読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ケツァル鳥の館』ビルヒリオ・ロドリゲス=マカル

La mansión del pájaro serpiente(1939)Virgilio Rodríguez Macal

『ケツァル鳥の館』(写真)は、グアテマラの作家ビルヒリオ・ロドリゲス=マカルによる動物寓話集です。
 といっても、『イソップ寓話』のような教訓談ではなく、ジャングルの生きものの生態をフィクションにして伝えています。
 それというのも、『ケツァル鳥の館』は、カクチケル族の老漁師ペドロ・クラーンが語ったジャングルの物語をロドリゲス=マカルが聞き書きしたという設定になっているからです。ベテラン猟師の経験は、動物学者による科学的なエッセイとはまた違った面白さがあります。

 グアテマラということで、マヤの神話が用いられているのも特徴です。創造の神であるツァコル、ビトル、アロム、コホロムは作中で何度も言及されます。
 また、邦題に使われた「ケツァル(quetzal)」とは、マヤ神話の神ククルカン(羽のある蛇。アステカ神話ではケツァルコアトルと呼ばれる)の使いとされている鳥のことです。長く美しい尾羽を持ち、グアテマラの国鳥にもなっています。また、ケツァルはグアテマラの通貨単位でもあります。

『ケツァル鳥の館』は、グアテマラで『El mundo del misterio verde』(1956)という姉妹編とセットで教科書に採用されているそうですが、日本では大人向けに出版されました。
 価格は高いものの、山本容子の挿絵がとても素敵です。状態のよい古書をみつけたらプレゼント用に購入するのもよいかも知れません。

 南米のジャングルが舞台ですから日本人には馴染みのない動物が数多く登場しますが、巻末に作者による「本書に出てくるいろいろな動物の名前について」が掲載されているので、安心して楽しめます(グアテマラでは、狐のことを山猫というらしい)。

アンダ・ソロ」El anda solo
 群れで行動するハナグマ(南米に棲息する、アナグマとアライグマを足して二で割ったような生きもの)にあって、千匹に一匹の割合で生まれてくるアンダ・ソロ(単独行動するもの)がイツルです。
 イツルは成長すると群れを飛び出し、ひとりで生きてゆく道を選びます。アライグマやイグアナと死闘を繰り返しながら生きる喜びを噛みしめるイツル。やがて彼は、ある群れに合流し、ティシショックという雌を妻に迎えます。
 しかし、イツルは再び群れから離れると、二度と戻ってきませんでした。

 イツルは、自分ひとりの力で自然と立ち向かうことが生きる証と考えています。だから、どんなに危険な目に遭っても単独行動を選択するのです。
 最期にはクラーンに銃で撃たれながらも、老犬カネーロをあの世の道連れにするイツル。その生き様にクラーンは敬意を示し、彼の生涯を語り継ぐことにします。

 なお、ハナグマの雄は繁殖期以外は単独行動するため、それを観察したクラーンが「アンダ・ソロ」という一匹狼が存在すると考えたのかも知れません。

ヨロイネズミ」El armado
 ヨロイネズミ(アルマジロ)のイボイ夫妻の好物は毒蛇です。サンゴヘビやガラガラヘビを見事な連携プレーで仕留めます。

 狩人の視点で物語られるため、緑の館(ジャングル)の強者どもも人間に呆気なくやられてしまいます。ヨロイネズミがいなくなって喜ぶのは毒蛇で、それに悩まされるのは人間だというのに……。

イタチ」La comadreja
 イタチのクッシはずる賢く、数多くの敵を持っています。クッシを殺してやろうと様々な動物が待ち構えていますが、それを嘲笑うが如く立ち回るのです。
 ある日、クッシは人の住む村をみつけます。そして、夜な夜な鶏小屋に侵入し、鶏を奪っていましたが、ついに人間の罠に掛かってしまいます。

 クッシが捕らえられたことを知り、彼を憎む動物たちが集まってきます。彼らは口々にクッシを罵ります。やがて、朝になり人間がやってきたら、クッシにどんな拷問を加えるか楽しみにしているのです。
 けれど、人間はイタチなどに特別な感情を抱きません。そっちの方がよっぽど残酷という気がします……。

パカ」El tepezcuintle
 パカのアラウ夫妻は、大好物のバナナなどを食べ、平和に暮らしています。ところが、彼らの肉は、肉食獣の大好物のため、常に危険に晒されています。
 のんびり暮らすことを望むアラウは、ジャングルの賢者マナティーに教えを請います。すると、マナティは「大地は植物に搾取され、植物は草食動物に食べられ、草食動物は肉食動物に捕食され、動植物の死骸は大地に帰るのが自然の掟なのだ」と教えてくれます。
 しかし、ツァコルとビトル、アロムとコホロム、つまり創造と形成の神々の力の及ばない生きものがいて、それが人間だというのです。

 大きく賢いマナティでさえ、人間の生態は謎だらけです。何でも食ってしまう癖に、共食いしないのは、動物たちにとって得体の知れない恐ろしさがあるのです。

ケツァル鳥の館」La mansión del pájaro serpiente
 ジャングルではなく、高地の森林が舞台です。いつも無意味に騒いでいるホエザルは、ほかの動物から笑われています。特に美しく高貴な鳥ケツァルは、ホエザルを馬鹿にしきっていました。
 ホエザルの子コイは、偶然ピューマを殺したことで有頂天になり、群れを離れ旅に出ます。そこで人間のライフル銃を手に入れ、森に帰ってきます。ところが、銃の扱い方を知らないコイは、そのライフルで父親を射殺してしまいます。

 ライフルで父を殺してしまったとき、コイは悲しみよりも誇らしい気持ちの方が勝りました。銃を扱えたことで人間に近づいた気になったのです。
 しかし、人間はコイを捕らえ、見世物にします。森の仲間に笑われていたホエザルは、人間の世界でも皆に笑われる存在でしかなかったのです。
 実力も伴わないのに偉そうにしても、馬鹿にされるのが落ちですね。

『ケツァル鳥の館』児嶋桂子訳、文藝春秋、二〇〇一

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