読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『お喋りな宝石』ドニ・ディドロ

Les Bijoux indiscrets(1748)Denis Diderot

 十八世紀フランスの哲学者でもあり、作家でもあるドニ・ディドロの処女長編『お喋りな宝石』(写真)は、過去に何度も邦訳されています。
 しかし、作者の死後に新たな章(16、18、19章)が追加された「1798年版」(※)を読めるのは、恐らく大雅洞版のみです(原本は、J・L・J・ブリエール版のディドロ全集)。

 河出書房の『世界風流文学全集』は16、18、19、47章がカットされていますし、操書房の『不謹慎な宝石』も47、53、54章が削除されています。
 有光書房の函入り、アンカットの豪華版は挿絵が主体のため、抄訳となっています。(戦前に國際文獻刊行會から刊行された『不謹慎な宝石』は、全訳なのか抄訳なのか、原本が何なのか、不明)。

 こう書くと「後から追加された章はともかく、やたらとカットされている47章って何なんだよ」と思いませんか?
 余りの卑猥さ故、検閲を逃れるため、フランス語に加え、英語、ラテン語、イタリア語、フランス語とスペイン語の混合を駆使して書かれた47章の内容を知りたければ、大雅洞版を買うしかありません。

 大雅洞版は一九五一年五月三〇日に「四百部限定」で刊行されましたが、同年九月三〇日には「壹千部限定」で再発行されました(限定の意味がほとんどない……)。さらに「百部限定」の特装版も存在します。
 どれも古書価格に大して違いはないので、お好きなものを購入されるとよいと思います。

『お喋りな宝石』は、当時のフランス宮廷をエロティックに諷刺した小説です。
 そのため、舞台や登場人物にはモデルがあります。コンゴ国(フランス)、バンザ(パリ)、マンゴギュル(ルイ十五世)、エルグブゼド(ルイ十四世)、ミルゾーザ(ポンパドール夫人)、マニモンバンダ(マリー・レクザンスカ)、セリム(ルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシ)、シルシノ(アイザック・ニュートン)、オリブリ(ルネ・デカルト)などなど。
 当然、こんなものを出版したらお咎めがあるわけで、ディドロは「モノモタバ」という変名を用いて『お喋りな宝石』を出版しました。後に投獄されたときも、自分が作者であることを認めなかったそうです。

 コンゴ国の若き王マンゴギュルは、退屈しのぎに宮中の女性たちの色事を聞いたらどうかと愛妾のミルゾーザに勧められます。しかし、女性たちは口が裂けても話してくれません。
 そこで、王はキュキュファ仙人に会いにゆきます。キュキュファ仙人は、不思議な指輪を王に渡しました。これを使えば、女性の宝石(性器)が本音を喋り出すのです。
 さらに、この指輪は、嵌めている者の姿を消し、好きな場所に瞬間移動させることもできるという優れもの。かくして、マンゴギュルは気になった女性の艶話を好きなだけ蒐集することができるようになりました。

 フランスの大衆芸術には、コキュ(寝取られた男)がしばしば登場しますが、『お喋りな宝石』も「貞淑だと思っていた妻あるいは恋人が、実はとんでもない淫乱で、夫や彼氏は猛烈に嫉妬する。読者はそれを読んで欲情を掻き立てられる」というパターンが多い。
 これはフランス人にとって鉄板の艶笑譚なのでしょうか。

 面白いのは、最後から三つめの章です。
 浮気女ばかりにうんざりしたマンゴギュルは到頭、ひとりの男を一途に思い続ける女性をみつけます。そして、大絶賛するのですが、彼女は既婚者で、愛しているのは夫ではない男性なのです。それでも貞淑や美徳とされるのですから、現代とは感覚が大分ズレていることが分かります。

『お喋りな宝石』は性的遍歴だけで成り立っているわけではなく、同じ人物の口と性器がいい争いをしたり、オペラ座で三十人の歌姫の性器が一斉に歌い出したりといった愉快な趣向が凝らしてあります。
 宝石の告白も、性的なものだけでなく、国家の権威を失墜し兼ねないものだったり、当時の貴族、社会制度、流行、慣習などを諷刺するものだったりと、バラエティに富んでおり、読者を飽きさせません。
 ターゲットも上流階級から庶民までと幅広く、正に「女性器からみた歴史・文化・風俗」といえるでしょう。

 他方、終盤は、陸軍長官セリムのヰタセクスアリスが中心になるのですが、女性は嘘をつくことのできない宝石を持っているのに対して、男の告白はいくらでも偽ることができるため、自己顕示欲や自己保身の臭いがプンプンします。
 しかし、それは巧妙な伏線です。
 セリムは「美しい容姿と軽妙な機智とによつて、若い時代には大勢の女からちやほやされ、老年に至つてはまた、義務と快楽とをうまく調和させて、国家に捧げた奉仕によつて自分の生涯を輝かしたが故に、多くの人から尊敬されるやうな人物」で、多くの人妻と浮名を流してきました。そのセリムが、現在進行形で愛する女の不貞を疑い、宝石の告白を聞き、プライドをズタズタにされる章で読者は大笑いするわけです。
 ちなみに、マンゴギュルは、愛人ミルゾーザへは不思議な指輪を用いないと約束しましたが、最終章でついに使用してしまいます。

 学問の世界でも、喋る宝石は注目の的となります。
 ディドロは、当時、アントワーヌ・ガランによってフランス語に翻訳されていた『千夜一夜物語』に影響されて『お喋りな宝石』を書いたのでしょうが、不思議な道具を単なるファンタジーとして処理せず、政治、宗教、科学、芸術、哲学といった分野の専門家を巻き込み、様々な視点から論じさせます。
 特に、シルシノ(ニュートン)とオリブリ(デカルト)がそれぞれの派閥を作り、喧々諤々の議論をする場面は、真面目くさっている分だけ笑いも大きくなります。

 さらに、ディドロの筆は宝石から離れ、文学や哲学を論じたり、夢のメカニズムを解説したり、霊魂が人間のどこに宿るかについて登場人物に議論させたり、流行やお洒落の奇妙さに呆れたりします。この部分はディドロの真骨頂であり、三百年も前の作品とは思えないほど読み応えがあります。
 そして、これが単なる艶笑譚を超え、今日まで多くの読者を獲得している理由でしょう。何しろゲーテアンドレ・ジイドらの愛読書でもあったそうですから。

 さて、肝腎の47章はというと、才気もなく不細工な女性が贅沢な暮らしをしていることを不思議に思ったマンゴギュルが宝石に話をさせると、各国の男の慰みものになった過去が明らかになるというものです。
 宝石が複数の言語で喋るのは検閲を逃れるためでしょうが、それだけだと癪なので、「女性がヨーロッパ各地を渡り歩いたから」という設定を持ち込んだところが流石です。

 実をいうと、露骨な性描写があるのはこの章だけですし、それでさえ現代の基準では大してエロくもないので、『お喋りな宝石』でディドロの思想や哲学に安心して触れてください。

※:16章はマンゴギュルの夢で、18、19章は架空の旅行記である。どれもボリュームがあって面白い。しかし、17章と20章が口籠の話で続いているため、その間に18、19章が挟まるのは違和感がある。そう考えて、初版では削られたのであろうか。

『お喋りな宝石』新庄嘉章訳、大雅洞、一九五一

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