読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『失踪』ティム・クラベー

Het Gouden Ei1984)Tim Krabbé

 オランダのミステリー作家ティム・クラベーの『失踪』(写真)は、一九八八年にジョルジュ・シュルイツァー監督によって映画化されました(原題『Spoorloos』、邦題『ザ・バニシング −消失』)。
 一九九三年には、シュルイツァー自身がハリウッドでリメイクをします(原題『The Vanishing』、邦題『失踪』)。いわゆるセルフリメイクで、ミヒャエル・ハネケの『ファニーゲーム』や、ハンス・ペテル・モランドの『ファイティング・ダディ 怒りの除雪車』などと同じパターンです(※1)。

 日本においては、アメリカ版映画が先に公開され、訳本もその際に刊行されました(英語からの重訳)。そのため、書名は映画の邦題と同じ『失踪』にしたようです(※2)。
 オランダ版映画が劇場公開されたのは二〇一九年と遅いのですが、DVDは二〇〇四年に発売されています。これはアメリカ版公開後だったので、アメリカ版の原題にすり寄った『ザ・バニシング』という邦題になりました(非常にややこしい)。

 映画公開時に原作となる小説が翻訳されている場合、僕は小説を優先することが多いため、『ザ・バニシング』も『失踪』もみていません(『ファイト・クラブ』や『プレッジ』も小説は読んだが、映画はみたことがない)。
 クラベー自身は、自ら脚本を書いた『ザ・バニシング』の方が、ハッピーエンドにされてしまった『失踪』より遥かに優れていると語っています。まあ、自分で脚本を書いたんですから当たり前といえば当たり前の発言ですね。

 なお、クラベーは『洞窟』(1997)が映画化される際も脚本を書いています。こちらは日本未公開ながら邦訳が出ていて、『失踪』よりも入手は容易です。

『洞窟』は、オランダの地質学者、カリスマ性のある麻薬王、石に魅せられた主婦らが絡み合うラブサスペンス。章ごとに舞台〔オランダ、ベルギー、ラタナキリ(カンボジアがモデル)、米国〕、時代、視点人物が変わり、最後の最後に、ふたりの登場人物が殺害されることになった過去のちょっとしたすれ違いが描かれるという構成が見事です。
 実をいうと、その場面はかなり前に一度描写されており、読了後に読み返すと全く違った意味を持ってきます。単に吃驚させるだけの仕掛けと異なり、人生の無情な分岐点をこれ以上ない効果的な方法で表しており、心底感心しました。
 アーティストハウスの「ブックプラス」という叢書から発売されたので余り話題になりませんでしたが、ハヤカワ文庫や創元推理文庫から出ていたら、より多くのミステリーファンに認められていたかも知れません。チェックから漏れていたら、ぜひ読んでみてください。

 さて、『失踪』のあらすじは以下の通り。
 車でフランスを旅行中のオランダ人レックス・ホフマンとサスキア・エイルベルト。ガソリンスタンドに寄って、少し目を離したすきに恋人のサスキアが忽然と消えてしまいます。
 一方、ふたりの娘を持つ中年の化学教師レイモン・ルモルヌは、想像しうる限り最も忌々しい犯罪を実行することに取り憑かれます。妻が相続した古い別荘を改築し、クロロホルムや銃を入手し、着々と犯罪の準備をするのです。そして……。

 ルモルヌは典型的なサイコキラーです。ふだんは真面目で模範的な夫であり父であり社会人ですが、幼い頃から「思いつくけれど、誰も実行しないこと」を試してみたいという欲求に支配されていました。
 最初のうちは、二階から飛び降りたり、溺れた少女を助けたりと他者にとって害のない行為で済んでいたものの、やがて当然の如く刺激的な殺人に惹かれてゆきます。

 といっても、あからさまな狂気を感じさせる描写はほとんどありません。ルモルヌは、クロロホルムの効果時間を試したり、娘に大声を上げる競争をさせ、近くの農家に悲鳴が届くか確認したり、女性が抵抗を感じないよう車に乗るための工夫をしたりといった準備を、化学の教師らしく淡々と進めます。
 ほかのフィクションのサイコキラーに比べるとルモルヌは地味ですが、殺人を実験のように冷静に進行させる方がゾッとします。実際、別荘の庭に闖入してきたふたりの青年を、まるで虫を殺すかのように銃殺します。

 しかし、数多あるサイコスリラーのなかで『失踪』をユニークたらしめているのは、ルモルヌではなく、レックスの存在なのです。
 恋人のサスキアが姿を消してから八年(映画では三年)。レックスはあらゆる手を尽くして彼女を捜索してきました。新聞広告や私立探偵に支払うために借金をし、様々な目撃情報を集めます。
 それだけならまだしも、レックスには様々なことが暗示的なメッセージに思えてくるのです。電話番号や走行距離計の数字をサスキアが失踪した日や生年月日に結びつけてしまったり、ペットショップの鼠をサスキアだと思ったり……。

 レックスには今、イタリア人の恋人がいますが、サスキアのことを思わない日はなく、恋人との関係も順調とはいえない状況です。
 いや、正確にいうとレックスはサスキアではなく、彼女が消えた謎に囚われているのです。
 そのため、「真相は不明だが、サスキアがどこかで幸せに生きている」と「サスキアは死んだが、真相が明らかになる」の二択なら、迷わず後者を選んでしまうと語ります……。
 それはある意味、ルモルヌ以上に常軌を逸しているといえます。

『失踪』は、前述の『洞窟』と共通点が多い(章ごとに時間と場所が大きく変わる。五章よりなる。ボリュームが少ない。やる瀬ない結末)のですが、最も重要なのは、両者ともスリラーの形を借りた恋愛小説だということです。
自らの命を犠牲にした最後の選択」も、真実を手に入れるためのやむを得ない手段ではあるものの、実際には別の手もあったわけです。となると、やはり「愛するサスキアと同じ体験をすること」こそに意味があったのかも知れません。なぜなら、レックスが何より知りたかったのは「サスキアが理不尽に命を奪われるとき、どう感じたか」だからです。
 彼の歪んだ愛情を受け入れられる人にとって、『失踪』は究極の恋愛小説になるでしょう。

※1:スペイン映画『オープン・ユア・アイズ』と、アメリカでリメイクされた『バニラ・スカイ』は、ヒロインが同じ役者(ペネロペ・クルス)。

※2:ちなみに原題は、小説が「金の卵」、オランダ版映画が「痕跡なし」、アメリカ版映画が「消失」という意味になる。


『失踪』矢沢聖子訳、日本放送出版協会、一九九三

→『マダム・20』ティム・クラベー

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