Mirror, Mirror on the Wall(1972)Stanley Ellin
優れた短編の書き手として知られるスタンリイ・エリン(※1)。
ところが、彼はデビューした一九四八年から一九七八年までの三十年間に、たった三十五の短編しか書きませんでした(※2)。しかも、そのほとんどを「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」に寄稿しました。それは、自分を認めてくれたフレデリック・ダネイへの恩義からとされています(短編集『九時から五時までの男』はダネイへ捧げられている)。
ほぼ一年に一編という数の少なさ、より高い原稿料をもらえる雑誌の依頼を断っていたらしいことから、エリンにとって短編小説を書くことは生活のためではなかったと推測されます。
エリンの短編の魅力は、突飛なアイディアや意外なオチにはありません。ありふれた材料(倒叙、ループ、リドルストーリーなど)を技巧によって、傑作へと生まれ変わらせるのが真骨頂です。
「特別料理」なんてその最たるもので、タイトルでネタバレしているのに最後まで手に汗握らせるという離れ業に、多くの人が拍手喝采したわけです。
一方、「12番目の彫像」はそれを逆手にとっています。タイトルをみれば、誰もが彫像を死体の隠し場所だと思うのですが、一捻りあるのでご心配なく。また、「伜の質問」のように、息子が父親に何かを尋ねたことは示されるものの、その内容がラストまで明かされず、黒い狂気にゾッとさせられる短編もあります。
ほかにも、最も重要な場面を敢えて省略し、結末につなげることで最大の効果をあげている「お先棒かつぎ」が見事な出来栄えですが、その反対に、結末を書かないリドルストーリーの「決断の時」や「不当な疑惑」も素晴らしい。
エリンは、クライマックスに至るまでに完璧な伏線を敷くタイプです。しかし、それは反面、オチが読みやすいというデメリットにもなり兼ねません。それらの短編は、その欠点を補った傑作といえます。
その中間タイプというべきなのが「最後の一壜」です。突飛な手段で完全犯罪を成功させる話ですが、登場人物たちにとっては寧ろ殺人より大切な「あること」が謎のまま終わります。そして、それによって高価なワインのように芳醇な味と香りが残るのです。
勿論、「ブレッシントン計画」の余韻も絶品です。物語が閉じた後に襲ってくる本当の恐怖に比べたら、作中の殺人なんて可愛いものだと思えてきます。
このように書くと、やはり「エリンの真骨頂は短編にあり」と思われることでしょう。そうでなくとも「異色作家短篇集」に収録された作家は「短編の名手」のイメージがつきまといがちです(※3)。
それらを否定するつもりはありませんが、短編ばかりが強調される余り、長編が蔑ろにされてしまうのは非常に勿体ないと思います。
といいつつ、エリンの長編小説として『第八の地獄』と並んで評価の高い『鏡よ、鏡』は、文庫本で二百頁強のボリュームしかありません。さらに、推理を主としたミステリーではないことから、短編の延長に当たる作品、いわば「長い短編」といった感じ。
『最後の一壜』に収録されている「壁のむこう側」とテイストが近いので、あれが好きな方なら間違いなく楽しめるはずです。
さて、『鏡よ、鏡』は、原書(ランダムハウス)に返金保証がついており、ハヤカワ・ノヴェルズ版も同様の趣向が凝らしてありました。後半の袋綴じ部分を開かずに、発行日から六か月以内に早川書房に持ち込めば料金を返却してもらえたのです(写真)。
ちなみに、ハヤカワ・ノヴェルズではほかに、ラモナ・スチュアートの『デラニーの悪霊』や、リチャード・マシスンの『地獄の家』にも返金保証がありました。
僕が持っているのは未開封で、なおかつスリップまでついています。袋綴じを開封する勇気がないため、わざわざ文庫版を購入し、そちらで読みました。こういう無駄ばかりしているから、駄目なんだな……。
ピーター・ヒブンは、浴室で見知らぬ売春婦の死体と拳銃を発見します。いつの間にか、そこには別れた妻、その再婚相手である弁護士、精神科医、家政婦などがいました。
やがて、奇妙な裁判が始まり、ピーターの過去が次第に暴かれてゆきます。果たして、この事件は現実に起こったことなのでしょうか。
初っ端から現実感に乏しく、まともな推理小説でないことはすぐに分かります。事件自体が異様というより、ピーターの精神は明らかに問題を抱えているようにみえます。
ピーターにまつわる、主に性的な嗜好や経験が医師(裁判長にもなる)との対話や法廷内で語られるのですが、そもそもこの裁判は『不思議の国のアリス』におけるそれのように出鱈目で、評決を取ってから審理を行なったり、陪審員が家族だったりするのです。
また、ピーター自身も夢のなかにいるように時間と空間を自在に飛び越えてゆきます。
どこまでが現実で、どこからが妄想なのか読み解けないまま、衝撃の結末へと至るわけですが、推理小説の感想としては、これ以上、ネタバレをするわけにはいきません……。
あれもこれも書きたいのをぐっと堪えて、次のことだけを記述して終わりたいと思います。
前述したようにエリンは伏線を張るのが非常に巧みです。『鏡よ、鏡』でも用意周到に張り巡らされた伏線が最後には綺麗に回収されます。
長編だけあって、その量は凄まじく、開け放たれた窓が一斉に閉まるかのような快感を覚えます。
「これぞ、名人芸!」と快哉を叫びたくなること必至ですので、未読の方はこれ以上情報を入れずに、ぜひ読んでみてください。
※1:このブログでは、外国の人名のカナ表記を、必ずしも書籍に書かれているものと一致させていない。そのため、本来なら「スタンリー」としたいのだが、明らかに「スタンリイ」が定着しており、やむを得ずそのままとした。「異色作家短篇集」は、シャーリイ・ジャクスン、ロバート・シェクリイ、ジャック・フィニイ、『メランコリイの妙薬』などと「ー」を「イ」と表記しているので、ちと困る……。
※2:この三十五編は『The Specialty of the House and Other Stories: The Complete Mystery Tales, 1948-1978』に収録されている。日本では『特別料理』『九時から五時までの男』『最後の一壜』の三冊ですべて読める。ちなみに、マイベスト10は「特別料理」「お先棒かつぎ」「クリスマス・イヴの凶事」「パーティーの夜」「決断の時」「ブレッシントン計画」「不当な疑惑」「伜の質問」「最後の一壜」「壁のむこう側」。エリンの場合、誰がどんな基準で選んでも、傑作短編集ができあがってしまう。
一方、一九八〇年代に書かれた短編は邦訳されているものの、雑誌やアンソロジーでしか読めない。
※3:「異色作家短篇集」から五冊選べといわれたら、大いに悩んだ末『キス・キス』『さあ、気ちがいになりなさい』『炎のなかの絵』『特別料理』『虹をつかむ男』(新版の刊行順)を取るだろう。
『鏡よ、鏡』稲葉明雄訳、早川書房、一九七四
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