読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『山彦の家』T・F・ポイス

T. F. Powys

 T・F・ポイスの『山彦の家』(写真)は、昭和十年(一九三五年)に『ポイス短篇選集』として健文社より刊行された短編集の再編集版です。どちらも収録作品は同じです(全二十八編)。
『山彦の家』は、『The House With the Echo』『Fables』『The White Paternoster, and Other Stories』などから集められた日本オリジナルの短編集です。

 各編は、短編というよりショートショートと呼んだ方がよいくらいの長さのものが多いのが特徴です。
 ただし、舞台はすべて田舎の村なので、そこで暮らす人々をスケッチした連作短編のようでもあります。シャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ・オハイオ』のような感じといえるでしょうか。

 ポイスは十九世紀の作家というイメージがありますが、デビューは第一世界大戦後です。それなのに、邦訳はこの本のみ。
 そもそも彼が作家になったのは四十八歳のときです。兄や弟も文学者ですし、若い頃から創作に励んでいたにもかかわらずデビューが遅れた理由、そして邦訳が一冊しかない理由は、その一風変わった作風にあると思います。

 それについては、後ほど述べるとして、どの出版社にも相手にされなかったポイスの小説を見出したのは、『狐になった奥様』で知られるディヴィッド・ガーネットでした。
 ポイスの作品はファンタジーと呼んでもよいくらい現実離れしており、ガーネットはそこに惹かれたのかも知れません。

『山彦の家』を読む限り、ポイスは田舎の暮らしを好んで描いていますが、明るくのどかなイメージとはかけ離れています。そこに住むのは貧しく粗野で無知、なおかつ風変わりな人々で、夢も向上心もなく人生を無為に過ごしているようにみえます。
 さらに、彼らは余り感情を顕にしません。そのせいか、ほとんどの物語は悲惨な結末に至るものの、悲劇の印象は薄く、何となくとぼけた味わいが残ります。

 常軌を逸しているとしか思えないほど愚かな人々を登場させるといえば、『タバコ・ロード』のアースキン・コールドウェルも得意としています。
 そんな作家が英国と米国に同時期に存在したのは興味深いですが、ふたりとも今ではほとんど読まれなくなってしまいました。それは彼らの文学が、リアリズムからかけ離れてしまったからかも知れません。
 勿論、それが正しくないなどとは誰にもいえませんので、ぜひ試してもらいたいと思います。

『山彦の家』の口絵には、ガーネット夫人の木版画が掲載されています。これはガーネットの最初の夫人であるレイチェル・マーシャルのものです。

山彦の家」The House With the Echo
 泥小舎にひとりきりで住む「わたし」。叔父がときたま送ってくれる数シリングが収入のすべてです。「わたし」は、唯一の友だちであるダヴさん家族の家をときどき訪ねます。ダヴさんは、ある日、「わたし」に山彦を紹介してくれました。
 いやあ、凄いものを読んでしまいました……。孤独な奇人の生活が刺さると思っていたら、奇妙な味のような、つげ義春の世界のような不思議な感覚が襲ってきて、ショートショートとしてのオチまでついてきます。必読の傑作です。

白い風見」The White Weathercock
 恋人と離れ、叔父の家で働くことになったメイ。嫌な男に見初められ、結婚の手筈が整えられます。それを聞いた恋人が引っ越してきますが……。
 あらすじだけ抜き出すと、恋人を奪い返すという素敵な短編なのですが、若いふたりの感情や、触れ合うシーンがほとんど描かれないため、モヤモヤが残ります。勿論、それがポイスらしさでもあります。

地主ダフィ
 屋敷を買って地主となったダフィは、貧乏人を見下す男でした。悪魔の幻覚がみえるクーティ爺さんは、癲狂院に入れられてしまいます。
 嫌な男が村人から嫌われる様子を全く描写せず、淡々とオチにつなげるのがユニークです。

懐しき獄窓
 ターヴィは存在感の薄い男で、村人にほとんど相手にされていません。ある日、無実の罪で投獄され、出所した途端、誰もがターヴィの話を聞きたがります。やがて……。
 ポイスの短編は、理由や感情や説明が抜けているところが魅力です。罪を着せられても抗議すらしないし、刑務所のなかがどうして素晴らしいのかも説明されません。

