読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『火山を運ぶ男』ジュール・シュペルヴィエル

L'Homme de la pampa(1923)Jules Supervielle

 ジュール・シュペルヴィエルは、詩や短編小説の評価も高いのですが、日本では澁澤龍彦が訳した長編小説『ひとさらい』Le Voleur d'enfants(1926)が最もよく知られています。
 子どもをさらってきて疑似家族を作り上げる大佐の悲劇を描いた作品で、芝居や映画にもなりました(※1)。
 二年後に『Le Survivant』という続編も書かれましたが、日本語訳はまだありません(※2)。猛烈に読みたいんですけど、こればかりはひたすら待つしかないですね。

 シュペルヴィエル自身、ウルグアイ(※3)で生まれ、赤子の頃フランスに戻ったものの両親が鉱毒によって亡くなり、再びウルグアイに戻り伯父夫婦に育てられたという経歴の持ち主です。九歳まで伯父夫婦を本当の両親だと思っており、真実を知ったときの衝撃は相当のものだったのでしょう。『火山を運んだ男』も、三十人の息子(すべて私生児)がおり、ここでも一種の擬似家族が描かれます。

 シュペルヴィエルは十歳のとき、フランスに帰り教育を受けましたが、生涯を通じて何度もフランスとウルグアイを往復したそうです。当時、両国間は船で数週間から一か月かかったといいますから、生半可な気持ちでは行動に移せなかったと思います。彼を旅に駆り立てる「何か」があったのか。それとも、船旅自体が好きだったのか〔短編「海に住む少女」は大西洋の真んなかに浮かぶ町が舞台だし、『ひとさらい』のラストシーンも大西洋を進む船のなかだし、「ノアの方舟」(※4)はいうまでもない。勿論、『火山を運ぶ男』もウルグアイからフランスへ船で渡る〕。

 さて、シュペルヴィエルの最初の長編『火山を運ぶ男』(写真)の原題は「パンパの男」。パンパとは、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルに亘って広がる草原地帯のことです。
 そこの牧場主(エスタンシエロ)であるフェルナンデス・イ・グアナミルは、豪邸を建てたり、猛獣を飼ったりするのにも飽き、人工の火山を作ります。しかし、新聞で批判されたため、彼は火山を解体して、パリへ運ぶことにします……。

 まず、火山とは一体何を表しているのでしょうか……と問うまでもなく、グアナミルの火山には「未来」という名前がついています。
 寓話において、狐は何を表すとか、林檎は何を表すなんてことを、普通、作者は明らかにしないので、ちょっと驚くとともに、「未来」という名も正直ピンときません。ヨーロッパの人たちが思いもつかなかった発想と行動力で注目されようとしているグアナミルにとって、火山は寧ろ「情熱」や「野望」を象徴しているように思えるからです。

 けれど、よく読むと、バラバラにされフランスに運ばれる火山に、シュペルヴィエルが未来と名づけた意味がみえてきます。
 グアナミルは船のなかで、火山に話し掛けられます。その後、男の船客を海に投げ落とす幻を見、人殺しを逮捕し、人魚に出会います。
 パリに着いても、人魚にそっくりな女性や、自分の妹と称する女性と知り合うものの、彼女たちもまた火山が作り出した幻影であることが分かります。
 つまり、グアナミルは自ら「未来」を壊した時点で死者となり、黄泉を彷徨っているとも解釈できます(本人は気づいていない)。

 そう読み取る理由として、死者の描き方が、ほかの短編とよく似ている点があげられます。シュペルヴィエルを語る上で死と孤独は外せませんし、彼の創造する死者の世界は、現世と隔離されているのではなく、緩やかにつながっているようにみえるのです。
 例えば、「セーヌ河の名なし娘」で溺死した娘は、死の世界(海底)で暮らしながら、本当の死を迎えるため二度目の自殺をします。「空のふたり」では、地上と全く変わらない死後の世界が天空に広がっています。

『火山を運ぶ男』のグアナミルはというと、火山に去られた後、自由を手にし、体を巨大化させ建物六階分ほどの大きさになります(その後、縮む)。これこそ、生者には到底無理な変化ではないでしょうか。
 また、そのせいで新聞に載り、望みどおり有名になります。それはグアナミルが望んだ形ではありませんが、最早、彼はそうした欲望を超越した存在と化しているのです。
 グアナミルは、パリ、ウルグアイ、船上と世界の至るところに遍在することで、ようやく満足を得ることができました。

※1:尼崎事件を知ったとき、真っ先にこの小説を思い出した。

※2:シュペルヴィエルの長編小説は四作(『日曜日の青年』は「日曜日の青年」「後日の青年」「最後の変身」からなる連作中編)あるが、なぜか『Le Survivant』のみ未訳。

※3:ウルグアイ生まれのフランス人文学者として、ロートレアモン伯爵ジュール・ラフォルグがいる。

※4:一九三九年に堀口大學訳によって翻訳された『ノアの方舟』(第一書房)の表紙には「斯遊弊流雲意留」(シュペルヴィエル)と書いてある。


『火山を運ぶ男』嶋岡晨訳、月刊ペン社、一九八〇

→『日曜日の青年ジュール・シュペルヴィエル

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