Or All the Seas with Oysters(1962)Avram Davidson
アヴラム・デイヴィッドスンの長編は、エラリー・クイーンの代筆を除くと一作しか翻訳されていません。世間の評価も「短編の傑作をいくつも書いているが、長編は全く売れなかった作家」という感じではないでしょうか。
事実、短編では、ヒューゴー賞、エドガー賞、世界幻想文学大賞と、SF、ミステリー、ファンタジーの分野でそれぞれ主要な賞を受賞しています。
一方、長編小説は、心血を注いだ『不死鳥と鏡』が全く売れず、続編の『Vergil in Averno』もさっぱりだったとか。
かつてディヴィッドスンの短編は、雑誌やアンソロジーにはよく掲載されていましたが、まとめて読めるのは『10月3日の目撃者』(写真)しかありませんでした。
おかしな設定や展開を売りにしたSF作家は数多くいますが、彼らは大抵、さらにハチャメチャなオチに持ってゆきます。ところが、ディヴィッドスンは、変な話を綺麗にまとめるという印象を受けました。
設定から考えるか、オチから思いつくのか分かりませんが、これは相当難易度が高い仕事だと感心した記憶があります。
とはいえ、デイヴィッドスンは、特異な文体、自分勝手な文法、本当か嘘か分からない雑多な知識、最初から理解させる気のない話など、読者を戸惑わせる要素も抱えており、油断をしていると痛い目に遭います。
清濁併せ呑む覚悟で挑むのが、デイヴィッドスンとの正しいつき合い方といえるでしょう。
なお、『10月3日の目撃者』は、ソノラマ文庫海外シリーズらしく、原書の全十八編中十二編しか収録されていません(表題作すら割愛された)。未収録のうちの二編は『どんがらがん』(写真)に掲載されていますので、原書どおりに並び替えて感想を書きます。
緑色が『10月3日の目撃者』に、ピンク色が『どんがらがん』に収録されています。
「さもなくば海は牡蠣でいっぱいに」Or All the Seas with Oysters(1958)
「あるいは牡蠣でいっぱいの海」という邦題で知られた短編です。筒井康隆のショートショート「あるいは酒でいっぱいの海」は当然ながら、この作品のパロディです。尤も、この短編自体のタイトルもコナン・ドイルの「瀕死の探偵」におけるシャーロック・ホームズの科白から取られているそうです。
あるはずなのに探してもみつからないものと、そんなに買った覚えはないのに有り余っているものってありますね。もしかすると……。
「Up the Close and Doun the Stair」(1958)
未訳
「さあ、みんなで眠ろう」Now Let Us Sleep(1957)
未開の惑星の原始人ヤフーを、囚人のストレス発散のために殺しまくります。絶滅の危機が迫り、ハーパーは立ち上がりますが……。
弱い者、劣る者を虐げ続けてきた人類が同じ過ちを繰り返す理由がみえてきます。悲しく恥ずかしい気持ちになる短編です。
「10月3日の目撃者」The Grantha Sighting(1958)
宇宙人と遭遇したタウンズ夫妻は、話を聞きにくる人々を無料で歓待します。彼らは現代の科学では解明できない布を持っています。
彼らが訪問者を受け入れる理由、布の秘密がラストで明らかになり、吃驚させられます。さらには「人造人間ゴーレム」とは逆に、なぜか「異質な者と話が通じてしまう」面白さもあります。
「助けてくれ、私は地球人の医師だ」Help! I am Dr. Morris Goldpepper(1957)
高名な歯科医であるゴールドペパーは、異星人に拐われ、歯の治療をさせられます。というのも、彼らには歯がなく、歯科技術が発達していなかったからです。
デイヴィッドスンはかなり遠回りするタイプなので、読み始めてしばらくは、一体何の話なのか分かりません。それがとんでもない方向にいったかと思うと、案外とまともなオチがつくのが特徴です。
「六番目の季節」The Sixth Season(1960)
老化を遅らせる木の根を得るため、ある惑星に一年滞在する探検隊。そこは季節が六つあり、それぞれが過酷で、隊員たちを苦しめます。
様々な要素がラストで結びつくのはデイヴィッドスンお得意の手法ですが、フィクション内でのそれは未開の原住民の知恵だと気づくと、さらに恐ろしい。
