Traumnovelle(1926)Arthur Schnitzler
森鷗外は、同じ年齢で、ともに医師でもあるオーストリアの作家アルトゥル・シュニッツラーに共感し、以下の七編を翻訳しています。
「短劔を持ちたる女」
「アンドレアス・タアマイエルが遺書」
「猛者」
「耶蘇降誕祭の買入」
『みれん』
『戀愛三昧』
「一人者の死」
シュニッツラーは、鷗外が最も多く翻訳した作家ですが、『Traumnovelle』には手をつけていません。夏目漱石の『夢十夜』を連想させるから……では勿論なく、この小説が発表されたとき、鷗外はすでに鬼籍に入っていたためです。
その後、『Traumnovelle』は五種類の邦訳が刊行されましたが、不思議なことにそのすべてが異なる邦題です〔『夢小説』『夢ものがたり』『夢がたり』『夢奇譚』『ドリーム・ノヴェル(※1)』〕。
僕が持っているのは文春文庫の『夢奇譚』(写真)ですが、ここでは、原題の意味に近く、人口に膾炙している『夢小説』を採用したいと思います。
勿論、このタイトルには、ジークムント・フロイトの『夢判断』Die Traumdeutung(1900)が響いているのは間違いありません。シュニッツラーはフロイトと仲がよく、彼の影響を強く受けていたからです。
二十世紀初頭のウィーン。総合病院に勤めながら開業もしている三十五歳の医師フリードリーンには、妻と六歳の娘がいます。
担当患者が亡くなった夜、フリードリーンはすぐに家へ帰らず、ウィーンの街をぶらつきます。あるカフェで昔馴染みのピアニストであるナハティガルに会い、彼から不思議な話を仕入れました。
ナハティガルは深夜に秘密の仮面舞踏会に連れてゆかれ、目隠しをしてピアノを弾いているというのです。興味を惹かれたフリードリーンは、合言葉を教わり、貸衣装屋で変装をし、辻馬車で屋敷に向かいます。
会場には仮面で顔を隠した全裸の女性が大勢いましたが、そのひとりがフリードリーンに近づくと、すぐに帰れと警告します。拒否したフリードリーンでしたが、余所者であることがばれ、メンバーに糾弾されます。窮地を救ってくれたのは先ほどの女性でした。
しかし、翌日、ホテルで自殺した女性が発見されます。フリードリーンは彼女こそが、昨夜の女性だと考えます。
まず、フリードリーンのアバンチュールが夢なのか、それとも現実なのかという疑問が浮かびますが、これは妄想や白日夢などを含む広い意味での「夢」であると思います。
その証拠のひとつが、秘密の会合で問われる「デンマーク」という合言葉です(※2)。
デンマークとは、フリードリーンたちが昨年の夏に避暑に出かけた国のことです。そこで妻のアルベルティーネは軍人に出会い、今も性的な妄想を抱いていることを告白しました。
フリードリーンは妻に嫉妬するとともに、その仕返しに自らも複数の女性と関係しようとします。当然、合言葉の「デンマーク」は、彼が無意識に設定したものでしょう。
フロイトによると、夢は抑圧された願望の充足とのことです。
社会的地位の高い医師であり、よき夫であり父でもあるフリードリーンは、エロティックな欲望を内に秘めており、妻の精神的な浮気をきっかけに、それらが夢となって現れたとも考えられます。
しかし、フリードリーンは、自殺した女性に会いに霊安室にゆく途中、「いまようやく、フリードリーンは身震いとともに思い知った。おれが捜している女、おれの目交にちらついている女は、終始ずっと妻だったのだ」と気づきます。
フリードリーンが浮気をしなかったのは妻だけを愛していたからです。
そして、一夜の冒険をすべて妻に打ち明け、許しを請います。妻も夫を責めず、雨降って地固まるで夫婦の絆は以前より強まり、めでたしめでたし……なんて、単純な話ではないと僕は思います。
したがって、上記の解釈は正しいとはいえません。
フリードリーンが夢をみるのは、明らかな現実逃避です。彼が何から逃げているかというと、勿論、妻に決まっています。出世街道から外れてしまったフリードリーンは、ジェイムズ・サーバーの主人公と同様、妻や娘を恐れ、家庭に居場所のない、か弱い男性なのです。
家に帰りたくなくて街を彷徨くフリードリーンに、旬を過ぎた顧問官の娘、陽気な娼婦、貸衣装屋の淫乱な娘、彼を救ってくれた謎の美女という様々なタイプの女性が近寄ってきます。にもかかわらず、その誰とも性的関係を築かなかったのは妻を裏切りたくなかったからではなく、女全般にうんざりしていたからでしょう。
フロイトが絡むと、どうしても性的な欲求に結びつけてしまいがちですが、『夢小説』はその逆で、「せめて夢のなかくらいは女性とセックスしたくない」という切実な男の悩みを描いた作品という気がするのです。
※1:佐藤晃一訳の『夢ものがたり』をタイトルを変えて使用している。
※2:『夢小説』を原作にしたスタンリー・キューブリック監督の映画『アイズワイドシャット』では、合言葉がベートーベンのオペラである『フィデリオ』に変更されていた。
『夢奇譚』池田香代子訳、文春文庫、一九九九