読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『異郷の闇』『殺るときは殺る』ヤーコプ・アルユーニ

Happy Birthday, Türke!(1985)/Ein Mann, ein Mord(1991)Jakob Arjouni

 ヤーコプ・アルユーニは、ドイツのミステリー作家で、トルコ人探偵カヤンカヤを主人公としたシリーズで知られています。
 トルコ人を主役にしたせいか、アルユーニは長い間、「トルコ移民の息子としてランクフルトで生まれた」と信じられていました。しかし、実際は、ドイツの劇作家ハンス・ギュンター・ミッシェルセンの息子です。アルユーニという変わった姓はペンネームで、モロッコ人の妻の姓を使用したそうです。
 日本で翻訳されている『異郷の闇』(写真)と『殺るときは殺る』(写真)の訳者による解説も、「アルユーニはトルコ移民二世」という誤った情報に基づいて書かれています。

 小説を売るために、本人ないし出版社が意図的にトルコ人を装ったような気がしますが、そうしたくなる気持ちも分からなくはありません。
 ドイツにおけるトルコ移民は、今なお解決されない大きな問題のひとつです。それを扱ったハードボイルド小説を書けば売れるかも知れない。その際、作者がドイツ人よりもトルコ移民の方がより注目されるだろう、と考えたのではないでしょうか(これについては後述)。

 なお、二〇一七年に製作された『女は二度決断する』という映画も、正にそれがテーマになっていました。
 そういう意味では、「カヤンカヤ」シリーズは全く古びていないといえます。

 ドイツは第二次世界大戦後の復興期に労働力を補うため、海外から移民を積極的に受け入れてきました。なかでも最も多かったのがトルコで、外国人人口の四分の一を占めます。
 ドイツで仕事を確保したトルコ人は、家族を呼び寄せたり、結婚したりして定住してゆきます。しかし、ドイツ政府は移民に対して十分な政策を行なってきませんでした。それによって、ドイツ語の習得率の低さ、宗教的な対立、人種差別といった問題が生まれました。

 主人公ケマル・カヤンカヤは生粋のトルコ人で、母親の死後、父親とふたりでフランクフルトにやってきました。幼い頃、ドイツにきたため、トルコ語が話せません。父も事故死し、カヤンカヤは施設に送られます。その後、ドイツ人の養子となり、ドイツ国籍を手に入れます。
 大学を中退し、ブラブラした後、私立探偵のライセンスを取得し、探偵事務所を開設します。

 カヤンカヤは、見た目がトルコ人であるがために、あちこちで差別され、馬鹿にされ、捜査がスムーズに進みません。その上、体が小さい癖に喧嘩が好きなので、怪我ばかりしている。女にももてないので、色っぽいシーンは皆無です。要するに、フィリップ・マーロウのように格好よくはいかないのです。
 勿論、それがこのシリーズの肝ではあるのですが、作者がトルコ移民なのか、生粋のドイツ人なのかで作品の印象が大分違ってきます。当然、前者の方が読者も納得しやすくなります。いわば被差別者の苦しみを差別する側が描いているわけで、何となく居心地が悪い(※)。
 尤も、アルユーニは、飽くまでエンターテインメントとして、トルコ人探偵が主役のハードボイルド小説を書こうとしたかも知れません。それであれば、サクッと読めて楽しめる作品に仕上がっていると思います。

異郷の闇
 カヤンカヤの探偵事務所に、トルコ人の女性イルター・ハムルが訪ねてきます。数日前、夫のアーメドが刺殺されたが、犯人が分からない。警察はトルコ人が殺されても綿密な捜査をしてくれないため、探偵を頼るしかないといいます。

