読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『アメリカ鉄仮面』アルジス・バドリス

Who?(1958)Algis Budrys

 東プロイセン生まれのリトアニア人で、家族とともにアメリカに亡命したアルジス・バドリス(※)。
 邦訳には恵まれておらず、評価の高い『無頼の月』も一九六一年に「SFマガジン」で連載されたきり、単行本になっていません。

 もうひとつの代表作である『アメリカ鉄仮面』(写真)の「鉄仮面」とは勿論、バスティーユ牢獄に収監されていた謎の囚人のことで、様々なフィクションで取り上げられています。特に有名なものに、フォルチュネ・デュ・ボアゴベの『鉄仮面』や、アレクサンドル・デュマの『ダルタニャン物語』(「ブラジュロンヌ子爵」)があります。
アメリカ鉄仮面』というおかしな邦題は、主人公の正体が不明だからでしょうが、謎の性質は『鉄仮面』というより『犬神家の一族』に近いかも知れません。

 近未来(一九七〇年代か?)、同盟国圏とソヴィエト社会主義国圏の国境近くにある研究所で爆発事故が起こり、ルーカス・マルティーノという物理学者がソヴィエトの病院に収容されます。マルティーノはK88という兵器を開発している重要人物です。
 四か月後、卵のような金属の仮面をつけ、義手になったマルティーノが同盟国側に返されてきました。果たして、彼は本物なのか、偽者なのか? 本人だとしても洗脳されているのではないか? 洗脳されていないとすると、ソヴィエト側が解放した理由は?
 同盟国は様々な方法で本人確認をしようとするものの、ソヴィエトの最新技術に阻まれ、どうしても分かりません。冷戦下で互いにスパイを送り合っている状態のため、ソヴィエトには何らかの思惑があるのでしょうが、それが何かも想像がつかない。
 そこで同盟国政府は、マルティーノを泳がせ、過去にかかわりのあった人物と接触させることで真贋を見極めようとします。

 冒頭から「仮面の人物は果たしてどんな秘密を抱えているのか」という魅力的な謎が提示され、読者を引っ張ってゆきます。事故の経過やK88計画の詳しい説明はないものの、緊張感は漲っています。
 普通のスパイ小説であれば、この後、互いに罠を張ったり、次々に事件が起こったり、複雑な駆け引きや人間関係で煙に巻いたりしますが、『アメリカ鉄仮面』はそれらとは全く違う展開をみせます。

 保安責任者ロジャースが謎を解くために奮闘する章の合間に、マルティーノの誕生から高校、ニューヨーク市立大学マサチューセッツ工科大学(MIT)を経て、K88計画に携わるまでが描かれる。そして、それらのエピソードはサスペンスというより、まるで青春小説のようなのです。
 高校時代に恩師と呼べる教師に出会ったこと、ニューヨークでの淡い恋、MITでルームメイトとなった青年(ソヴィエトのスパイ)とのやり取り……。

 仮面の男となったマルティーノは、思い出の人物を訪ねてゆき、自分の人生をしみじみと振り返ります。
 動物園で声をかけた女の子と何度かデートをしながら踏み込むことができず、気がつくと相手は別の男と結婚していました。また、MIT時代、三年間同室だった青年とは互いの能力を認め合ったにもかからわず友人づき合いにまで発展しませんでした。恩師は、仮面には驚かないものの、あからさまに迷惑そうな素振りをみせます。

 そう、ここに至ってマルティーノは、事故に遭う遥か前から、自分が既に仮面を被った存在だったことに気づくのです。
 原題の「Who?」は「お前は誰だ?」ではなく、「俺は一体誰なんだ?」という問い掛けなのでしょう。正にアイデンティティクライシスで、国家間の陰謀が、いつの間にやら自己認識の問題にすり替わってしまっています。
 要するに、『無頼の月』が月の裏側にある構造物の謎に迫る物語ではなかったのと同様、『アメリカ鉄仮面』も仮面の男の正体を暴く物語などではないということです。

 それにしても、これがバドリスの特徴なのでしょうか。
 仮面の謎がどうでもよくなってしまう点に肩透かしを食らうSFファンもいるかも知れません。翻訳が少ないのも、それが理由という気がしないでもない……。
 とはいえ、個人的には独特な肌触りに好感を抱きます。吃驚させたり奇を衒う意図がなく、こうした構成を考えつく作家はとても貴重だと思います。

※:カバー裏には「イギリスのSF作家」と書いてあるが、間違い。

アメリカ鉄仮面 ―仮面の正体を探るSFサスペンス』仁賀克雄訳、ソノラマ文庫、一九八四

ソノラマ文庫海外シリーズ
→『悪魔はぼくのペットゼナ・ヘンダースン
→『吸血ゾンビ』ジョン・バーク