読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『空洞地球』ルーディ・ラッカー

The Hollow Earth: the Narrative of Mason Algiers Reynolds of Virginia(1990)Rudy Rucker

 ルーディ・ラッカーは、一九八〇〜九〇年代に多くの訳本が発行されましたが、近頃はパッタリと翻訳が途絶えてしまいました。それどころか、フィクションもノンフィクションもほとんどが絶版で、新しい読者が生まれにくい状況になっています。
 ラッカーの旬が過ぎたというより、日本におけるSFの旬が過ぎてしまったが故かも知れません。この先、原作がハリウッド映画にでもならない限り(『ソフトウェア』が映画化されるという話を聞いたような気もするが……)、再ブームは訪れないでしょうね。せめてウェア四部作の完結編である『Realware』くらいは訳されるとよいのですが、望み薄なのかしらん。

 さて、『空洞地球』(写真)も勿論、エドガー・アラン・ポーの『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』のパロディです。というか、『ピム』を中心に据えつつ、ポー自身、そして彼が産み出した作品全般を扱ったフィクションといえるでしょうか。
 そもそもラッカーは『ウェットウェア』でも、「ポオの物語で英語を学び、リズムがあって修飾の多い口のききかたをする」バーニス(Berenice)というロボット(ポーの短編「ベレニス」に因む)を登場させており、偉大な先輩作家に並ならぬ愛着があるようです。

 一八三六年、ヴァージニア。
 十五歳のメイスン・アルジャーズ・レイノルズは、意図しない殺人を犯し、追われる身になってしまいます。逃亡中、ポーと出会い、奴隷のオーサ、探検家のジェレマイア・N・レイノルズ、ダーク・ピーターズらとともに南極探検に向かうことになります。
 氷の蓋を破り、巨大な穴に落ちた一行は、空洞地球の内部に辿り着きます。そこには、奇妙な生きものや白い肌の原住民が暮らしていました。

 副題の「ヴァージニア州のメイスン・アルジャーズ・レイノルズの物語」は『ピム』の原題(The Narrative of Arthur Gordon Pym of Nantucket)をもじっています。

 また、「レイノルズ」とは、ポーが死の前日に叫んでいた謎の人物名です。
「レイノルズ」が何者なのかについては諸説あります。最も有力なのは、『ピム』で言及され、『空洞地球』では登場人物のひとりにもなっているジェレマイアです。
 しかし、作家のジョージ・ウィリアム・マッカーサー・レイノルズかも知れませんし、はたまた、ヘンリー・R・レイノルズやフレデリック・マーシャル・レイノルズという可能性もあります。
 ほかにも、人名ではなく「Lord help my poor soul(神よ、我が哀れな魂を救い給え)」という科白だったという説まであり、未だに謎が解けていません。
 ちなみに『推理作家ポー 最期の5日間』という映画では、レイノルズは「シリアルキラーの隠された苗字」を指していました。

『空洞地球』では、当然、その謎に迫り、メイスンが重要な役割を果たすわけですが、それについては後述し、まずは史実における大本命のジェレマイアについて述べてみたいと思います。
 なぜなら、ジェレマイアは、地球空洞説と関係が深いからです。

 地球空洞説自体は、遥か昔から存在していましたが、ポーの時代の流行といえば、南北の極に大穴が開いて地下世界につながっているというジョン・クリーヴス・シムズ・ジュニアの説でした。彼は、キャプテン・アダム・シーボーンという名前で『Symzonia: A Voyage of Discovery』(一八二三)という小説まで書き、人気を博したのです。
 そのシムズの理論の信奉者がジェレマイアです。彼は、チリ航海の日誌の抜粋である『Mocha Dick: Or the White Whale of the Pacific』を出版し、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』に大いなる影響を与えたことなどでも知られています。
 一八三六年、ジェレマイアは議会を説き伏せ、南極調査隊のための資金を得ました(チャールズ・ウィルクスによる探検隊が出発したのが一八三八年)。ジェレマイアは、議会には貿易のためと説明しましたが、真の目的は地球空洞説を確かめるためでした。
 当然ながら、巨大な穴などは発見されませんでしたが、『空洞地球』においてジェレマイアは、ポーらとともに念願の空洞地球を体験します。

 タイトルから分かるとおり、『空洞地球』の読みどころのひとつは、ポーが暗示した空洞地球を、ハードSFとして調理した点です。
 地球空洞説は、物理的にあり得ないとされていますが、数学者でもあるラッカーは、プラズマボールのようにピンクの光を放出する球体(中央変則)を考案し、無理矢理、成立させてしまいました。
 低重力で、中心に向かって引力が発生しており、奇妙な鳥や魚(巨大なアンモナイトとか、海老と豚の合いの子みたいなのとか)が住んでいる世界。
 そこでの冒険は、ポーというより、同じ数学者でもあるルイス・キャロルや、マーク・トウェインのパロディのようでもあります。人が簡単に死ぬし、結構血腥いにもかかわらず、陰鬱さは稀薄なので、ナンセンスで陽気な冒険譚として楽しめます。
 ここではピムを捨て、アリスやハックルベリー・フィンに近づいたのが正解でしょう。