孤独な女」The Lonely Lady
 村人のために何かをしたいと考えていたキャンディは、墓地が一杯になったことを知り、その隣に新しい墓地を作りました。ところが……。
 悪くはないのですが、ポイスにしては分かりやすく、驚きはありません。

セヴン
 居酒屋に客を誘う牝犬セヴンと、百姓のトップは仲よしでした。あるとき、トップは無謀にも耕作試合に出場します。
 冒頭に試合の結果を明らかにしてしまい、その後にそこに至る過程を描いているのですが、ちゃんとつながっていない気がする……。

花嫁になつてまいりました」I Came as a Bride
「お嫁においで」と地主が冗談でいった科白を真に受け、貧しい少女が遠路はるばる歩いてきます。しかし、地主には妻がいて……。
 とんでもなく可哀想な話なのに、悲惨さを感じさせないのはポイスの作風に依るのでしょう。幽霊になっても、どことなくのんびりしています。

赤い荷馬車
 フィリスは、自分を好きなふたりの若者のうち、アレンと結婚しようと考えていました。しかし、彼はライバルのダックとの喧嘩に破れ、「死者の樹」と呼ばれる木に首を括ってしまいます。
 若者三人が余りに短絡的で、それ故に不幸を招いているようにみえます。

風車
 仕事をクビになったマイクは、兄のいる「上の国」にゆくため、ひたすら歩き続けます。それがどこだか分かりませんが、風車があることだけは確かです。
 風車は手を差し伸べる人、上の国は天国なのでしょうか。

二つの角笛
 医師のスノウボールは、若い娘を妻にしました。妻は、かつて恋心を抱いた青年に会うため、夜中に家を出ますが……。
 数頁のなかに様々な要素が盛り込まれていて混乱しますが、最後は綺麗にまとめています。ただし、僅か数ペンスの雀の剥製を守るため、スイスまでいって角笛を買い求め、泥棒が入ったらそれを吹き鳴らして村人を叩き起こすというのが何とも……。

気ちがい
 ガッピー夫人から、癲狂院にいる美女の話を聞かされた独身の中年男キーツは、彼女のことを考えすぎて、自らも癲狂院に収容されることになりました。
 一度も会ったことがなく、精神を病んだ者同士の、ある意味、究極の恋愛は、やはり悲劇に終わります。

蝮の徒輩
 墓守のトラギンは、老婆に「死んだ方がよい」といったため、老婆は本当に死んでしまいます。それを非難した農夫と鍛冶屋に仕返しするため、病気の牧師に代わって説教をします。
 多少のトラブルは、居酒屋で解決されるものです。

貴重な時の浪費
 家屋差配人のラニングが大好きなキノコを採りにゆくと、すでに採られた後で、彼は代わりに花を摘んで帰ってきます。
 これを時間の浪費と思ってしまうと、幸福な人生は送れませんね。

細い道
 ポウプル夫妻はいつも大声で喧嘩をしていました。喧嘩の原因は、どちらの道を通るかで意見が合わないことでした。
 実は互いを思い遣っているのですが、読者がそれに気づいた瞬間、悲惨な結末が訪れます。

マレットさんと白鳥(寓話)
 村一番の善人マレットは、皆に愛されています。ある日、彼は二羽の白鳥が頭上を飛んでゆくのをみました。その瞬間、マレットは淫奔な娘ベティを心から愛していることに気づきます。
 二羽の白鳥が何を表しているのか、何の教訓なのか分かりません……。品行方正な人が突然、悪女に惹かれるということなのでしょうか。

悪魔」The Devil
 妻を亡くしたホールは、礼拝堂を所有しました。しかし、牧師は悪魔を崇拝しています。ある日、ホールはストーブを焚いた地下室に閉じ込められます。悪魔の仕業と思いきや……。
 おかしな大人たちに囲まれていると、子どもはまともになります。

フェイシィさん
 いつもニコニコのベイリーは誰からも相手にされず、不幸の塊のフェイシィは大人気です。ところが、ある日を境にフェイシィが村に姿をみせなくなります。
 フェイシィはどうやら不幸な男を演じていたようですが、それも「アレ」が手に入ってしまえば必要なくなります。