「カヤンカヤ」シリーズの一作目で、一九九二年にドーリス・デリエ監督によって映画化されています(日本未公開)。

 ハードボイルドとは、文学的には「心理描写を極力減らした客観的な一人称」を用いて書かれた小説を指しますが、一般的には「タフで非情な私立探偵が、酒や女や暴力を絡めつつ事件を解決する」小説と捉えられています。
「カヤンカヤ」シリーズは後者の意味で、典型的なハードボイルドといえます。前述したとおり、この小説の最大の特徴は、ドイツにおいて差別されるトルコ人探偵を主人公にしている点です。しかし、それがなかったとしても、いかにも若者によって書かれたらしい、スピード感溢れるハードボイルドとして評価できるのです。

 例えば、カヤンカヤの報酬は一日二百マルクですが、依頼人である被害者の妻は、彼に千マルク渡し、余ったら、残りは返して欲しいといいます。簡単に解決できると考えている妻が、いかに世間知らずかを示すエピソードかと思いきや、何とカヤンカヤは三日ですべてを片づけてしまいます。

 カヤンカヤの行動力のみならず、単純な人間関係、分かりやすい謎、さらには会話が多く、無駄に凝らない文体のおかげで、読むスピードはぐんぐん上がります。
 娘が殺された家をいきなり訪ね、父親から必要な情報を聞き出すのに二頁、偽りの死亡診断書を書いた医師を訪ね、正しい死因を法廷で証言するよう説得するのにも二頁で済ましてしまうところなんか、潔すぎて感動すら覚えます。
「こんなあからさまな事件が、どうして解決されなかったのか」という疑問には、トルコ人であることが効いてくるため、不自然さは感じません。

 さらに、ラストにはどんでん返しが用意されています。勿論、きちんと伏線が張られているので、ミステリーが好きな方も満足できるのではないでしょうか。

殺るときは殺る
 ドイツ人の青年マヌエル・ヴァイデンブシュがカヤンカヤの事務所を訪れ、タイ人の恋人スリ・ダオ・ラクデーを探して欲しいといいます。滞在許可が切れた彼女のために、偽造書類を作ってくれるという男に金を渡したところ、目の前でスリ・ダオが攫われたというのです。
 カヤンカヤが、彼女の働いていたクラブにゆくと……。

 こちらは「カヤンカヤ」シリーズの三作目で、一九九二年のドイツ・ミステリ大賞で二位になったそうです。
 今回、カヤンカヤは、不法移民と、それを手引きする裏の組織、そして真の黒幕に切り込みます。

 こちらも一作目同様、ハードボイルド小説の定石どおりに物語は進行します。カヤンカヤは手がかりを手繰り、様々な人や組織と接触することで真相に近づくのです。
 ネタバレになるため詳しくは書きませんが、小説としては一作目の方が出来がよいです。では、なぜこの小説が評価されたかというと、やはりドイツの不法移民問題を取り上げたからでしょう。
偽造書類を作るための金をギャングに支払うものの、騙されて閉じ込められる。警察には金目のものを奪われ、強制退去させられる」。母国でもドイツでも、金も人権もない人々の悲哀……といった現実を、トルコ人の目から描いたことに意味があります(しつこいけど、この作品が発表された時点においても、アルユーニはトルコ移民の二世と信じられていた)。

 そうした価値は弱まってしまいましたが、スピーディな展開と、意外な真相は、『異郷の闇』と変わりませんので、難しいことは考えず、異色のドイツ産ハードボイルドとして読めば、十分に楽しめます。

 なお、「カヤンカヤ」シリーズは五作まで書かれましたが、現時点で続編の邦訳はありません。

※:『異郷の闇』は、アルユーニが二十三歳のときに出版されたせいか、いかにも若書きといった感じがする。例えば、日本人を「切れ長の目をした、ミノルタをぶらさげた二人連れの男が、どこに行けば女たちがいるのかと訊いてきた」などというステレオタイプの描写をしている。

『異郷の闇』渡辺広佐訳、パロル舎、一九九八
『殺るときは殺る』渡辺広佐訳、パロル舎、一九九七

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