American Negro Folktales(1967)Richard Dorson
米国民間伝承の父といわれる民俗学者のリチャード・ドーソンは、フィールドワークで数多くの民話を集めました。
また、「都市伝説(Urban Legend)」「フェイクロア(Fakelore:捏造された民話)」という概念の生みの親ともいわれています。
それほどの有名人なのに、なぜか『ニグロ民話集』でドーソンの名前が書かれているのは、訳者あとがきのたった一か所だけ(写真)。表紙まわりにも奥付にも、ドーソンの名は一切みられないのは、一体どうしてなのでしょうか。
この本は抄訳なので、ドーソンの名前を出すのが憚られた……なんて理由くらいしか思いつきませんが、果たして真相はいかに……。
抄訳といっても、百五十四もの民話が収録されており、読み応えは十分にあります。さらに、その話を語ってくれた人(※1)の個人的なエピソードが収録されていたりもします。
それらを学者らしく分類(「主人と奴隷」「黒人と白人」「神さまと悪魔のはなし」「抗議のはなし」など。「アイルランド人」という項目もある)しているので、検索しやすいのが助かります。
アフリカ系アメリカ人たちの民話は、ヨーロッパのそれと違って、歴史も浅く、十分な教育も受けておらず、娯楽や慰めも少なかったせいか、陽気で下世話なほら話(tall taleやhoax)が多いのが特徴です。
背景を考えると決して笑えないのですが、物語自体は馬鹿馬鹿しくて楽しいのが救いです。仕事が終わった夜や雨の日に黒人たちが集まって、こうした話をしていたのでしょう。どんな状況においても、人々は笑顔なしでは生きられないのです。
さて、二十一世紀に入ると、アフリカ系の大統領が誕生し、スティーヴ・エリクソンの『きみを夢みて』のような文学も書かれるようになりました。そもそも書名の「ニグロ」という言葉は、今では差別用語とされています。
だからといって、この本が全く意味のなくなった過去の遺物かというと、そんなことはありません。先祖の体験は、どんなに過酷なものであろうと、いや、そうであるならなおさら未来の人々に伝えていかなくてはいけないからです。
かつて口承だった民話が、偉大な民俗学者の丁寧な仕事によって書籍としてまとめられたのですから、これを長く読み継いでゆくことこそが大切なのではないでしょうか。
とはいえ、数が多すぎて、とてもすべては紹介しきれないため、例によって気に入ったもののみ感想を書いてみます。
「ゾウのからだにはいったウサギとクマ」
ゾウやライオンに混じって、クマが登場するところが興味深い(アフリカにクマはいない)。アフリカの民話が米国に渡って変化したのでしょう。
「けんか」
どっちの奴隷が強いか賭けをした白人。片方の黒人が主人の奥さんを張り倒すのをみて、相手は降参します。白人を殴れるなら、俺なんか八つ裂きにされてしまう、というわけです。
「旦那がジョンに勝つはなし」
旦那に「金をやるから、木を切ってこい」といわれたジョンは、斧の背を木にぶつけ木を切る音だけをさせました。旦那は金を払わず、ジャラジャラと金の音だけさせましたとさ。
「イーファンの祈り」
主人に毎日殴られ、死んだ方がマシと神に祈るイーファン。それが黒人を監視する黒人の密告によって白人にバレて、最後にイーファンは斧で頭を叩き割られます。救いのない悲惨な話なのに、ユーモラスな語り口のせいでサラッと読めてしまいます。この場合、それがよいことではないのでしょうが……。
「魂を分配するはなし」
「口数が多いと主人に殺される」という話が何回か続きます。民話というよりも、生活(生死)に密接なかかわりのある教訓が多いのもこの本の特徴のひとつです。
「ジョンとクマとかん視役の白人」
賢い黒人が知恵を働かせて、欲張りな白人を懲らしめるお話。典型的な昔話ですね。
「イブの花のふしど」
全く意味が分からないけど、何となくおかしい、という話が結構収められています。
「黒人とユダヤ人と白人」
