読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『アリスの教母さま』『アーモンドの樹』『まぼろしの顔』ウォルター・デ・ラ・メア

Walter de la Mare

 詩人であり児童文学者でもあるウォルター・デ・ラ・メアの童話や絵本は、幻想的な作風のためか大人にも人気があります。
 岩波少年文庫福音館文庫といった児童文庫から刊行されているデ・ラ・メアはロングセラーなので、今でも安価で購入できます。
 一方、一般向けに出版された書籍はほとんどが絶版のようです。

「ウォルター・デ・ラ・メア作品集」(『アリスの教母さま』『アーモンドの樹』『まぼろしの顔』の三冊)は、主に幻想文学を出版していた牧神社が版元で、価格も高いことからメインターゲットは大人だったと思われます。
 そもそもデ・ラ・メアは、朦朧法といわれる手法を用いることが多く、読者は想像力を十分に働かせないと何が起こっているのかよく分かりません(さらに『ムルガーのはるかな旅』などは独自のムルガー語が数多く登場するので巻末の辞典を参照しないと理解しにくい)。
 そのため、子どもが読む場合は、読後に大人と語り合う必要があるでしょう。

「ウォルター・デ・ラ・メア作品集」は、デ・ラ・メアの四つの短編集『The Riddle and Other Stories』『Broomsticks and Other Tales』『On the Edge』『A Beginning and Other Stories』から十二編を選び、一巻に四編ずつ収録したものです。
 凝った装幀、本文の特色印刷、函入り、そして何といっても橋本治のイラストをふんだんに収録してあるのが特徴です。

 橋本が『桃尻娘』で作家としてデビューしたのが一九七七年ですから、「ウォルター・デ・ラ・メア作品集」が刊行された当時は、駒場祭のポスターで有名になっていたとはいえ、職業としては飽くまでイラストレーターでした。「あとがき」を読むと、橋本と訳者の脇明子東京大学の同級生であり、その縁もあって「イラストを書かせて欲しい」と頼まれた、とあります。
 それを恩に着たのか、『桃尻娘』のブームの後に刊行されたハヤカワ文庫の『ムルガーのはるかな旅』(国書刊行会刊の『三匹の高貴な猿』の改題)でも橋本は多忙の最中にカバーイラストを担当しています(写真)。ま、その代わり、当時のハヤカワ文庫FTにしては珍しく口絵イラストも挿絵もありませんでしたが……。

 橋本のイラストというと横尾忠則とか林静一とかオーブリー・ビアズリーっぽいというイメージが強いのですが、器用な人なので実は何でも描けたのではないでしょうか。この本では一九七〇年代の少女漫画のようにメルヘンチックなタッチを用いています。
 デ・ラ・メアを読むと、萩尾望都竹宮恵子ら当時の少女漫画家が描いた外国を舞台にした漫画を思い浮かべてしまうのは、橋本のイラストのせいなのか、それとも、彼も同じ連想をしてイラストのタッチを決めたからなのか、今ではよく分からなくなっています。僕にとってこの本は、それくらい影響力があったわけです。

「ウォルター・デ・ラ・メア作品集」は四十五年前に出版された本ですが、部数が多かったのか現在でも入手は容易です。三冊セットで販売しているケースもあります。ただし、現時点では、なぜか『アリスの教母さま』のみAmazonでの取り扱いがありません。
 なお、同じ牧神社の『のんぶらり島』や『皇帝に捧げる乳歯』とは、判型も同じで、ともに函入りなので違和感なく並べられます。

 一九九七年には、大日本図書より『デ・ラ・メア物語集』という本が、「ウォルター・デ・ラ・メア作品集」と同じく全三巻で発行されました。両者はかなりの短編が重複しますが、イラストや装幀など書籍としての美しさは比較にならないので、「ウォルター・デ・ラ・メア作品集」を入手されることをお勧めします。

アリスの教母さま写真
」The Riddle(1903)
 祖母と暮らすことになった七人の孫。大きな樫の箱のある部屋で遊んではいけないといわれますが、彼らはその禁を破り、箱に入ります。そして、どこかへ消えてしまいました。
 祖母は何かを知っているようですが、歳を取りすぎていて目も余りみえないし、記憶も混沌としています。子どもたちの声が消え、静寂が支配する屋敷で、まどろむ老婆が印象的です。

お下げにかぎります」Pigtails, Ltd.(1925)
 裕福な老嬢のローリングスは、ある日、小さな娘を探し始めます。それが何者なのかは誰にも分からず、皆はローリングス嬢の頭がおかしくなったと思います。新聞に広告を載せ、人探しをしたところ、数多くの少女が集まります。ローリングス嬢は、そのなかから三十人を選んで引き取ることにしました。
 どんどん若返ってゆくローリングス嬢と、三十人の永遠の十歳の少女が暮らす家は、幸せに満ちています。真の安らぎは、時間も生死も超えたところにあるのかも知れません。

ルーシー」Lucy(1924)
 ジーン・エルスペットは、ふたりの姉とともに祖父の建てた石の家で暮らしています。祖父の遺産は亡くなった父が浪費してしまったため、姉妹が中年になった頃、底をついてしまいます。
 破産した途端、多くの人が姉妹から離れてゆきました。ふたりの姉はすっかり気落ちしてしまいますが、ジーン・エルスペットは七歳の頃、ルーシーという架空の友だちを作り出しており、寧ろ幸福な時間を過ごします。しかし、人も家も次第に老いてゆき……。
 人が生き、老いて死んでゆくとはどういうことなのか考えさせられます。ルーシーは死神などではなく、寿命がくるまでしっかりと生きた者を称える存在であるように思えます。

