師のような味を醸し出しているのです。

 子どもの頃、絵本を媒介に想像した、やたらと明るい未来図。おっさんになった今だって、無邪気な夢をみたいけど、そんなものを批判抜きで描ける作家など二十一世紀には存在しません。
 つまり、百年前のSFに期待するものといえば、このようなレトロフューチャーにほかならないわけで、そういう意味でガーンズバックは、もっと見直されてよいのではないでしょうか。
『ラルフ一二四C四一+』が訳されているだけマシとはいえ、やっぱり『ミュンヒハウゼン男爵の科学的冒険』も最後まで読みたい。どこかで出版してもらえないでしょうかね(レトロなイラスト付だと、さらに嬉しい)。

 なお、ガーンズバックの巻が「世界SF全集」(全三十五巻、別巻一)の最終配本でした。そのため、月報には「全巻刊行を終えて」という苦労話が掲載されています。日本のSFが若く熱気に溢れていた頃の息吹を感じられて胸が熱くなります。

※:『27世紀の発明王』『2660年のロマンス』『宇宙追撃戦』などの邦題もあり。抄訳もあるので注意。
 なお、「一二四C四一」は、One to for See for Oneのこと。どういう意味かは、ネタバレになるので書かない。


『世界SF全集』4、小隅黎訳、早川書房、一九七一

『ほらふき男爵の冒険』関連
→『ケストナーの「ほらふき男爵」エーリッヒ・ケストナー