読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『飛ぶのが怖い』エリカ・ジョング

Fear of Flying(1973)Erica Jong

 エリカ・ジョングの『飛ぶのが怖い』(写真)は、一九七〇年代のベストセラーです。
 名前は知っていても、内容については詳しくなく、「女性が書いた性愛小説」「ウーマンリブや女性解放運動が盛んだった時代を象徴する小説」などとぼんやりイメージしている人も多いのではないでしょうか。
 勿論、それも間違いではないのですが、『飛ぶのが怖い』は海外文学おたくが泣いて喜ぶ作品でもあるので、今回は主にそちらからアプローチしてみます。
 その前に、あらすじを……。

 二十九歳のイザドーラ・ゼルダ・ホワイト・ストラーマン・ウィングは、二冊の詩集を出版している詩人です。二度目の夫である精神分析医ベネットとともに、オーストリアで開かれる学会に向かいました。
 そこで英国人のエイドリアン・グッドラヴと出会い、性的な関係を結びます。やがて学会が終わると、イザドーラは夫を捨て、エイドリアンとともに去ってゆきます。

『飛ぶのが怖い』の特徴は、性に関して開放的で、底抜けに明るいことです。そこが、ヴァージニア・ウルフコレットアナイス・ニンマルグリット・デュラスシルヴィア・プラスといった作家たちと大きく異なる点かも知れません。
 また、キャシー・アッカーほど過激でも、ぶっ飛んでもいないので、とても読みやすい(内容も手法も)。
 反面、性愛小説のような官能性はなく、表面上はコミカルなエロに終始しています。

 メインのストーリーとなる夫と愛人との三角関係にしても、隠しごとがほとんどないため、カラッとしています。イザドーラは相手とのセックスについて赤裸々に告白するし、互いの悪口も気にせず伝えてしまいます。
 男がふたりとも精神科医という点がミソで、それぞれがイザドーラや相手の男を精神分析します。それも私情が入りまくりなので胡散臭く、ひたすら滑稽に写ります。
 また、妻の浮気現場に夫が闖入し、何をするのかと思ったら浮気相手の目の前で妻を猛烈にファックするといったスラップスティックのような場面もあります。

 さらにユニークなのは、イザドーラが愛人のエイドリアンに極端に傾かないことです。
 不倫をする場合、配偶者には倦怠や不満を抱いており、逆に愛人は新鮮なのですべてが輝いてみえます。つまり、浮気の初期なら、愛人に盲目的にのめり込むケースが多いのではないでしょうか。
 ところが、『飛ぶのが怖い』は、ちょうど半々といった絶妙なバランスで、イザドーラはふたりの男の間を行き来するのです。その後、エイドリアンを選択するものの、激情にかられてではなく、飽くまでなりゆきという感じ(「激しく求めた」とあるが、とてもそうとは思えない)。そして、すぐに相手に裏切られ、夫の元へ戻ってしまいます。

 古いタイプの恋愛小説と明らかに異なる上記の点は「ジップレスファック」という概念(余計な感情を伴わない純粋なセックス)で説明できるのか分かりませんが、少なくとも、女性が自らの性を解放し、世間に向けて「女性が性欲を持つのは素晴らしいことだ」と叫んだという意味で新しかったのでしょう。
 イザドーラは、愛を求める気持ちが人一倍強く、同時に愛すること愛されることに恐怖を感じるなど古風な面もあるものの、性的には完全に解放されています。

 もうひとつ、重要なのはイザドーラが非常に知的という点です(ファイベータカッパの会員)。性欲と知性を兼ね備えていることが女性読者から絶大な支持を得た理由でしょう。
 実をいうと、僕が興味をそそられたのも、彼女の性的冒険ではなく、「文学少女ぶり」でした(欧米の作家だけでなく、三島由紀夫までカバーしている)。
 イザドーラが過去を振り返るに際して、多くの場面で文学が重要な役割を果たします。幼い頃から本とともに歩んできた女性らしく、文学は趣味、愉しみ、友人、教師など様々に姿を変え、現れるのです。
 極論すると、彼女は登場人物の人生も同時に体験しているようにみえます。

 文学作品と現実が密接に結びついている様は、小説好きにとって理想的といえます。
 現実にこんな女性が存在したら引いてしまうかも知れないけれど、文学好きを標榜するなら、これくらいじゃないと格好がつきません。

 ただし、イザドーラのおたくぶりは、読者を選んでしまい兼ねません。「解説」に「ある程度は『文学かぶれ』で、本好きであることが、この作品をより楽しむための条件ではあろう」と書かれているように、小説の知識がないと面白味が半減するのです。
 作者や作品名をあげる程度ならともかく、引用や間接的言及、登場人物などの固有名詞が何の説明もなく飛び出します。その上、注釈もないので、文学に興味がない人は、排他的な印象を持ってしまう可能性があります。

 ……と書くと、読むのを躊躇されるかも知れませんが、ちょっと大袈裟でした。実際は、余り本を読まない僕でも知っているくらい有名な作品がほとんどなので構える必要はないですね。
 今はインターネットもあるし、気になったら調べながら読めば問題ないと思います。

『飛ぶのが怖い』柳瀬尚紀訳、新潮文庫、一九七六