アリスの教母さま」Alice's Godmother(1925)
 アリスは母親と別れて初めて教母に会いにゆきます。教母の年齢は何と三百五十歳です。教母はアリスに「ここで私と一緒に暮らすなら、永遠の命を得る秘密を教えよう」といいますが……。
 歳をとった者なら悩むかも知れませんが、好奇心旺盛な十七歳のアリスが迷うことはありません。知恵や経験ばかりが正しい道に導いてくれるのではなく、ときには若さが真実を見抜くこともあるのです。

アーモンドの樹写真
アーモンドの樹」The Almond Tree(1909)

 ニコラスの父は、母との喧嘩が絶えず、家にも余り帰ってこなくなります。ニコラスは父に、ジェーンという若い娘を紹介されますが、それを知った母は激怒します。ニコラスは、ある雪の朝、雪に埋もれて死んでいる父をみつけます。
 物語の冒頭、大人になったニコラスが一緒にいた人物と、家政婦が幼いニコラスに伝えた秘密が最後に結びつきます。例によってデ・ラ・メアは重要なことを明確に記述しませんが、それが彼自身の経験と相まって作品に深みを齎しています。
 なお、『アリスの教母さま』の四編はすべて少女の物語ですが、『アーモンドの樹』は四編とも少年が主人公(三編はニコラス、一編は名前なし)です。

」The Bowl(1923)
 オーチャード夫人の赤子が熱を出し生死の境を彷徨っています。牧師が洗礼にきますが、聖水盤がなかったため、ニコラスは気になっていた銀の鉢を使うことを提案します。
 子どもというのは、大人にない超自然的な能力と、気持ちや意図を上手く伝えられないもどかしさを併せ持った存在なのかも知れません。

姫君」The Princess(1952)
 打ち捨てられたような屋敷に忍び込んだ少年は、部屋に掛かっていた東洋の姫のような肖像画に心を奪われます。そこで、次にスノードロップの花束を持って屋敷にゆきますが、そこで老婆に出会います。
 デ・ラ・メアの読者であれば、少女も老婆も同じ時空に生きていることを知っています。

はじまり」A Beginning(1955)
 かつて住んでいた屋敷を訪れたニコラスは、そこでフローレンスという女性と出会います。一方、彼にはファニーという恋人がいて……。
 モラトリアム期間を過ぎ、真の人生の「はじまり」に立つ青年の心情を瑞々しく描いています。「アーモンドの樹」の続編というべき作品ですが、書かれたのはデ・ラ・メアの最晩年です。少女も老婆も同じ時空に生きていると書きましたけれど、デ・ラ・メア自身もまた、死の間際まで青年の気持ちを忘れなかったのではないでしょうか。

まぼろしの顔写真
ミス・ジマイマ」Miss Jemima(1923)

 老婆が孫娘に昔話をします。父が亡くなり、病弱な母と離れて伯父の家で暮らすことになった少女スーザン。その家にはミス・ジマイマという家政婦がいて、スーザンに厳しく当たります。ある日、叔父が亡くなり、スーザンは家出をすることにします。
 居場所のない孤独な少女が妖精をみるファンタジーはよくありますが、デ・ラ・メアの手にかかると幻想と現実の狭間が曖昧になり、清らかな鐘の音のような余韻が残ります。

盗人」The Thief(1925)
 昔々、ロンドンに大盗賊がいました。六十歳に近くなり、彼は結婚して幸せな家庭を築こうとしますが、女性には悉く拒否されます。それどころか、友だちひとりおらず、捕まるのが怖くて昼間は外出もできない惨めな自分に気づきます。ある日、親切にした盲に「魔法の卵の匂いがする」といわれ、必死に探しますが……。
 悪事を重ねた盗人が幸せになれたとはいえませんが、少なくともひとりには幸せを齎し、その人の心のなかに自分が生きた証を残すことができたのではないでしょうか。

ピクニック」The Picnic(1930)
 ベテラン店員のカーティス嬢は一日の終わりに、五年前の避暑地への旅行のことをふと思い出します。窓辺にいた青年がカーティス嬢に微笑みを向け、彼に心惹かれた彼女はその日から同じ場所で待ち続けます。
 最後に意外な事実が明らかになります。これによって、寂しい老嬢の、恋とすらいえない思い出が、何ともいえない複雑な後味となって残るのです。

まぼろしの顔」The Face(1950)
 四角い顔に劣等感を抱えているサラはある夜、子どもの頃からよく訪れている池にゆき、水面に顔を写そうとして池に落ちてしまいます。そのとき、彼女は幻の顔をみます。翌日、婚約者のジョージにその話をしますが……。
 容姿のコンプレックスは、恋人がいる人の方が強いかも知れません。果たして愛する人は、理想の自分と現実の自分のどちらをみつめているのでしょうか。

『アリスの教母さま』ウォルター・デ・ラ・メア作品集1、脇明子訳、牧神社、一九七六
『アーモンドの樹』ウォルター・デ・ラ・メア作品集2、脇明子訳、牧神社、一九七六
まぼろしの顔』ウォルター・デ・ラ・メア作品集3、脇明子訳、牧神社、一九七六

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