「魔法のペンダント」Negra Sum(1957)
ラテン語で「私は黒いけれど美しい」と書かれたロケットを持っている人は、美しくみえます。貸室の管理人エドワーズとそこの住人の間を、そのロケットは渡り歩きます。ただ、それだけの話なんですが、何となくヘンテコで面白いです。
「草は緑」Or the Grasses Grow(1958)
インディアン居留地を解散させ、ひとりひとりに土地を分ける米国の政策は、白人が土地を巻き上げるためのものです。
ディヴィッドスンにはEQMM短編小説コンテストで第一席になった「物は証言できない」という短編があります。奴隷である黒人は物であるため、その証言は無効であることを逆手に取った作品でした。
一方、「草は緑」は、米国がインディアンと結んだ条約によると「太陽が昇り、草が緑の間は」守られるはずなのに、それがなされていないことをヒューマニズム溢れる筆致で描いています。
「恋人の名前はジェロ」My Boy Friend's Name is Jello(1954)
デイヴィッドスンの処女作です。栴檀は双葉より芳しというか、何が起こっているのかよく分かりません。呪いなのか、被害妄想なのか……。
「人造人間ゴーレム」The Golem(1955)
ディヴィッドスンの代表作で、多くのアンソロジーに収録されています。エブリディマジックにおいて異質な者が現れた場合、物語の都合上、すんなりと本題に入りますが、現実ではそうもゆきません。本作の老人のように、なかなか話が進まないはずです。
さらにもう一捻りあるところが、この短編を傑作たらしめる所以でしょう。
「常夏の国」Summerland(1957)
霊媒師を呼び、亡くなった夫チャーリーの霊を呼び出すメリー。すると、霊媒師の口から、火に焼かれる夫の叫び声が聞こえます。
これもよく分かりませんでした。常夏の国は「あの世の高級住宅地だから苦痛はないのに、チャーリーが苦しんでいるということは、悪徳不動産屋だった彼は地獄に落ちている」という意味なのでしょうか。
「King's Evil」(1956)
未訳
「Great is Diana」(1958)
未訳
「電話が遠いのですが」I Do Not Hear You, Sir(1958)
世話になった骨董商を殺害し、骨董品を売って儲けていたマイロでしたが、めぼしいものは底をつき、金の取り立てが一気にやってきます。残ったものを漁っていたマイロは、過去へつながる電話をみつけました。
ジョージ・ワシントンやベンジャミン・フランクリンは助けてくれず、最後につながったのが裏切りの代名詞となっているベネディクト・アーノルドでした。となると、マイロの運命は決まったようなものです。いかにもショートショートといった感じの作品です。
「作家よ、作家」Author, Author(1959)
「寂しい道で車が故障し、大邸宅に辿り着く」といった古びたスリラーを書く作家のロドニーは、最近、本が売れなくなってしまいます。出版社の社長と喧嘩をしたロドニーは、田舎に遊びにゆき、自分の小説と同じようなシチュエーションに遭遇します。
……と、ここまではホラーの導入部でよくみかけますが、その後、おかしな方向にいってしまうのがユニークです。尤も最後は元のところに綺麗に戻ってきます。
「Dagon」(1959)
未訳
「不思議なカメラ」The Montavarde Camera(1959)
看板もない店で、謎の写真家モンタヴァルドのカメラを購入したコリンズは、それが命を吸い取るカメラであることに気づき……。素材も展開もオチもありきたりです。
「豆占いの女」The Woman Who Thought She Could Read(1959)
文字が読めない代わりに、豆を読むことのできる老婦人。豆は未来のことを教えてくれますが、だからといって幸福になれるわけではありません。
『10月3日の目撃者』村上実子訳、ソノラマ文庫、一九八四
ソノラマ文庫海外シリーズ
→『悪魔はぼくのペット』ゼナ・ヘンダースン
→『吸血ゾンビ』ジョン・バーク
→『アメリカ鉄仮面』アルジス・バドリス
→『モンスター誕生』リチャード・マシスン
→『御先祖様はアトランティス人』ヘンリー・カットナー
→「恐怖の一世紀」