読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『唇からナイフ』『クウェート大作戦』ピーター・オドンネル

Modesty Blaise(1965)/Sabre-Tooth(1966)Peter O'Donnell

 ピーター・オドンネルの「モデスティ・ブレイズ」シリーズは、小説より先に漫画が刊行され、人気を博しました(作画は、ジム・ホールダウェイ。彼の死後は、エンリケ・バディア・ロメロに交代した)。
 クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』でジョン・トラボルタがトイレで読んでいたのがそれです。

 映画化は二度されています(『唇からナイフ』と『マイ・ネーム・イズ・モデスティ』)。
 特に『唇からナイフ』(※)の方は有名で、モデスティといえば主演のモニカ・ヴィッティを思い浮かべる人が多いと思います。

「映画化」と書きましたが、実をいうと小説の一作目は、映画のノベライズです。二作目以降はオドンネルのオリジナルですが、一作目については彼のアイディアはほとんどないといわれています。
 小説版は、短編集も含め十三冊が刊行されましたが、残念ながら邦訳されたのは最初の二冊のみです。

 主人公のモデスティ・ブレイズは、二十六歳の美女。
 第二次世界大戦後、名前も国籍も不明の孤児だった彼女はギリシャの難民キャンプから抜け出します。その後、タンジールの犯罪結社のボスにまで上り詰めるのです。現在は財産を築き、優雅な暮らしをしています。イギリス人と偽装結婚をし、英国の国籍も手に入れました。
 彼女の武器は金剛杖です。といっても、修験者が持つようなものではなく、伸縮するダンベルのようなものです。また、射撃の名手でもあり、ときには悩殺戦法も用います。

 相棒となるのは、ウィリアム・ガーヴィンという、三十四歳の大男です。
 刑務所を出たり入ったりと荒れた生活をしていたガーヴィンの生活は、モデスティと出会い、変わりました。ふたりの間に恋愛感情はなく、ガーヴィンはモデスティを「プリンセス」と呼びます。ガーヴィンの主な武器は投げナイフです。
 容姿や経歴とは裏腹に、博識で記憶力抜群のガーヴィンは、頭脳の面でもモデスティを支えます。

唇からナイフ写真
 犯罪から足を洗ったモデスティのもとに、英国の秘密情報部のジェラルド・タラントが訪ねてきます。某国の革命に関与し、処刑を待つガーヴィンの身柄と引き換えに、ある依頼をしたいというのです。
 それはアラブの小国の教主に船でダイヤモンドを送るのですが、それを狙う組織の情報を手に入れろというものでした。
 タラントに頼らずガーヴィンを救出したものの、教主に恩義のあったモデスティは依頼を引き受けることにします。

 モデスティは、ジェイムズ・ボンドと比較されることが多いのですが、両者の最大の相違は性別ではなく、組織に属しているか否かです。
 スパイ小説の面白さでもあり、欠点でもあるのが、本人の意志によらず組織の命令で動くという設定です。それによって、無茶な依頼を引き受けさせられる、生死を組織に預ける、敵のスパイと恋に落ちるといった難題や葛藤が生まれ、物語に厚みを加えます。

 一方、命令に従うというのは、自由度が低く、イメージ的にもよろしくありません。スパイがサラリーマンの悲哀を感じさせてしまったら、読者は白けてしまうからです。

 その点、モデスティは、犯罪組織の首領という過去を持ち、現在は自由気ままに生きる女性です。
 ボンドと異なり、私生活を包み隠さずみせてくれますし、恋愛にもセックスにも制限はありません。
 何不自由なく暮らす美女が、自分の意志で危険な冒険に繰り出す。といって、無責任に任務を放り出したりせず、プロフェッショナルとして最善の結果を得るという点が格好いいのです。

 実際、モデスティはハガンという恋人がいて、任務の最中にもベッドインするのですが、実は彼よりもガーヴィンを信用しており、また情事よりも仕事を優先します。
 冷酷なだけでも、恋に溺れてしまっても魅力が半減しますが、モデスティは情熱と冷静の間で絶妙なバランスを保っており、それがキャラクターとしての強さにつながっています。

 モデスティは元々犯罪者なので、秘密情報部や教主を裏切り、ダイヤモンドをかっさらってしまうのではないかという疑惑を読者は常に抱かせることで、敵と対峙するのとは別の緊張感が生まれ、スパイ小説としての完成度も高い。
 やや展開が遅いのが難点ですが、航行する船からダイヤモンドを盗む大胆な方法も面白いし、敵方に配置された殺人狂のフォーザギル夫人という、ある意味モデスティ以上に強烈な個性を有した人物もユニークなので、退屈せずに読めると思います。

クウェート大作戦写真
 現代のジンギスカンと呼ばれるカーツは、様々な国籍や経歴を持つ四百人の傭兵を配下に収めています。彼は、自由クウェートの総裁エス・サバー・ソロンと手を組み、クウェートにクーデターを起こすことを企てているのです。
 モデスティは謎の組織に潜入するため、わざと賭けに負けたり、絵画を盗み出したりします。一方、カーツも能力のある指導者を求めており、モデスティとガーヴィンに興味を示します。そして、ガーヴィンが養育している少女リュシールを誘拐し、無理矢理モデスティらを仲間に加えようとします。
 アフガニスタンの山地にある秘密基地に乗り込んだモデスティとガーヴィンは、リュシールを救い出し、作戦を壊滅させる機会を虎視眈々と狙いますが……。

 前作にも増して、個性的なキャラクターが登場します。
 可愛らしい少女なのにスリの名人であるリュシールや、インドシナ出身のハウスボーイであるウェングなども印象的ですが、やはり敵方に変なのが揃っています。
 鉄の掟で強者どもを支配するモンゴル人のカーツ、その右腕であるリープマン、棒でつながれ二人一組で戦う双子、モデスティの初めての男であるデルガドーなどなど。

 カーツは「剣歯虎作戦」と名づけた軍事クーデターのための訓練をモデスティたちに任せるら際して、反乱を起こさないようリュシールを誘拐します。それだけならまだしも、問題は少女がどこか遠くにいるらしいことです(「実は違う」)。
 脱出不可能な秘密基地にいながら監禁場所を突き止め、リュシールを救い出すという、不可能なミッションを成し遂げるのが本作の読みどころです。

 そこについては、前作より確実にパワーアップしており、文句なく楽しめるといっておきます。
 そんなことより気になるのが、モデスティの捨て身です。彼女は任務のためなら、惜しげもなく裸体を晒すどころか、大勢の男たちに陵辱されることすら厭わないのです。
 これは読者サービスというより、性の安売りにみえてしまいます。やはり、チラリズム程度のお色気にして、奥の手は使わず、活躍する様を描いて欲しかったです。

 とはいえ、性被害にあったモデスティが心的外傷後ストレス障害に陥らないよう心を強く持っている様子もみられるので、これは性暴力に対する作者の主張なのかも知れません。
 そうだとしても、スパイ小説でやることではない気もしますが……。

※:原題は、映画も小説も同じ『Modesty Blaise』。

『唇からナイフ −淑女スパイ モデスティ・ブレイズ』榊原晃三訳、講談社、一九六六
クウェート大作戦 −淑女スパイ モデスティ・ブレイズ』榊原晃三訳、講談社、一九六六


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