読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『マダム・20』ティム・クラベー

Vertraging(1994)Tim Krabbé

 ティム・クラベーの『マダム・20』(写真)は、オランダ推理作家協会の年間最優秀賞(Gouden Strop)を受賞していますが、邦訳は大手の出版社ではなく、今は亡き青山出版社から刊行されました。
 この出版社のことは、ほとんど知りません。調べてみると、海外文学ではアーヴィン・ウェルシュクリスチャン・ジャックの小説などを出していたようです。
『マダム・20』は「Roman psycho(ロマンプシコ)」というシリーズの一冊のようですが、巻末のリストにはほかにアンヌ・フランソワの『壊れゆく女』とジャン・カリエールの『森の中のアシガン』しか掲載されていません。

 そんなに古くはないのに小さい出版社から刊行されたり、共同出版だったりしたせいで手に入れにくい本があります。『マダム・20』もそんな書籍のひとつで、書評どころか書影すらみつかりません。
 僕なんかの記事でも、全く情報がないよりはマシですので、感想をざっくりと書いてみたいと思います。

 クラベーは、邦訳のある長編を三つとも読んでいますが、どれもよくできています。ミステリーというよりサスペンスやスリラーで、些細な過去のできごとが重要な意味を持つケースが多いのも好みに合致します。
 日本における知名度は『失踪』が群を抜いているものの、作品のクオリティでは『マダム・20』や『洞窟』も負けていません。それを中編程度の長さで表現しているのも素晴らしい(アメリカの作家だったら、出版社から無理矢理引き伸ばすよう指示されるかも知れない)。

 オランダの作家ジャック・ベッカーは、ニュージーランド在住のオランダ移民を対象にした文化活動に参加した後、トランジットのために立ち寄ったシドニーで、モニック・イレヒェムスという女性に連絡を取ります。ジャックはベルギー、フランスをオートバイで旅行した三十年前、モニックと知り合ったのです。
 久しぶりに会ったモニックは、「マダム・20」という会社を経営しており、自身もマダム・20と呼ばれる有名人になっていました。しかし、詐欺・横領の疑いで警察やマスコミに追われていました。ジャックは帰国するのを遅らせ、モニックとともに逃避行に出ます。
 しかし、モニックの共犯者がスイス銀行から預金を全額引き出し、逮捕されると自殺します。その上、ジャックとモニックは強盗に遭い残りの金も失い、最も近い町まで百キロもある砂漠に置き去りにされてしまいます。

 十七歳でバイク旅行をしているとき知り合った、初体験の相手である二十歳の女性を、三十年経っても忘れないジャック。彼の執念は『失踪』のレックスを思い起こさせます。
 また、過去の些細なできごとが何十年も経ってから大きな意味を持つというアイディアは『洞窟』に受け継がれているようです。

 ジャックはいつでも逃げ出せる状況にありながら、モニックにとことんつき合ってしまいます。社会的地位もあり、恋人もいる。しかも、今ではモニックにさほど魅力を感じていないにもかかわらず、どん底まで堕ちてゆくのです。
 読者(特に男性)は「そんな馬鹿な」と思いつつ、心の底で何となくジャックに共感してしまうのではないでしょうか。遠い過去の僅かな逢瀬は、短いからこそ鮮明に記憶に残るからです。

『失踪』を読んでいれば、ジャックは「三十年前にモニックが突然自分の元から去ってしまったのはなぜなのか」を知りたいという狂気に取り憑かれていると考えるかも知れません。
 しかし、同じ手を二度も使うほどクラベーは読者を舐めていない。これはファムファタールに翻弄される男の悲劇を描いた作品などではないのです。

 ミステリーなので詳しく書けませんが、最終章で真相を明かされた後は、今までみえていた景色が文字どおりひっくり返る衝撃に襲われます。
 特にモニックの渾名の由来を知ったときは、思わず涙腺が緩んでしまいました。

 クラベーは、ただ単に吃驚させる仕掛けを用いるだけでなく、「あのとき、こうしておけばよかった」と思わせる何とも遣る瀬ない(ある意味、残酷な)結末を用意してきます。
 そのため、読後は「すっかり騙された!」という爽快感よりも、気持ちの整理のつかないモヤモヤが残ります。
 僕はそういうのが大好きなので、同じ趣味を持つ方にはぜひお勧めしたい。繰り返しますが、邦訳されている三冊に外れはありませんから、安心してお読みください。

 なお、原題の「Vertraging」は「遅延」という意味です。

『マダム・20』各務有二訳、青山出版社、一九九六

→『失踪』ティム・クラベー

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