それぞれの違いを複数の短いエピソードで語っています。例えば、地獄へ落ちた三人。五ドル払えば地上に戻してやると悪魔にいわれ、白人はすぐ支払い、ユダヤ人は四ドル九十八セントに値切り、黒人は支払いを土曜まで待ってくれと交渉します。
「わたしの鼻がぺちゃんこなわけ」
かつては呪術師だけでなく、普通の主婦も呪いの力を利用することができました。その多くは感染症だと思いますが、民話のなかでは呪術が生きています。
「ニュー・オリンズのおばけやしき」
奴隷を十三人殺した女が追放され、家はお化け屋敷になりました。そんなことより、十三人も殺害しながら追放程度で済んでしまうのが許せません。
「どろぼう魔女」
小さな子どもがふたりいる未亡人は、体に油を塗り、鍵穴から食料品店に忍び込みます。ふと気づくと、子どもも母親の真似をしてついてきていました。ところが、子どもだけは店に取り残されてしまいます。魔女狩りが民話として残っている例でしょう。いつの時代も、弱い者は虐げられてしまいます。
「サイモンとサカナ」
無邪気な童謡のようで、陰惨なオチがつきます。魚の復讐は恐ろしい。
「柵と黒人」
白人の命令とあらば、柵を飛び越えている途中(空中)でも止まらなければなりません。
「黒人ごろしの罰金」
三人の黒人が白人ともめ、撃ち合いをします。白人は黒人ふたりを射殺しますが、最後のひとりはラバの後ろに隠れたため、間違ってラバを殺してしまいました。白人はラバを殺した罰金五ドルと、黒人ふたりを殺した罰金五セントを支払わなくてはいけませんでした。
「おれの故郷」
南部は差別が激しい反面、黒人が腹を空かせていると必ず何かを食べさせてくれます。北部はその点、冷たいそうです。
「渡り労働者のはなし」
本の帯にも掲載されている笑い話。腹の減った黒人がもの乞いの方法を考えます。白人の庭で草を食べるふりをしていると、女が出てきて何をしているのかと問います。「もう一週間も何も食べていないので草を食べています。少し塩をもらえたら、味がついて食べやすくなるのですが」と説明すると、女は「可哀想に……。裏庭に回りなさい」といいます。上手く同情を買ったと喜んでいると、女は塩を手にして、こういいました。「草を食べるならこっちにしてください。こちらの方が伸びてますから」
「それよりバカな三人」
この次に掲載されている「バカなむすめ」とよく似た話ですが、そちらは物語として体裁を整えてしまったようで面白さが半減しています。下手に手を加えない方が、馬鹿のパラダイスみたいで楽しいです。
「凍って死んだラバ」
寒いのが苦手なラバ。ある暑い日、トウモロコシが自然に弾けてポップコーンになってしまいます。それをみたラバは、雪と勘違いして凍死してしまいましたとさ。
「英語ができない三人のアイルランド人」
アメリカにきたばかりで英語を話せない三人のアイルランド人(当然、アイルランド語しか話せないのであろう)が無実の罪で絞首刑になってしまいます。黒人が登場しないにもかかわらず語り継がれたことから、アイルランド人がいかに馬鹿にされたか分かります(※2)。
※1:特にアメリカの文学を読んでいて、昔から気になっていたことがある。それは、登場人物が紹介される際、特殊な場合以外、人種に関する記載がないという点である。
そのため、何も書かれていないとき、作者が白人であれば主人公も白人と思って読むことになる。これが不思議でならなかった。古い小説ならともかく、現代の作品なら人種くらいはっきり記述すればよいと思うのだが〔それを逆手に取ったのが、チャールズ・ウィルフォードの『拾った女』(1955)やビル・S・バリンジャーの『赤毛の男の妻』(1957)なのだろうが……〕。
※2:黒人の保安官を主人公にした、メル・ブルックスの西部劇『ブレージングサドル』にも「黒人と中国人には土地をやる。だが、アイルランド人は駄目だ」なんて科白が出てくる。
『ニグロ民話集』秋山武夫、園部明彦訳、太陽社、一九七二
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