読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『逃げる幻』ヘレン・マクロイ

The One That Got Away(1945)Helen McCloy

 予め断っておきますが、僕はミステリー小説に疎く、有名な作品すら余り読んでいません。
 読まないから感動する作品に出合わないのか、出合わないから読まないのか分かりませんが、評判がよさそうだからと読んでみても肩透かしで終わることがほとんどです。

ジャンル小説」といわれるミステリーやSFは、作家も評論家も翻訳者もファンもマニアが多く、大したことのない作品まで大袈裟に褒め称えます(文庫の解説で貶すわけにはいかないが……)。それを当てにして読むと、大抵失敗する羽目になります。
 これは、一般の人とマニアでは感じ方が違うことが原因だと思います。

 これまでは、門外漢だからという理由でミステリーを余り取り上げてきませんでしたが、素人の意見の方が却って参考になるケースもあるかも知れないと思うようになりました。
 そのため、今後は少しずつミステリーを扱ってみようと思います。

 ヘレン・マクロイは、戦前から活躍している作家で、アメリカ探偵作家クラブの会長に女性で初めて就任したそう(ただし、長編も短編もエドガー賞は受賞していない)。マーガレット・ミラー、シャーロット・アームストロングと並ぶ女流ミステリー作家の大御所ですが、我が国での紹介は余り進みませんでした。
 その理由として、中期のサスペンス色の強い長編が先に翻訳されたせいとか、短編ミステリーを得意とする作家だと思われたせいなどといわれています。

 ところが、二十一世紀になって、突如としてマクロイの本格ミステリーが邦訳されました。あれよあれよという間に代表作である「ベイジル・ウィリング」シリーズの長編がすべて訳されたのです。
 これは、一九九〇年代に起こったパトリシア・ハイスミスの翻訳ブームとよく似ています。

 しかし、それらの多くは現在、品切れです。
 文庫本は回転が早いので、早めに集めないと、あっという間に新刊書店から姿を消してしまいます。

 さて、マクロイの『幽霊の2/3』も新訳が出たとき読みましたが、詰まらなくはなかったものの、正直、期待外れでした。「幻の傑作」といわれていたため、ハードルを上げすぎたのかも知れません。

 一方、『逃げる幻』(写真)はというと、こちらは大当たり。ウィリングものの七作目ですが、初訳なので正に埋もれていた名作といえる作品です。

 終戦直後、米軍の予備役大尉で精神科医のピーター・ダンバーは休暇でスコットランドのハイランドを訪れます。そこの領主ネス卿から、月に何度も家出をする少年がいると聞きます。早速その少年は行方をくらましますが、みつかったのは彼のフランス人の家庭教師の死体でした。
 実をいうと、ダンバーは休暇ではなく、ある任務のため、ハイランドにきていました。その任務とは、ダルリアダの捕虜収容所から、警備員を殺して逃亡したドイツ人を探すというものでした。しかし、余所者のひとりフランス人家庭教師は殺害され、もうひとりの余所者であるアメリカ人の哲学者も殺されていました。

 何といっても興味深いのは、『逃げる幻』が第二次世界大戦終結直後を舞台にしていることです(刊行も一九四五年)。
 戦中、江戸川乱歩横溝正史は自主規制によって、思うようにミステリーが書けなかったのに対し、英米の巨匠たちは、エラリー・クイーンも、アガサ・クリスティも、ジョン・ディクスン・カーも、フリーマン・ウィルス・クロフツも作品を発表し続けていました。

 戦時中であろうと自分のスタイルを変えなかった作家もいる反面、世界中で日々多くの人が亡くなっているときに、架空の殺人を扱ったパズルのような小説を執筆することに悩んだ作家もいたのではないでしょうか。
 そして、マクロイは後者だったと僕は思うのです。

 出版界を舞台にした『幽霊の2/3』はミステリーであると同時に、諷刺の要素も含んでいましたが、『逃げる幻』や『小鬼の市』(1942)にはファシズムへの批判がたっぷりと含まれています。
 さらに彼女は小説家らしく、同業者に怒りの刃を向けます。作中で、ナチスの支持者であったクヌート・ハムスンやアンリ・ド・モンテルラン、ムッソリーニの支持者だったエズラ・パウンドを名指しで非難しているのです。「枢軸国のラジオで宣伝活動をした軽率な愚か者」というのは、もしかするとP・G・ウッドハウスのことかも知れません。

 本格ミステリーといえども、社会とのつながりを無視してはいけないと感じたマクロイが、それを活かすプロットを思いつき、『逃げる幻』を書いた、と考えるとしっくりきます。
 同時に、そうした制約が創作のエネルギーとなり、傑作が生まれたのではないでしょうか。

 実際、犯人も動機もファシズムと密接に結びついており、戦後すぐという状況でなければ成立しないミステリーになっています。極端な話、翌年であれば謎にすらならないかも知れず、時間的な制約まで味方にしてしまったのは奇跡的です。
 ですから、本当はリアルタイムで読んでこそ最大限に威力を発揮する作品なのかも知れないと思います。当時の人は、今とは比べものにならないくらいの衝撃を受けたでしょうから。

 愛国心も忠誠心もなく、刺激的なだけで中身のないイカサマ哲学者との論争に、謎を解く鍵が隠されているのも斬新です。
 といっても、『哲学者の密室』ほどボリュームがないので(一章分)、その手の議論が苦手な方でも大丈夫です。

 このように『逃げる幻』は、単なる本格ミステリーではなく、広義の戦争文学として評価できます。
 ……と書くと、「重苦しいのは苦手なんだよな」と感じる方もいらっしゃることでしょう。心配はご無用。現代であれば、意外な真犯人に吃驚するだけでも十分楽しめます。
 いや、僕の説なんて当てにならず、マクロイは単純に、とんでもなく意外な犯人を作り出したかっただけなのかも知れません。そうだとしても、大成功していることには違いありません。

 唯一、気になったのは「少年が何度も家出を繰り返す」理由でした。「繰り返す」のが納得できないのではなく、「連れ戻される」のが不自然に感じました。

『逃げる幻』駒月雅子訳、創元推理文庫、二〇一四

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