読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『おお開拓者よ!』ウィラ・キャザー

O Pioneers!(1913)Willa Cather

 二〇一三年の「読書感想文」は、ちょうど百年前、一九一三年発行の『おお開拓者よ!』で締めようと思います(※1)。

 ウィラ・キャザーには優れた作品が数多くありますが、個人的には、古き良きアメリカを郷愁たっぷりに描いた『おお開拓者よ!』『The Song of the Lark』『マイ・アントニーア』のプレーリー(草原)三部作(※2)が最も好きです。
 これらはいずれも一九一〇年代に刊行され、人気を博しました。しかし、一九三〇年代に入ると、キャザーのようなドメスティックで牧歌的な作風は、急激に評価を落としてしまいます。骨太で逞しく厳しい現実を描く文学(ジョン・スタインベックパール・バックアーネスト・ヘミングウェイウィリアム・フォークナー、アースキン・コードウェルなど)こそが次の時代を切り開く、とされたのです。

 現在では、フェミニズムの観点からキャザーを再評価する動きが出ていますが、残念ながら訳本は多くが絶版です。しかも、そのほとんどが五十年以上前の書籍(※3)であるため、古書店でも余りみかけません。
 例えば、ジェイン・オースティンは「ラブコメの元祖」などといわれ、今でも数多くの読者を獲得しています。キャザーだって復刊すれば、結構売れるような気がするんですけどねえ(※4)。

『おお開拓者よ!』も非常に入手しづらいのですが、購入するなら荒地出版社の「現代アメリカ文学全集2」(写真)がお勧めです。
 これには『死を迎える大司教』『迷える夫人』「ポールの反逆(※5)」「ワグナー・マチネー」「ある彫刻家の葬式」「家具をとりはらつた小説」といった長短編やエッセイが併せて収録されており、たっぷりキャザーを楽しめるからです(※6)。

 一方、もうひとつの代表作である『マイ・アントニーア』は、今も新本で購入できます(追記:一旦品切れになった後、二〇一七年三月に新装版が刊行された)。
 これは、ニューヨークに住む有能な弁護士ジムによる、ネブラスカで過ごした青春時代の回想録で、記憶の中心にいるのは、ボヘミアから移民してきたアントニーアという少女です。
『おお開拓者よ!』同様、物語だけ取り出しても十分面白い上、アメリカ中西部の自然や人々の暮らしはとても興味深い。加えて、実験的な手法を用いる(ジムの手記をキャザーが受け取ったという設定や、アントニーアが登場しない章があるなど)というキャザーの特徴がよく表れています。
 何よりアントニーアをはじめとする少女たちが実に魅力的に描かれており、この小説をベストにあげる人が多いのも頷けます(キャザー自身も「これが最も優れている」と語っている)。
 そんなわけで、この作品からキャザーの世界に入ってもいいかも知れませんね。

『おお開拓者よ!』に戻って、まずはあらすじから。
 スウェーデンからやってきたベルグソン一家。父親が亡くなり、不況の波に襲われ、貧窮の淵に追いやられてしまいます。
 それを救ったのは、事実上の家長となった長女のアレグザンドラでした。彼女は、才覚を発揮し、農場を大きく発展させます。
 しかし、アレグザンドラは恋をする暇もなく四十歳を迎え、家族を持った弟たちとの仲もギクシャクしています。そんなとき、ニューヨークに引っ越していった幼なじみの男性が、何十年ぶりかに戻ってきました。

 キャザーにとっての「開拓者」とは、ヨーロッパからの移民のことです。彼らは、英語が上手く話せなかったり、文化が異なっていることから、周囲の人々に十分理解されず、微妙な距離が生じてしまいます。変人・頑固者などとして扱われたり、無視されたりするのです。
 そうした点は、新旧大陸の文化の摩擦をテーマにしたヘンリー・ジェイムズの影響が感じられます。

 しかし、キャザーが描きたかったのは、彼女にとって、もっと大切なこと。即ち「懐かしい土地と人々との美しい思い出」だったのではないでしょうか。

 勿論、だからといって、甘い記憶ばかりが作品を支配しているわけではありません。
 アレグザンドラは、農場を発展させたにもかかわらず、女であるがために正当な評価をされず、それどころかオールドミスと馬鹿にされることもあります。幼なじみとの恋も、彼女がもう少し若ければ、周囲に祝福され、もっとスムーズに進行したでしょう。
 そして、最大の悲劇は、末の弟と若き人妻との道ならぬ恋が齎しました。アレグザンドラは、最も可愛がっていた身内と、何でも話すことができた親友を一度に失ってしまいます。

 いえ、そのように書いてしまうと、「波乱はあっても、最後は調子よくまとまるソープオペラ?」と勘違いされる虞があります。
 けれど、そうしたできごとは、飽くまで小説としての演出や技巧に過ぎません。この作品が示しているものは起伏に富んでいるものの、いかにも作りものめいた人生などではなく、異国の大地にしっかりと根づいた逞しい女性の姿なのです。

 イサク・ディーネセンの『アフリカの日々』の主人公は、農場経営に失敗し、失意のままデンマークに帰国してしまいます。また、アレグザンドラの弟と自分の妻を殺めた男性も、刑務所を出所したら故国の母の元へ帰りたいと訴えます。
 それに引き換え、アレグザンドラもアントニーアも、恐らく生涯アメリカを離れることはないでしょう。それどころか、彼女たちの子孫は、きっと今も西部で暮らしていると思います。

 彼女らの土地は、今、生きている者だけのものではないことに気づいたとき、アレグザンドラは、殺害犯を寛恕し、若いふたりを野放しにした自らの責任を痛感します。
 そして、その先に待っていたのは、新たな希望です。
 他人からみると遅すぎると思えるかも知れませんが、彼女にとっては、人生の順序をきちんと踏まえた末の、美しい春の訪れでした。

※1:同じく一九一三年の小説には、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』、デーヴィッド・ハーバート・ローレンスの『息子と恋人』、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの『ジャン・バロワ』などがある。

※2:『The Song of the Lark』(一九一五)のみ未訳で、勿論、未読。日本語にすると『雲雀の歌』となるか。

※3:一九五四年発行の角川文庫『別れの歌 ―ルーシー・ゲイハート』には、何と訳者(龍口直太郎)の友人が作曲したというイメージソングの譜面(写真)が掲載されている(新潮社版、三笠書房版に同じものが掲載されているかは不明)。

※4:オースティンとキャザーには特に共通点があるわけでなく、単に「今、売れるか否か」の話。ちなみにオースティンの『高慢と偏見』は、『おお開拓者よ!』からちょうど百年遡る一八一三年の作。

※5:原題は「Paul's Case」で、一般的には「ポールの場合」と訳される。ちなみにこういうのも発行されている。

※6:同じ荒地出版社の「現代アメリカ文学選集3」にも『おお開拓者よ!』と『死を迎える大司教』とそのほかの短編は収録されているが、『迷える夫人』が抜けている。


『現代アメリカ文学全集2』小林健治訳、荒地出版社、一九五七

→『教授の家』ウィラ・キャザー

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