読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『月は地獄だ!』ジョン・W・キャンベル

The Moon is Hell!(1950)John W. Campbell

 ジョン・W・キャンベルはSF作家にして、SF誌の編集長でもあります。実作よりも編集の方で活躍したとのことで、日本でいうと福島正実みたいな感じでしょうか。
 最も有名な作品は、映画『遊星よりの物体X』の原作である「影が行く」です。これは短編小説なので、SFやホラーのアンソロジーの常連となっています。

 それに比べると知名度は落ちるものの、評価の高い長編が『月は地獄だ!』(写真)です。
 これは簡単にいってしまうと、月を舞台にしたサバイバル小説で、似たようなテーマの作品にチャールズ・エリック・メインの『大真空』があります。
 また、舞台を火星に移すと、レックス・ゴードンの『宇宙人フライデー』や、アンディ・ウィアーの『火星の人』といった作品も仲間に加えることができるでしょう。

『月は地獄だ!』は、そのなかで最も古い一九五〇年に刊行されました。当時の少年少女はワクワクしたかも知れませんが、残念ながら現代では荒唐無稽さが目立ってしまいます。
 とはいえ、予想を大きく外していない部分もあります。例えば、人類初の月面着陸は一九七四年と書かれていますが、現実には一九六九年にアポロ11号が月面着陸しているので、かなり惜しいといえます。
 MIT出身のキャンベルは第二次世界大戦中に、新型爆弾のアイディアを作家に授けたことでFBIの局員の訪問を受けたそうですから、最新の科学知識と想像力を十分に兼ね備えていたのでしょう(※)。
 それはともかく、あらすじを……。

 一九七九年、ガーナー月世界探検隊の十五名は月に着陸しました。これから二年間の予定で調査を行なうのです。残り一か月になると帰還用宇宙船がやってきて、彼らを地球に運んでくれます。
 ところが、やってきた宇宙船は月に墜落し、大破してしまいます。地球へ連絡することができないため、宇宙船が墜落したことを地球の人々が知るのに一か月、そこから宇宙船を建造して月にやってくるまで少なくとも八か月はかかりそうです。しかし、酸素は二か月分しかありません。

 月で生き残るための、主な問題点は以下のとおりです。
・酸素がない
・水がない
・エネルギーがない
・食料がない
・地球と連絡が取れない

 エネルギーはセレン化銀に太陽光線を当て電流を発生させます。それを太陽電池に加工して保存することで解決します。
 それを用いて石膏(CaSO4・2H2O)から水(H2O)を作り、そこから酸素を生成します。
 食料は古着や紙から作られます。三つの装置を用い、炭水化物、砂糖、蛋白質、脂肪を合成するのです。
 通信は、月の表側までゆき、無線電信(?)で電文を送信します。同時に、平らな岩にアルミニウムペイントで文字を書き(一文字三平方メートル程度)、パロマー天文台から観測してもらおうとします。

 どれもこれも実現可能とは、とても思えません。
 例えば、人間が一日に必要な酸素は一万リットル、水は二リットル、カロリーは二〇〇〇kcalだそうです。隊員はふたり亡くなったので、十三人。それらをすべて岩や古着、書籍から作り出すのは、さすがに無理がありますし、そもそもそんな大掛かりな装置をどうやって作ったのでしょうか(何と、後半にはロケットまで建造してしまう)。

 とはいえ、彼らのサバイバル術が科学的か否かなんてことは余り重要ではありません。発売当時はいざ知らず、現代においてはギャグにしかならないからです。
 しかし、『月は地獄だ!』には、今も色褪せない魅力があります。それは、絶望的な状況においても登場人物たちが決して諦めず、不屈の闘志をみせる点です。

 この小説は、ごく短いプロローグとエピローグを除き、副隊長で物理学者のトーマス・リッジレイ・ダンカンの手記から成り立っています。
 生き残ることなど到底不可能な世界に放り込まれながら、また事故や食料泥棒という事件を抱えつつ、その手記からは隊員たちが過酷な挑戦を楽しんでいる様子が伝わってきます。タイトルの「地獄」とは裏腹に、誰もが生き生きとしているのです。

 これは正にアメリカ人の好きな開拓者精神そのものです。
 彼らは月を新たなフロンティアと捉え、知恵と勇気を駆使して困難に立ち向かっており、その姿をみて読者も興奮したのではないでしょうか。しかも、こういうのはハードモードであればあるほど盛り上がる構造になっています。
 また、熱い男たちの生死を賭けた戦いが受け入れられたのは、冷戦という時代背景(第二次世界大戦が終わり、アメリカ人にとって決して影響の強くない朝鮮戦争が始まった)のせいもあるかも知れません。

 とはいえ、誤解して欲しくないのですが、ある科学者の手記である『月は地獄だ!』には、エンターテインメント小説のように、読者を惹きつけるためのテクニックがほとんど使われていません。
 その日のできごとを淡々と綴ってあるだけで、食料泥棒以外は大した事件も起こらないし、そもそも隊員の個性を書き分けることすらされていない(仲間割れも喧嘩も議論もなし)。そのため、退屈と感じる人もいると思います。

 しかし、終盤、緊張感が一気に高まります。
 手記がいかに前向きで楽天的でも、現実がそのとおりに進むとは限らず、必ずしも幸福とはいえない結末が待っています。宇宙の厳しさを伝える上でこの程度の犠牲はやむを得ず(それでも大甘だが)、よいバランスを保っていると思います。
 非現実的な設定も、パラレルワールドのできごとだと思えば気にならず、空想科学小説に胸を躍らせ、悲劇に打ちのめされた少年時代に思いを馳せることができるのではないでしょうか。

※:イリヤ・エレンブルグも原爆を予言している。詳しくは、こちら

『月は地獄だ!』矢野徹訳、ハヤカワSFシリーズ、一九六二

月へゆく
→『ミュンヒハウゼン男爵の科学的冒険ヒューゴー・ガーンズバック
→『ストーリーナンバー』ウージェーヌ・イヨネスコ
→『詳注版 月世界旅行ジュール・ヴェルヌ、ウォルター・ジェイムズ・ミラー