読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『自由の樹のオオコウモリ』アルバート・ウェント

Flying Fox in a Freedom Tree and Other Stories(1998)Albert Wendt

 サモア諸島は、西経一七一度線を境に、西がサモア独立国(旧:西サモア)、東がアメリカ領サモアとなっていますが、人種も文化も共通しています。
 サモア独立国の首都アピアのあるウポル島は、ロバート・ルイス・スティーヴンソンが晩年に移住し、亡くなった島として知られています。
 そのアピア出身の作家がアルバート・ウェントです(現在はニュージーランドで暮らしている)。

 ウェントは現地出身ですが、英語で執筆します(サモア公用語サモア語と英語)。加えて、ピジン英語(英語と現地語の混合語)も巧みに使い、独特の雰囲気とリズムを醸し出しているそうです。
 ただし、その辺りを翻訳で上手く伝えるのは難しいかも知れません。訳文は平仮名の多用や助詞の欠落などで表現しているものの、どうしても限界はありますね。

 太平洋の島を訪れた西洋人による文学と異なり、ウェントの作品は現地の人々の生活をリアルに描いています。島の伝統や風習、西洋から齎された近代的な科学文明、植民地として支配され、独立後は混迷する社会といった現実に目を向けているのです。

 唯一邦訳されているのは短編集『自由の樹のオオコウモリ』(写真)ですが、可愛らしい装幀から南国の牧歌的な作風かと勘違いした人は吃驚するかも知れません。何しろ表題作のオオコウモリとは「首を括った小人」のことなのですから……。
 いずれにせよ、この本を読めば、地上に楽園など存在しないことがよく分かると思います。
 今回は数が少ないため、すべての短編の感想を書きます。

自由の樹のオオコウモリ」Flying-Fox a Freedom Tree
 結核で入院中の男が、自らの死を悟り、小説(自伝)を書き始めます。
 小学生の頃、アピアの親戚に預けられ、教育を受けたペペは、小人のタガタと知り合います。彼らは大人になっても仲がよく、放火や強盗などの悪事を重ねます。

 簡単にいうと金持ちのドラ息子が放蕩の末、若くして儚くなる話です。犯罪といってもチンピラに毛が生えた程度で、全然カッコよくない。
 けれど、その惨めさがこの作品のキモです。主要な地位をパパラギ(欧州系の白人)が占める社会で、彼らは明らかに生き辛さを感じています。まだ若い世代にもかかわらず、時代の波に乗れていないのです。
 そうした人々は、滑稽のまま生き続けるか、現世に別れを告げるかしかありません。この短編では、主に三つの死が語られますが、いずれも悲壮感がないのは、いかにも南太平洋の文学という気がします。でも、その明るさは飽くまで表面的なもので、彼らのなかに流れるサモア人の血は悲しみを湛えているのです。

山の末裔」A Descendant of the Mountain
 神の怒り(インフルエンザ)によって多くの人々の命が奪われます。マウガ(族長)も、妻・息子・娘を亡くし、若き日の妻の幻をみます。
 地位や称号に縛られるマウガはどんなときも威厳を失いませんが、その抑えた感情がより深い悲しみを感じさせます。

墨の十字架」The Cross of Soot
 有刺鉄線をくぐり刑務所の敷地に入り込む少年。彼は囚人たちと顔見知りで、仕事を手伝ったり、色々なことを教わったりしながら、楽しい時間を過ごしています。
 その日、知り合ったタギという男に星型の刺青を入れてもらう少年ですが、途中でタギが去っていったため、十字架の形で中断してしまいます。少年は「タギが二度と戻ってこないこと」を悟ります。

フル大佐 −つよい男のぜんぶをもった、生きているもっともつよい男」Captain Full -The Strongest Man Alive who Got Allthing Strong Men Got
 フル大佐という渾名の床屋は、片足が短い、醜い男です。でも、喋りが上手く女にもてるので「おれ」は彼を尊敬しています。そこでファヌアというアメリカ人相手の売春婦を紹介したところ、ふたりはいい仲になりますが……。
 フル大佐は「自由の樹のオオコウモリ」のタガタと似たキャラクターで、同じように悲劇に見舞われます(ファヌアを介してアメリカ人の性病を移される)が、「おれ」はフル大佐の跡を継ぎ、強かに生き抜いてゆきます。といっても、売春の元締めの仕事なので、結局はアメリカ人に食わせてもらっているようなものなのが哀れです。

サラブレッドに乗った小悪魔」Pint-size Devil on a Thoroughbred
「私」の祖父は、子どもたちが皆、温厚で軟弱なのが気に入らず、妻の妹が中国人と浮気をしてできた子ピリー(Pili)を養子にします。サモア独立運動に携わっていた祖父は、ピリーを無法者に育てます。
 この短編も「困ったおじさん」の系統に連なる物語といえます(「おじさん」を参照)。ただし、ピリーはサモア史上最高の犯罪者で、幼い頃の「私」は彼をまるでビリー・ザ・キッド(Billy the Kid)のように崇拝していました。大人になってからも、武勇伝と引き換えに金をせびりにくるピリーを嫌いになれません。親戚中の鼻摘み者であるピリーの唯一の信奉者であり続けたのです。
 この短編もサモアの惨めな英雄を描いています。伝統と近代化の狭間で自らの居場所をみつけられなかった悲しい男どもの悪足掻きが胸に染みます。

復活」A Resurrection
 ヴァイペ(死に水)と呼ばれる地域に生まれ、妹をレイプした男を殺さず、逃げるように地元を去った青年タラ。後に彼は聖人と崇められ、死んでゆきました。
 ヴァイペでは、復讐をしない者は仮令、聖人になろうとも蔑まれてしまいます。人は、国民的英雄になるより、地元のスターであるべきなのかも知れません。

ホワイトマンの到来」The Coming of the Whiteman
 ヴァイペの人の多くはニュージーランドに働きにゆき、そのまま戻ってきません。しかし、薬剤師の息子ペイルアは白人のようなスタイルで帰郷しました。
 強制送還されたにもかかわらず、まるでホワイトマンのようだといってペイルアを持て囃すのは、彼が上等な服や靴が入ったスーツケースを持っているからです。不思議な状況ですが、日本でもかつて村で一番最初にジーンズを履いた者が崇拝されるなんてことがあったかも知れません。
 この短編では、その極端な例で、当然の如く悲劇へと突き進みます。

独立宣言」Declaration of Independence
 ある朝、六十歳の真面目一筋の公務員パオヴォレは、三十年連れ添った妻にライフルで撃ち殺されます。その後、殺人に至るまでの経緯が描かれます。
 大家族の家長でありながら誰からも構ってもらえず、仕事ではニュージーランドからきたパパラギの上司に頭が上がらないパオヴォレ。彼は、パパラギの特徴を少し示している中国人のタイピストに香水をプレゼントしたのを浮気と誤解され、呆気なく命を落とします。パオヴォレもまた、居場所のないサモア人のひとりでした。

バージンワイズ −信心あるつまらない男のさいごの告白」Virgin-wise -The Last Confession of Humble Man who is Man Got Religion
 歳を取った男が死ぬ間際に告白します。子どもの頃から、頭のなかにいるバージンワイズという理想の女性のことを……。
 バージンワイズは、男女問わず誰の心のなかにもいます。だだし、彼女にのめり込み過ぎると現実の生活に支障をきたすので、注意してください。

『自由の樹のオオコウモリ ―アルバート・ウェント作品集』河野至恩訳、日本経済新聞社、二〇〇六

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