余地がない
 墓守のトラギンは仕事に誇りを持っています。しかし、新しくやってきた副牧師は、墓をきちんと整列させなければいけないといいます。それに対して、トラギンは、まだ余地があると答えますが……。
 事情も考慮せず自分のやり方を押しつける人は嫌われますが、トラギンも自分の分のスペースを残しておかなかったのは痛いミスでした。

海草と郭公時計」The Seaweed and the Cuckoo-Clock
 ヘスターは、似た者同士が結婚することに意味はないと考えていました。男と女も似ているので、自分は一生結婚しないつもりです。その代わり、家中のものを結婚させてあげましたが、時計だけには相手がいないことに気づき、外へ探しにゆきます。
 夫である海の乱暴な仕打ちに悩まされていた海草が、時計と再婚するのですが、やはり結婚は似たものの方が上手くゆくようです。

バケツと綱」The Bucket and the Rope
 デンディが首を括った綱と足場にしたバケツが、彼がなぜ死んだのかを議論します。
 読者には自死の理由がすぐ分かりますが、バケツや綱にとっては永遠の謎です。

焼き土龍
 ミークは土龍の皮を売って生計を立てています。彼の妻は土龍の皮を剥く名人ですが、癌になり仕事ができません。ミークは、病気には焼いた土龍が効くと信じていて……。
 ミークは善人ですが、不器用なので、妻に気持ちが伝わりません。

第二のゴダイヴァ
 副牧師のディペンは、村人のために広場を開放して欲しいとブルマンに頼みます。ブルマンは自分の若い妻ゴダイヴァが裸でブランコに乗ったら、望みを叶えてやるといいます。
 夫の圧政に抵抗して、裸で馬に乗って行進したゴダイヴァ夫人の伝説を下敷きにしています。けれど、こちらのゴダイヴァは強烈で、ピーピングトムなんて頭をかち割られてしまいます。

敵同志の牧師」The Rival Pastors
 ふたつの教区の境にあるトップ家の娘リリーを、宗派の異なるふたりの牧師が奪い合います。
 天真爛漫なリリーは、牧師たちを虜にしますが、説教よりもお菓子や小物で釣るのがおかしい。そんな彼らが抱き合って泣くラストシーンは胸に染みます。なお、「セヴン」のトップ家と家族構成や名前が同じですが、同一人物なのかは分かりません。

家政婦の娘
 真面目で頑固な農夫のティフィンは、妻を亡くしたため、家政婦を雇うことにします。家政婦には若い娘がいて、ふたりとも農業に詳しいのですが……。
 ティフィンは嘘を許すことができませんが、敢えて騙された方がよい場合もあります。

花嫁
 向かいの家に住む若い娘ローラの気を引くために、高価な家具を買い入れる農夫スコーア。ふたりは結婚しますが、彼が花嫁よりも家具を大事にしていることをローラは知っています。
 ほとんど喋らず、ボーッとしているようにみえたローラの行動に驚かされます。

われなお何を欠くか?
 母親が死んでひとりになったピノックは、美しい農場を手に入れるため、歳をとった夫人と結婚します。その農場が抵当に入れられていることを知ると、必死に働き発展させます。やがて、自分が欲していたのは若い娘だと気づき……。
 常に自分に足りないものを探す男の物語です。しかし、それが何かは最後まで分かりません。人生とはそういうものだと思わないと、絶望に至る可能性があります。

トラアさんの新調服
 友だちが欲しいトラアは、靴屋のトウトに酒を奢ったり、自分が死んだら服をあげると約束したりします。しかし、トウトは、トラアに服を新調させ、風邪を引くと布団まで剥ぎ取り、さらには……。
 金蔓としか思われてなくとも、本人が満足していれば幸せなのでしょうか。

野原の鍵」The Key of the Field
 地主から美しい野原の鍵を預かっているティディ。それが面白くないトロット一家は様々な攻撃を仕掛けてきます。
 野原の鍵が欲しいというだけで、トロット一家は鬼畜の如くティディを攻め立てます。姪のリリーを二度も犯した上、出産の際に死に至らしめ、近親相姦といってティディを訴え、鍵を奪い、悪い噂を流し……といった具合。それでも、ポイスの世界では、悪人がますます栄え、善人は恨み言もいわず朽ちてゆくのです。

『山彦の家』龍口直太郎訳、筑摩書房、一九五三

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