 そういえば、「テケリ・リ」は、H・P・ラヴクラフトの発想によく似ています。「偉大なる古き者」と呼ばれるのは、中央変則に住むナマコに似た生きものです。ナマコは『ピム』のツァラル島でも沢山採れたので、そこから持ってきたのでしょうが、形状といい名前といい、何となく「古のもの」っぽい気もします。
 ひょっとすると、『狂気の山脈にて』までも取り込んでいるのでしょうか。

 といった具合に、本家『ピム』と同様、様々な要素がごちゃ混ぜになっていて、あちこちに思いを馳せながら楽しく読める小説ではあります。
 けれど、二十世紀の終わりになって、今さら地球空洞説なんてトンデモ説を取り上げる意図は那辺にあったのでしょうか。

 ラッカーの真の目的は、『空洞地球』において、内と外、上と下、虚と実、主と従、そして白と黒がひっくり返った世界を作り出すことにありました。
 勿論、『ピム』のラストに現れる白い人影の正体に迫るためです。

 白い人影の秘密については、ヴェルヌもラヴクラフトも独自の見解を示しました。しかし、ラッカーの答えは、それらとは趣が異なります。彼は、ポーの白人至上主義と、シムズの『Symzonia』に注目しました。
『Symzonia』は、地球内部に白い肌の人々が住む理想郷があるという小説ですが、その白い肌の人間こそ『ピム』の前に現れた人影だというのです。

 ポーは、ボストンの生まれながら、南部で暮した奴隷制の支持者です。「黒人=奴隷」という図式を当然の如く受け入れており、『空洞地球』においても、黒人に対するあからさまな差別が描かれます〔何しろ、南極へ向かう船の名前が「ワスプ」(WASP: White Anglo-Saxon Protestant)というのだから、皮肉にもほどがある〕。
 そんな彼にとって、一八三一年に起こった黒人奴隷ナット・ターナーの反乱は、許すべからざるできごとだったのでしょう。ポーは、『Symzonia』にユートピアを見出し、連載が打ち切りにならなければ『ピム』でも、それを再現しようとした可能性があります。
 つまり、『ピム』の最後に繰り返し現れる「白いもの」は恐怖に結びつくのではなく、理想郷に誘う美しい白い肌の人だったというわけです。

 けれど、ラッカーは、それをストレートに表現したりしません。
 空洞地球に住む原住民は「ニグロ風に唇が厚く、瞳が黒い。それでいて肌は前にも述べたとおり、きわめて白い」、要するに、白い黒人です。しかも、彼らは元々は白い種族であり、中央変則の光によって黒くなったのが地球にいる黒人なのです。
 南部の白人貴族ポーにとっては悪夢のような設定ではありませんか。

 しかし、本当の地獄はこれからです。ポー自身、中央変則に近づくことで、強烈な光の影響を受け黒人化してゆくのです(トム・デミジョンの『黒いアリス』みたい)。
 白人の奴隷に過ぎない下等な黒人に変身してしまう恐怖は、もしかすると、ショゴス以上かも知れません。
 そんなポーが、慌てて逃げ込んだのは、球体の向こうにある鏡の世界でした。

 実をいうと、『空洞地球』は、史実を無視したり、架空の人物を加えたりと自由奔放に書かれていました。『ピム』の登場人物であるピーターズはまあいいとして、ジェレマイアや、ポーの妻のヴァージニアまでが、歴史とは異なり、あっさり死んでしまうのです。
 その理由が、ここへきて明らかになります。

 何と「球体の向こうにある鏡の世界(パラレルワールド)こそが、僕らの知っている現実」だったのです。ここで、この本の一番最初の頁に戻ると、ラッカーの仕掛けた巧妙なトリックに気づくでしょう。

 そして、最後には、ポーが死の前日に叫んでいた「レイノルズ」と、この小説の主人公メイスン・アルジャーズ・レイノルズの関係が明らかになります。
 しかし、メイスンは、結局、一度も登場することがなかったアーサー・ゴードン・ピムと同様、ホーン岬付近で行方不明になってしまいます。後に残ったのは、空洞地球を旅した貴重な手記だけでした。

『空洞地球』黒丸尚訳、ハヤカワ文庫、一九九一

『ピム』関連
→『氷のスフィンクスジュール・ヴェルヌ
→『狂気の山脈にて』H・P・ラヴクラフト

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